第二話「意外な申し出に驚愕する」
「わたしもビックリよ。
あの都市伝説が真っ赤なウソで、まさか茶道の家元が住んでいたなんて。
わたしもお茶を習って、花嫁修業しよっかな」
「その前に、わたしたちも彼氏を見つけるのが先よ」
あいちゃんは真剣な眼差しで、学食にいる男子学生たちを注視していた。
~~♡♡~~
むつみがクラスメートと学食で、沖田
「ああっ、あのう、みちこちゃん、いや、みちこさま」
その両手には綱引き競技用かと思われるような、太いロープが握られていた。
先端は刀木の手首に巻きつけてある。ちっとやそっとでは外れないように。
ロープの先には刀木を引きずるように、ノッシノッシと散歩を楽しむ土佐犬みちこちゃんの威風堂々たる姿があった。
垂れた黒目で楽しげに周囲を見回す、みちこちゃん。
「いくら季節が良いとはいえ、そんなに急ぎ足でお散歩なさると心臓に負担がかかりますわよ。
って言ってる先から、わたしの心臓がエマージェンシーだわ、これ」
一羽のアゲハ蝶が、ふわりとみちこちゃんの顔の前を通り過ぎていく。
あれは、なにかしら?
俄然みちこちゃんの興味が頭をもたげる。
いきなり太い四脚で、蝶を追い駆けだした。
「あっ! ちょ、ちょっと!
みちこさまーっ、いきなり全速で走りだされるなんてっ。
わた、わたしは二本しか脚が無いのですから、ああっ!」
刀木は足をもつれさせ、宙に舞った。
みちこちゃんはお構いなしに走る、走る、走る!
刀木は「あれーっ」っと悲鳴を上げながら、土道で全身をバウンドさせていく。
女の子だけど超怪力のみちこちゃんにとっては、刀木の体重など苦でもない。
待ってえ、アタシと遊んでくださいなあ。
つかまえられるかしら、ワタシは華麗なる蝶の女王よ。
うふふ、アタシだって闘犬界の女横綱よ。負けるもんですか。
みちこちゃんは嬉しそうに蝶を追いかけていく。
ロープは手首にしっかりと結ばれた刀木の悲鳴を、ドップラー効果で残しながら。
広い土管味ヶ丘の土地のあちらこちらには、大型重機が置かれ始めている。
長く放置されていたこの土地も、いよいよ再開発の準備が整い出してきたのであった。
~~♡♡~~
一ヶ月前に話はもどる。
ゴミ屋敷の主人である
「わしもそろそろお迎えが来ても、おかしゅうない齢になってしもうたわい。
ただのう、ご覧の通りの有様じゃで。
それは、ようわかっておるんじゃ。
心残りはの、このみちこちゃんじゃ。
わしが万が一ポックリ逝ってしもうたら、この子はたった独りで生きて行かねばならぬ。
それが
刀木は
「そうなったら否応なく、保健所にて殺処分でしょうなあ」
とたんにみちこちゃんが、グルグルッと威嚇の喉を鳴らした。
「い、いや、わたしは一般論を申してるだけなのよ、み、みちこさま」
「それでね、社長」
むつみは一歩前に出た。
「おじいちゃまは身寄りがないらしくて」
「て、天涯孤独なんだあ」
則蔵が顔を背後の刀木に向ける。
刀木はみちこちゃんと目が合わないように注意しながら、むつみを見た。
「で、わたしたちに、どうしろと」
「うん。みちこちゃんの面倒をみてくれないかって」
「はあっ?」
思わず身を乗り出す刀木。
「いやいやいや、むっちゃん。
みちこちゃんの面倒をみるって、簡単におっしゃいますけど。
いったい誰が?」
「社長」
むつみは、こともなく言い切った。
口をパクパクさせ、刀木は則蔵の背後でみちこちゃんと自分を交互に指さす。
「む、むつみさんはアパート暮らしだし、ぼくは飼ってもいいけど、かあちゃんが犬アレルギーなんだあ」
「犬アレルギーなんて、また人を
そんな症状見たことも聴いたこともな」
言いかけて、刀木はむつみに
「いこともないかなあ。
あっ、そういえば、そうそう。
そうよ、わたしも強烈な犬アレルギーだったんだ。
いやあ、残念無念。うん、思いっきり残念」
と、みちこちゃんがゆっくりと刀木にすり寄っていく。
ギクッと硬直する刀木。
ところがみちこちゃんはつぶらな黒い瞳で刀木を見上げて、甘えるように身体を押しつけてきたのだ。
「あら、社長。みちこちゃんならアレルギー症状が出ないみたい」
「えっ、あらら、本当だわ。これは困ったな。
犬アレルギーだって診断されちゃってるけど、誤診?
