第6話・過ぎた言葉は身を滅ぼす

 まひるちゃんと一緒に買い物をした翌日。

 風邪をひいたと聞いていたまひろは、まだ体調が回復していないらしく学園を休んでいた。まひろは昔から身体がそんなに強くない。だからこうして休む事もそう珍しい事ではないけど、それでもやはり心配にはなる。


 ――なんか変だな……。


 今日は学園にやって来た時から妙な気配を感じていた。まるでじっと誰かに見られている様な、そんな感じの気配だ。

 朝からそんな視線を時折感じつつ、退屈な授業を受けて昼休みになった頃、俺はお弁当を食べる前にトイレへと向かっていた。


「んっ!?」


 もう少しでトイレへ辿り着こうかという時、後ろから妙な気配を感じて振り返ったが、やはりそこには俺を見ている人物の姿は無い。おかしいなと思いながら首を傾げ、俺はとりあえずトイレへと入る。


「あっ、しまった!」


 トイレを済ませてから手洗い場でポケットへ指を入れると、その中にハンカチが無い事に気付いた。

 そういえば今日は、ハンカチを用意して来るのをすっかり忘れていた。まあ、忘れた物はどうしようもないので、この際だから手は自然乾燥させるしかないだろう。

 ハンドソープをつけて手を洗い、泡を丁寧に洗い流した後で水気を切る為にブンブンと手を振る。そしてある程度の水分を振り落とした後、俺はすっきりとした気分でトイレを出た。


「――あ、あの、鳴沢君」


 トイレを出てから少し歩いた所で名前を呼ばれ、声がした方へと振り向く。するとそこには、恥ずかしげな感じでモジモジとしている真柴の姿があった。


「ああ、真柴さんか。どうしたの?」

「あの……これ、ちゃんと洗っておいたから。この前はありがとう」


 そう言って真柴が差し出してきたのは、この前俺が貸したハンカチだった。


「ああ、どういたしまして」

「お――――いっ!」


 真柴のお礼に答えてから差し出されたハンカチを受け取ろうとした時、聞き覚えのある元気な声が背後から聞こえてきた。


「龍ちゃんに志穂しほー! そんな所で何してるのー?」


 元気良く駆け寄って来た茜は、真柴が俺に手渡そうとしている物を横から覗き込む様に見る。

 そして真柴の手に握られているハンカチを見た途端、茜の表情が一瞬にして曇ったのが分かった。


「龍ちゃん、そのハンカチどうしたの?」

「俺が落としたのを真柴さんが拾ってくれたんだよ」


 そう言った後、俺は茜に気付かれない様にして自分の口に人差し指を当て、それを真柴に見せた。

 ここで真柴にハンカチを貸していた事を茜に話せば、どうしてハンカチを貸す事になったのかの説明を求められるだろう。俺個人の問題なら別に話してもいいんだけど、あれは真柴にとって知られたくない事だろうから誤魔化すしかない。


「落としたって……それ、私からの誕生日プレゼントじゃない」


 声こそ荒げないものの、茜が怒っているのはなんとなく分かる。

 確かに誕生日に貰った物を落としたなんて言ったら、良い気分がしないのは分かる。けど、俺もそんなに器用な人間ではないので、パッと思いつく言い訳がこれしかなかったわけだ。


「まあ、そうだけどさ。でも、こうしてちゃんと手元に戻ってきたんだし、別にいいだろ?」

「全然良くないよっ!」


 チョイスした言葉が悪かったのか、静かに怒っていた茜は一言大きな声でそう言うと、自分の教室がある方へと走り去ってしまった。


「あ、茜!? ごめんね、鳴沢君!」


 真柴は慌てて俺にハンカチを手渡すと、走り去った茜の後を追って行った。

 それにしても、あんな風に怒る茜を見るのはいつ以来だろうか。まあ、俺の言い方が良くなかったのかもしれないけど、それにしたってあそこまで怒らなくてもいいじゃないかと思ってしまう。

 自分に悪いところがあった事を理解しつつも、茜が向けてきた怒りにちょっとした理不尽を感じ、俺はモヤモヤとした嫌な感情を募らせていた。そしてそんなモヤモヤとした気持ちを抱えたままで午後の授業を受けて放課後を迎えた俺は、大事な物だけをそそくさと鞄に詰め込んでから学園を後にした。

