最終話「お掃除はお任せあれ」
「別におたくはあたしの趣味じゃないから。
ところでさあ、空手部さんでしょ?
主将ってどちらさんかしら」
全員の目が電柱の中ほどにしがみついている、坊主頭の男子に注がれる。
ひときわ筋骨隆々としたその坊主頭は、細い目を大きく広げてイヤイヤをするように首を思いっきり振った。
「主将さんですかぁ?」
「ち、違い」
「えっ?
違うの?」
自分からホコ先が移ったため、ホッとしているオールバックの部員の顔をむつみはのぞき込んだ。
目が合ってしまったオールバック野郎は、すかさず目線を避け、顔面蒼白のまま「い、いえ、あのかたが我が空手部の主将です」と正直にあっさりとゲロしてしまう。
後から先輩たちに制裁を加えられようと、まさか命までは奪われないだろう。
だが目の前のサイ子は、目をつけた相手の命をいとも簡単に絶ってしまうと、もっぱらの噂なのだから仕方ない。
「主将さんに、お願いがあるんだけどなあ」
むつみは媚びるような艶っぽい目つきと声で、バイクを押しながら電柱の下まで進む。
「ハイッ! な、なんでございましょう」
裏返った声を上げ、強面の主将は涙目で応える。
「あのさあ、おたくたちが強いってのは、この大学では有名じゃない」
「か、空手道に関しましては、それこそ日々血の小便を流しながら精進いたしておりまする!」
「うん、さすがは武道家だよね。
でもさあ」
むつみはジッと主将を見上げた。
むつみの薄茶色の瞳が、電柱にしがみつく空手部大幹部の細く小さな目をロックオンする。
最新鋭の自動追尾ミサイルと同様、もはや逃れることは不可能であった。
蛇に
恐怖のあまり、少々失禁しかけたそのとき。
主将の心臓がドクンッと未体験の鼓動を打ち始め、脳内でPEAというホルモン濃度が急上昇しはじめた。
この現象は、脳がとてつもない快感を示している状態である。
その上ドーパミン、オキシトシン、エストロゲンなどのホルモンがドバーッと
これは、そう、目の前の異性相手と一緒にいたいという純粋な心の変化を
坊主頭の主将は、むつみのアーモンド型の瞳に釘付けとなってしまった。
エッ?
ウソ?
なんだ、この突然湧き出した感情は。
いやそれよりもだ、無茶苦茶、か、可愛いじゃないですか!
って、エエエッ!
大きな鼻の穴から一筋の鼻水を垂らし、思わず頬を染める純情な青年。
こ、こんなにも可愛い女子がリアルにいたなんて!
めっちゃタイプなんですけどお!
股間を電柱にこするように押し付けながら、パーフェクトにむつみの魅力にはまってしまったようだ。
だめだぁ、目を閉じないと乾いて痛いのに、心が待ったをかけてくるう。
た、堪らない堪らない! 我慢の限界を、超えてしまったあっ。
ええいっ、こうなったら、もう憑り殺されようとゴキブリを食わされようと、ストーカーされようと、ぼ、ぼくはすべてを受け入れてやるんだ!
「戦慄のサイ子」、いいじゃないですか、それこそ個性っていうやつだよ。
いや、サイ子さま、なんて素敵な女の子なんだ。
ああっ、胸が痛いぜ。頭がクラクラしてきやがる。
なんだ、この気持ちは?
ハッ!
もしやこれが、こ、恋ってやつなのか!
主将は顔を真っ赤に染め、垂れていた鼻水を思いっきり吸い込む。
今まで彼女を作らなかったのも、いや、正確にはできなかったんだけども、すなわちこのかたに出会うという運命が待ち受けていたからなんだ。
そうだったのかぁっ!
納得したぜい!
感涙を、もう一度鼻水と一緒に垂れ流し、そこで主将の血走った両目が、むつみのある一点に焦点があった。
あっ。
でも、ちょっと冷静になれ、ぼく。
よーく見てみろ。
そうさ、ぼくは女子の豊満な胸元が大好きなんだ。
ところが、どっこい、いったいどこへ置き忘れてこられたのだ、サイ子さまは。
はあっ、ちょっぴり残念じゃないか。サイ子さまのバストは、まったく目立ってないんだぞ。
主将はため息とともに、太い首をふる。
い、いや、待て待てっ!