まあこうしてワザとらしく甘えてこられると、意外に可愛いかも」
「しゃ、社長はこれでキャバクラ道が役に立つんだあ。
やっぱし食費や睡眠を削って鍛えただけあって、種族を越えて女の子にモテるんだなあ」
則蔵は真剣に感心し、大きくうなずいた。
「いや待ってちょうだいな。
だけどわたしはあのボロビルのオフィスを、ほぼ居住区としちゃってるからさ。
みちこちゃんとオフィスで同居は、ちと無理なんじゃあないかい」
ポンッと手を打つ曲桜。
「そうじゃ!
それならこうすればいいんじゃ。
わしもみちこちゃんと離れてしまうのは、忍びないしのう」
「まさか、じいさままでわたしのオフィスに住むなんて言うんじゃ」
刀木の眉間にしわがよる。
「いんやあ、逆じゃ。
おまえさんがここへ来ればよいではないか」
「ここへ来るって、わたしは会社を経営しておってですな、こんな
それに廃墟のようなこのお家にオフィス構えてさ、お客さんがお掃除の依頼をすると思う?」
それを言うなら、現事務所も五十歩百歩よ、社長。
むつみはあの小汚い事務所を思い浮かべた。
「あいや待たれい」
曲桜が後ろ手に組んでいた手をほどく。
「わしも最期くらいは綺麗な畳の上で往生したいでのう。
実はな、この家を建て替えようと思うておったんじゃ。
ついでに、おぬしの会社をこの敷地に建てたらよかろう」
むつみは驚いて刀木と則蔵と目を合わせた。
「おじいちゃま、でも我が社には預金残高はゼロ、せいぜいキャバクラの未使用優待券がある限りなの」
いつの間にか本物の財務部長に成りきっている、むつみ。
「あ、ああ。いくら社長が、詐欺師なみに口が上手くても、銀行の融資担当は騙せないんだあ」
「心配無用じゃ。
ほれ、わしは以前にこの森以外の土地を手放したと話したろう。
そのときの売却代金は、銀行に全額預けておっての。
確か、四、五十億円は下らぬ額があるはずじゃ」
「ゲッ! ご、五十、億円ッ!」
むつみと刀木は同時に声を上げる。
「それだけあれば、そこそこの家が建つじゃろ」
「あ、ああ。モダンなビルディングが建つんだなあ」
「それにのう。
この土管味ヶ丘の再開発が始まれば、この辺りは新築住宅で埋まるぞ。
おぬしらの仕事もはかどるんではないかのう」
そうよ!
お家がいっぱい建てば、間違いなくお掃除の需要はあるわ。
わざわざメーエキに拘わる必要は、あっ! あった。
刀木は目を白黒させながらも、むつみが懸念する事項がピタリと頭をよぎった。
「仕事が増えるのはありがたいんだけど、新興住宅地にキャバクラなんてものは」
「絶対にネオンは光りません!」
むつみはビシッと刀木に言い放った。
曲桜はしゃがんで、みちこちゃんの背中をさする。
「人を信じられんようになって、
白く長い眉毛に隠れた目で天を仰ぐ。
刀木はゴミ屋敷を見やり、首をかしげた。
ええっと、
お茶の世界はまったく知らないけれど、それがいわゆるワビサビの世界なんだろうなあ。
「このお若い衆を前に、久方ぶりに茶器を持った瞬間にのう、ビビビッと全身に電気が流れたんじゃ。
わしの老いた身体に流れる血潮が、突然沸騰したかのように燃えだしたのじゃな」
つづく
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