第29話・文化祭前日の風景
色々と大変な事は多かったけど、明日からいよいよ文化祭の本番が始まる。
「完成したな」
「うん」
時刻が十四時を少し過ぎたあたりで教室内の飾りつけも完璧に終わり、最後まで苦労した看板の調整も終わった。
完成した看板を店の入口に立て掛け、その出来具合を満足な気持ちで眺める。やはり苦労して手作りしたからか、その達成感はかなりのものだ。
「二人共、ちょっといいかな?」
看板を所定の位置に立て掛け、それを眺めていた俺とまひろに真柴が話しかけて来た。
「どうかした?」
「ちょっと試食を頼みたいんだけど、いいかな?」
「試食? 試食って確か、渡がしてたんじゃなかったっけ?」
「確かにそうなんだけど、渡君の意見がまったく参考にならなくて……」
「どういう事?」
まひろが小首を傾げながら質問する。すると真柴は、肩をすくめてから溜息を吐いたあとで口を開いた。
「だって渡君、どの料理を出しても『美味しい!』しか言わないんだもん」
「本当に美味しいからじゃないのか?」
「私も最初はそう思ってたんだけど、途中でおかしいと思って、砂糖の代わりにお塩を混ぜたデザートを出したの。そしたら渡君、『美味しい』って言って食べてたのよ?」
「アホだなアイツは……」
その話を聞いた俺は、なんとなく渡の心情を察した。
考えてみれば、調理をしているのは全員女の子。加えて渡は超の付く女の子好き。アイツにとって理由はどうあれ、女の子の手作り料理を食べられるというシチュエーションだけで天国なんだろう。
つまり今のアイツは、色々な意味で正常な判断をするのは不可能という事だ。
「まあ、理由は分かったから協力させてもらうよ。まひろはどうする? やるか?」
「うん。僕も出来るだけ協力するね」
「ありがとう。二人共」
にこやかな笑顔を見せる真柴に案内され、教室内にあるセッティングされたテーブルの椅子に座り、料理が来るのを待つ。
考えてみれば、道具の制作だけをしていたせいか、具体的に喫茶店で出す料理に関して俺は何も知らなかった。
「これがメニューか――って、えっ!?」
テーブルに置いてあったA4サイズのメニュー表を手に取ってその内容を見ると、そこには少なくとも二十種類はメニュー名が書かれていた。
「ま、まさか、この種類全部の試食をさせられるんじゃないだろうな?」
「まさか、いくらなんでもそれは……」
俺とまひろは自然とお互いに顔を見合わせる。
するとまひろはとても不安げな表情をしていて、俺は額に汗が浮かぶのを感じていた。
そんな事は無いだろうと思いたかった俺達だったが、その嫌な予感は見事に的中してしまう事になった。
――これはヤバイ……。
最初の四種類くらいまでは余裕だったんだけど、流石に七種類目まで試食した時には苦しくなり始めた。ちなみにまひろは、三品目には既に苦しそうにしていた。
それにしても、一つ気になる事がある。それは、周りに居た女子達がまひろの事はしきりに心配し、『無理しなくてもいいんだよ?』などと言って終始気にかけていたんだけど、俺に対しては『頑張って鳴沢君!』などと言うだけで、まひろの様に心配される事は一切無かった。この待遇の差とはいったい何だと言うのだろうか。
ちなみにまひろは、四種類目を食べ終えたところで即座にギブアップをした。
そして俺は十種類目を食べ終えた時にギブアップしようとしたんだけど、真柴の他にも居た女子数人が、『私の彼はこれくらい平気で食べてくれる』だの、『やっぱり沢山食べてくれる男子っていいよね』などと言って俺を
そんなに上等な彼氏なら、俺の代わりにこのメニューフルコースを食べさせてやれってんだ――などと心の中で毒づきながら、俺は無言で目の前にある料理を食べ進めた。
「――ぐふっ……」
「大丈夫?」
「この状況で大丈夫と言えるなら、俺は茜のパンチを仏の心と笑顔で受け止められるぜ……」
あれから二時間くらいかけてメニューフルコースを制覇した俺は、まひろに付き添われて中庭のベンチまで移動し、背もたれに大きく背中を預けて赤い夕陽を見ていた。
外は今の季節らしく寒々しい風が吹いているが、現状の俺にはわりと心地良く感じる。
「僕は用事があるからもう帰らなくちゃいけないけど、龍之介はどうする?」
「俺はもうしばらくここで休んでいくよ。今ここで動いたら、間違い無く俺のお腹は爆発する」
「分かったよ。それじゃあ、気を付けて帰ってね?」
「おう、ありがとう。まひろも気を付けてな」
まひろはベンチに置いていた鞄を手に取ると、心配そうに何度かこちらを振り返りながら帰って行った。
「――さてと、俺もそろそろ帰るか」
肌寒い風が吹き抜けて行くベンチでしばらく休んでいた俺が、ポケットから携帯を取り出して時間を見ると、既に十七時を過ぎていた。さすがに辺りも暗くなってきていて、学園に残っている生徒も明日が本番だからか一人も見当たらない。
昼間の喧騒の一部すら感じない学園に寂しさを感じながら重い腰を上げ、ふと校舎を見上げた時、ある教室の明かりがまだ点いているのが見えた。
――あそこって確か、美月さんが作業してる教室だよな。
ゲーム制作が遅れているとは聞いていたけど、明日が本番だというのに、美月さんはまだ作業をしているんだろうか。
俺は美月さんの事が気になり、その教室へと向かう事にした。
「美月さん。まだ頑張ってるの?」
辿り着いたパソコン室のドアを開けると、美月さんはパソコン画面に向かって熱心に作業を進めている真っ最中だった。