寄せて上げてのイミテーションに、何の価値がある?
かえって潔いじゃないか!
あえて近代の技術を駆使することなく、残念な点を残念なりに他でカバーしようとするその決意。
これは、空手道に通ずるものがある!
だけども、だけども。
美の黄金比がちょっぴり欠けちゃうけども。
けどもだ。
ウオオオーッ!
主将も、彼女いない歴が生きてきた
「強い武道家ならね、もっと謙虚になってくれればさ、おたくたちを応援したい女子たちがたくさんいるんだよね、本学には」
「えっ?
えーっと、どのような意味で、あ、ありましょうか」
「だってえ、あたしたち女の子はさ、やっぱり強い男子に憧れちゃうんだもの」
ここでむつみは小首を傾げながら、とっておきの微笑みを投げる。
これでクラリとこないのは、カタナギ・ビューティ株式会社の男たちだけである。
主将は電柱をズズズッズーッと、一気に滑り下りてきた。
「そ、それは、マジっすか!」
「うん、マ・ジ」
完璧にむつみの術中にはまった主将は、むつみの前で片膝をつき、頭を下げた。
「クーッ、ありがたき幸せ!
我ら中京都大学空手部は一層拳を鍛え、女子にモテるため、いや、
全員、整列!」
主将の号令に、「ウッス!」と声を上げて全員が横並びに立った。
なんか主将の目つきがおかしい。
血走ってる。
それに顔も頭も真っ赤だ。
これはもしや「戦慄のサイ子」に、憑りつかれちゃったんではないか。
部員たちは首を傾げながらも、両手を後ろに組んで並ぶ。
体育会系のクラブでは、主将の言葉は絶対であるのだ。
「さすがは空手部にこの人ありの、主将さんだわあ。ス・テ・キ」
むつみのさらなる言葉に細い目をニヤけさせ、モジモジと恥ずかしげに斜め下を向く主将。
「じゃあこれからはキャンパスでも、真の武道家らしい立ち居振る舞いをなさってくださるってことかしらん」
「ウッス!」
主将の大きな声に、全員が「えっ?」となりながらも、「ウーッス!」と続く。
「嬉しいなぁ。武士に二言はないわよねえん。
あっ、それとぉ、他校との試合のときは教えてくださるかしら?
とびっきり可愛い女子たちを連れて、チアガールをしてさしあげるわぁ」
空手部員たちは誰もが驚いた。「エエッ、マ、マジっすか!」と、お互いを見合う。
そうなのだ。
空手部の試合に大学の仲間が、特に女子たちが応援に来てくれたことなど、かつて一度もなかったのだから。
寂しい青春でもあったのだ。
それゆえ彼らも、横柄な態度でキャンパスをのし歩いていたのだ。
誰もが青春真っ盛りの、健全な男子であった。
むつみは下から見上げるように全員を見渡す。
部員たちはここで初めて、むつみのキュートなドキッとさせる表情を目の当たりにした。
こうやってちゃんと話し合えば、わかってくれるじゃない。
人と人との
あたしだって求人広告を見なかったら、社長やノリゾーさんに会うことも、
空手部の男子だって、同じ。
まっ、学食では絶対に譲る気はありませんけど。
主将を始め全員が目をそらすことなく、むつみのキュートな瞳に釘付け状態であった。
順番に頬がポッと赤く染まっていく。
「それとぉ」
「ウッス!」
「お掃除にお困りのときは、いつでもあたしに声をかけてね。
迅速丁寧激安で綺麗にして差し上げますから」
「ウーッス!」
むつみはニッコリと微笑み、バイクのセルモーターを回した。
「カタナギ・ビューティ株式会社へ、どんな汚部屋にゴミ屋敷でも、お気軽にご相談くださーい。
それでは皆さま、ごっきげんよう!」
「ウッスッ! お疲れさまっしたあ!」
いかつい道着姿の男子たちの野太い声に見送られ、むつみは笑顔を振りまきながらアクセルを吹かせていくのであった。
了
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