 学園を出て帰路を歩いていると、部活をしている生徒の方が多いからか、帰りの通学路に花嵐恋からんこえ学園の生徒の姿はほとんど見当たらない。一見すると寂しい風景だが、人混みが好きではない俺には素晴らしい状況だ。

 そしてそんな中をしばらく歩いていると、不思議な事に周りから人の気配が無くなった。まるで世界に自分しか居ないかの様に。

 珍しい事もあるもんだなと思っていたその時、後ろから誰かが駆けて来る足音が聞こえてきた。しかし俺は、その駆け寄って来る音を気にする事なく歩き続ける。

 そして駆けて来る足音が段々と近くなり、背後へと迫った瞬間、俺の後頭部に強く鈍い衝撃が走った。


「いってえ――――っ!?」


 衝撃を受けた後頭部を両手で押さえてその場に座り込む。

 しかも弾みで手から落とした鞄が足に落ち、更に追加ダメージを受けてしまった。


「油断するとは情けないぞっ! 龍ちゃん!」


 その聞き慣れた声に顔を上げると、そこには不敵に微笑む茜がこちらを見下ろしていた。

 いきなり人の後頭部に強打を加えておいてこの笑顔。コイツはいったい何を考えてやがるんだろうか。昼間はあんなに怒ってたくせに、まったくもって意味不明だ。


「不意打ちをかましておいてよく言うぜ。お前は通り魔か!」

「そ、そんなに痛かった?」

「痛いに決まってるだろ? 鞄で後頭部を強打だぞ? 下手したら今頃は、天国で天使とタップダンスを踊っているところだ」

「ごめんね、龍ちゃん。そんなに強くしたつもりはなかったから……」


 茜にしては珍しく素直に謝っている。後頭部の痛さでそれなりのいきどおりは感じるけど、こういう素直な態度で謝るなら許そうという気にもなる。


「まあ、いいけどさ。それで? 俺に何か用事でもあったんか?」

「あっ……そ、その事なんだけど、あの……ごめんなさいっ!」

「急にどうした?」

「ほら、ハンカチの事……あの後ね、志穂が本当の事を教えてくれたの。龍ちゃんに借りたハンカチを返す為に朝から機会をうかがってたって」

「はい?」


 ――てことは、今日感じていた妙な気配は全部真柴だったって事か? それにしても、本当の事を話したって……だったらあの日の事がバレない様に気を遣った俺の行動は、全部無駄だったって事かい?


 そう思って深々と溜息を吐くと、茜は更にすまなそうな表情を見せて俯いた。


「本当にごめんね。龍ちゃん」

「あ、いや、俺も言い方が悪かったのは謝るよ。ごめん。でもさ、何で真柴さんは茜に本当の事を話したんだ? 人には知られたくない話のはずなのに」

「えっ!? そ、それは……」


 先程とは打って変わって茜の顔は紅く染まり、明らかな動揺が見てとれた。

 慌てふためきながら視線をあちらこちらへとせわしなく動かしているその様は、まさに不審者と呼ぶに相応しい。


「お前は少し落ち着け」

「いたっ!」


 頭の中心にコツンとチョップを当てると、ようやく茜の不審な動きが止まった。


「何なんだ今日のお前は。どっかで悪霊にでも取り憑かれたのか?」

「そ、そんなわけ無いでしょ!?」

「だったら理由を話せ、理由を」

「そ、それは……言えない……」

「はあっ!? この期に及んで黙秘権の発動か? 『弁護士を呼ばなきゃ話さない!』とか言い出さないだろうな?」

「わ、私にだって言えない事の一つや二つはあるんだから……その、乙女の秘密よ……」

「はあっ!? 今更乙女って柄かよ!」

「なっ!? りゅ、龍ちゃんの……バカァ――――――――!」

「ふごあっ!?」


 後悔先に立たず――という言葉があるが、まさに今、俺はそれを体験したわけだ。

 ついつい漏らしてしまった一言により、結局理由を聞きそびれ、挙げ句の果てに道端でノックダウンというこの有様。どうせノックダウンされるなら、女の子からの愛の言葉でノックダウンされたい。

 そう思いながらゆっくりと上半身を起こし、走り去って行く茜を痛みでしかめっ面になりながら見ていた。

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