「あっ、龍之介さん。どうかしたんですか?」
「どうかしたんですかって、もう十七時を過ぎてるんだよ? そろそろ帰らないと」
「あっ、もうそんな時間なんですね」
「そうだよ。で、仕上がりはどう?」
「あともう少しで調整が終わります。私はこれを仕上げて帰りますから、龍之介さんは先にご帰宅して下さい」
「分かったよ。でも、あまり無理しない様にね?」
「はい。ありがとうございます」
素直に返事はしてくれたけど、作業に熱中している様子を見ていると少し心配になる。本当に無理をしなければいいなと思いつつ、俺は美月さんを教室に残してその場を去った。
「――あっ、お疲れ、美月さん」
「龍之介さん!? 先に帰らなかったんですか?」
美月さんの居たパソコン室を出てから三十分後。
学園の下駄箱の出入口付近に座って美月さんを待っていた俺は、予定通りに美月さんと遭遇した。
「いやー、今日は店で出すメニューフルコースを食べさせられてさ。満腹できつかったからここで休んでたんだよ。そうだ、少し冷めちゃったけど、良かったらこれ飲んでよ」
少し冷めていて申し訳無いけど、俺はポケットから紅茶缶を取り出して美月さんへと差し出した。
「もしかして、私の為にですか?」
「あ、いやー、飲もうと思って買ったんだけどさ、結局飲まなかっただけだよ」
「ふふっ、そうなんですね。分かりました。ありがとうございます」
美月さんは可愛らしい笑顔を浮かべて紅茶缶を受け取る。
そして俺は、可愛らしい笑顔を見せる美月さんと一緒に帰路を歩き始めた。
「ゲームは仕上がった?」
「はい。あとは自宅で最終確認をするくらいです」
「頑張るのはいいけど、本当に無理したら駄目だよ? 明日から本番なんだから」
「はい。気を付けます」
明日の文化祭についての話に華を咲かせながら、俺達は楽しく自宅までの道を歩いた。
× × × ×
日付けも変わった深夜。
俺はトイレに行く為に起き上がった。
そしてふと視線を窓の方へと移した時、カーテンのわずかに空いた隙間から、明るい光が室内に射し込んでいる事に気付いた。俺がその隙間を少し開けて外を見ると、すぐ向かいに見える部屋で美月さんがカーテンもせずにパソコン画面と向き合っている姿が見えた。
そんな美月さんの姿を見た俺は、カーテンを元に戻してから一階へと下り、トイレを済ませたあとで台所へと向かった。俺は台所にある冷蔵庫内にあった牛乳を小さな鍋で温めてからマグカップに注ぎ入れ、少しだけお砂糖を入れてから温まった牛乳入りマグカップを持って部屋へと戻った。
部屋へと戻った俺はカーテンと窓を開け、手が届く位置にある美月さんの部屋の窓をコツコツと叩いた。なぜかは分からないけど、隣の家と俺の家はこの部屋の一角だけが妙に幅が狭く作られていて、この様に手を伸ばせば余裕で窓に手が届く程に近い。
「龍之介さん!?」
窓を叩く音に気付いた美月さんが、慌てた様子で椅子から立ち上がってこちらへとやって来る。
「こんばんは、美月さん。女の子の夜更かしはお肌に悪いよ?」
少しおちゃらけた感じでそう言い放つと、美月さんはにこっと微笑んだ。
「もう。深夜に女の子の部屋を覗き見るなんて、エッチですよ? 龍之介さん」
「ごめんごめん。はいこれ、少し熱いから気を付けて飲んで」
「わあ。ありがとうございます」
美月さんはホットミルクの入ったマグカップを受け取り、ふう~ふう~っと息を吹きかけて冷ましながら何度かカップに口をつけた。
「温かい……」
「美月さん。帰りにも言ったけど、無理しちゃ駄目だよ?」
「ごめんなさい、つい夢中になってしまって。みんなでこうやって文化祭をやるのは初めてだったもので」
「中学では無かったの? 文化祭とか」
「あるにはあったんですが、この学園の様に楽しげな感じではありませんでした……」
そう話す美月さんの表情が、急に暗く沈むのが見て取れた。
どうやら深い事情がある様子だけど、その事にここで踏み込むのは地雷な気もする。
「そっか……でもまあ、せっかく頑張っても本番でダウンしたら楽しめないから、それを飲んだらちゃんと寝るんだよ?」
「分かりました」
「うん。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。龍之介さん」
冷たい空気が流れ込む窓を閉めてからカーテンをシャッと閉じたが、その時に少しだけカーテンに隙間をつくっておいた。
すっかり冷えてしまったベッドの中で手を使って身体を温めながら、カーテンの隙間から漏れ射す人工の光を見つめる。その漏れ入る光はそれから二十分くらいで消え、室内はようやく暗闇へと変わった。
俺は美月さんが就寝したのだと安心して目を閉じ、寝返りを打った。するとその時、枕元に置いていた携帯から、メッセージの着信を知らせる音が鳴った。
音が鳴る携帯を右手で掴み取ってから画面を見ると、そこには美月さんと雪村さんからほぼ同時にメッセージが来ていた。先に来ていた美月さんからのメッセージを見ると、『ホットミルク、ご馳走様でした。おやすみなさい』と書いてあった。相変わらず律儀な人だなと、思わず笑みが浮かぶ。
そして次に雪村さんからのメッセージを開いたんだけど、その内容を見た時、俺は雪村さんに何かあったのだろうかと、ちょっと心配になった。
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