第13話・妹の居る風景

 夏休みも後半を迎えたある日の朝。

 昨晩から降り始めた雨が降り続く中、俺はジトッとした湿気を含んだ不快な空気を感じながら自室をあとにし、同じ二階の奥にある部屋へと向かっていた。空が厚い雨雲に空が覆われているせいか、廊下の奥の窓から差し込む光は無く、廊下は仄暗ほのぐらい雰囲気を醸し出している。

 そしてそんな仄暗い廊下を歩いて一番奥にある部屋の前へと来た俺は、その部屋の扉をコンコンと叩いてから中へと入った。


「おーい。いい加減に起きろー」


 俺は今日、三度目になるモーニングコールをしに妹の部屋へとやって来た。部屋にあるアナログの掛け時計へふと視線を向けると、その針は既に午前十時過ぎを指し示していた。

 小奇麗に整頓されている部屋。その片隅にあるベッドの上には、ポコッと膨らんだ掛け布団が見える。


「もう十時を過ぎてるんだぞ。いい加減に起きろ」

「ううん……おにい……ちゃん。あと――」

「あと五分寝かせろってか?」

「あと五十年……」

「お前は即身仏そくしんぶつにでもなるつもりか?」


 本気なのかボケなのか寝言なのか分からない妹の発言にツッコミを入れ、俺はスカイブルーのカーテンを引き開けて行く。

 開かれたカーテンの外に見える景色は相変らずどんよりと暗く、昨晩よりも大粒の雨が激しく降っているのが分かる。


「う~ん……おはよ~う、お兄ちゃん……」


 三度目のモーニングコールでようやく妹は上半身を起こすと、寝ぼけまなこを擦りながらこちらを見てきた。

 茶色がかったセミロングの髪にはいくつもの寝癖がついていて、眠そうに目を擦っているその姿はとてもだらしない。


「お兄ちゃ~ん、着替えさせて~」

「幼稚園児じゃないんだから、自分で着替えなさい」

「ちぇっ、お兄ちゃんは冷たいなあ」


 俺に対してアホな要求をする杏子あんずは、今までのやり取りを聞いての通り俺の妹だ。まあ妹とは言っても、再婚した母親の相手の連れ子だから、正確に言えば義理の妹になる。


「下に朝飯を用意してあるから、ちゃんと食べとけよ?」

「えっ? お兄ちゃんが食べさせてくれるんじゃないの?」


 ――起き抜けから何をたわけた事を言ってるんだこの妹は……。


「お前は風邪ひきの子供か? 自分の手で箸を持って食べなさい」

「むうっ、お兄ちゃんのケチ」


 ぷくっと頬を膨らませてから散々文句を言ったあと、杏子は一番上のボタンを外したカッターシャツを着たままで大きく背伸びをする。その様は我が妹ながら、割となまめかしい。

 それにしても、よく妹が居る奴はアニメやゲームに出て来る妹を見て、『こんな妹は現実に存在しない』と言うけど、まあそれは間違っていないと思う。だって世の中にあんな可愛らしい妹達が溢れていたら、世界中に居る兄貴達は妹が可愛過ぎて全員発狂してしまうだろうから。

 現実の妹とはふてぶてしく、可愛げが無く、生意気で兄の言う事などまるで聞かない――というのが、一般的に多い妹の認識だろう。


「お兄ちゃん、今日は出かけるの?」

「いや、ご覧のとおり外は大雨だから、今日は家でのんびりするよ」

「そうなんだ。嬉しい」


 杏子はにこっと笑顔を見せるとベッドから下り、俺の横を通り抜けて一階のリビングへと向かって行った。

 我が妹である杏子も、ご多分に洩もれず生意気な部分はある。だけど、世間で聞く他のリアル妹達ほど生意気とは思わない。どちらかと言えば、世の中でよく聞くリアル妹達よりはずっと可愛げのある方だと俺は思う。

 まあ、一つ問題があるとすれば、杏子が俺に対して極度の甘えん坊と化すところだろうか。未だ小さな子供の様に遠慮無く甘えて来る杏子の様子は、とても中学三年生とは思えない。


「――お兄ちゃん、久しぶりに耳掃除をしてよ」


 一時間くらい自室で漫画を読みふけったあとでリビングへ行くと、部屋へ入って来た俺に向けて杏子が開口一番そう言い放った。

 そんな妹に対して兄である俺が思った事は、この妹は兄を召使いと勘違いしているのではないだろうか――という事だ。


「それくらい自分でやれ」

「えーっ!? それくらいって思ってるなら、それくらいの事はやってくれてもいいでしょ?」

「なんだその妙な返しは。どこでそんな屁理屈を覚えて来るんだ?」

「屁理屈じゃないもん! お兄ちゃんに耳掃除してほしいの! してくれなきゃやだっ!」


 ソファーに座っている杏子は、萌え袖の様になっている両手をバタバタとさせて猛抗議を始めた。傍から見ると今の杏子の様子は可愛いのかもしれないけど、兄としては困ったもんだとしか思えない。


「ねー、久しぶりにいいでしょ? お兄ちゃん」


 適度に瞳を潤ませながら、上目遣いでこちらを見る杏子。

 俺は杏子のやるこれが大の苦手だ。理由は簡単、断れなくなるからだ。


「ああもう! 分かったよ。お茶を飲んだらやってやるから」

「やった!」


 こうなると引き下がらないのが杏子だ。ここはさっさと要求を飲んで杏子を満足させた方が、時間の無駄にならない。

 俺は台所で麦茶を飲んだあと、綿棒が入った容器を持ってリビングのソファーに向かい、そこに座る杏子の隣に座ってから耳掃除を開始した。


「ああ~、やっぱりお兄ちゃんの耳かきは最高だね」

「そりゃあどうも」


 俺は三人がけソファーの左端に座り、杏子に膝枕をしてからせっせと耳掃除に勤しんでいた。

 我が妹様は俺の耳かきにご満悦らしく、瞳を閉じてとても気持ち良さそうにしている。


「そういえば杏子。いい加減に俺の着てたカッターシャツをパジャマにするのは止めないか?」

「絶対に嫌~」


 いい機会だからと思ってそんな提案を持ちかけたが、その意見は吟味の間も無く即座に却下された。

 何が良いのか俺にはさっぱり分からないけど、杏子は俺が中学生時代に着ていた制服のカッターシャツを、そのまま自分のパジャマにしている。パジャマの下は上下セットで買った物をちゃんと着るくせに、上だけは頑なに買った物を着ようとしない。その行為にどんな意味があるのかは分からないけど、杏子はそれを俺に説明してはくれない。

 おそらくそれは、杏子なりの拘りなんだとは思う。なにせ前に一度だけカッターシャツを始末しようとした時に、『捨てたら裸で家の中をうろついてやるー!』と、わりと本気で泣きわめかれ、捨てるのを諦めたというエピソードもあるくらいだから。


「お前は一生、俺のお下がりシャツを着るつもりか?」

「だったらどうする~?」

「それだけは止めとけ」


 冗談なのか本気なのか分からない返答をする杏子に対して大きく溜息を吐き出すと、杏子はそれを見て楽しそうに笑った。ホント、何がそんなに楽しいんだか。

 そんな困った妹を前にせっせと耳掃除に勤しんでいると、杏子はいつの間にやら夢の世界へと旅立っていた。


「たくっ、呑気のんきに寝やがって」


 やれやれと思いつつも、膝枕で寝ている杏子の頭をそっと持ち上げ、そのままソファーに寝かせる。

 それから自室へと向かった俺は少しだけ厚手の掛け布団を手に持ち、再びリビングへと下りてからソファーで寝ている杏子の身体にそっとそれを被せた。


「ううん……お兄ちゃん……アイス買ってきてぇ……」


 掛け布団を被せた瞬間、そんな寝言を呟く杏子。


 ――やっぱりコイツの中で俺は召使いなのか?


 夢の中でも不遇ふぐうな扱いをされている俺に泣けてくる。

 しかしまあ、是非とも夢の中だけで満足して、現実の俺に欲望の刃を向けない様にしてもらいたい。


「頑張れよ。夢の中の俺」


 激しい雨が降りしきる外を眺めながらぽつりと呟いたその言葉は、杏子の寝息と一緒に部屋の中にスッと溶け込んで消えた。

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