最終章「災い転じて福となす」

第一話「転がる坂は速い」

「むっちゃんね。

 ここにおわすノリゾーさんは、そこいらのエセ鑑定士よりも目利きなのよ。

 何といっても一度頭にインプットしたら忘れない、超スーパーコンピューター並みの頭脳の持ち主ですからな。

 以前にもお仕事でお邪魔したお家で、国宝級の浮世絵を発見しちゃてるんだよ」


 それはむつみも知っている。

 ヌボーッとしていながらも、突然人が変わったかのように頭を働かせることも。


 みちこちゃんと遊んでいた曲桜まがざくらは顔を上げた。


「みちこちゃんがここまでリラックスするなんざ、何年ぶりかのう。

 ところで、話はまとまったかな」


「話とは?」


 刀木かたなぎはむつみに訊く。


「うん、そうなの。

 ここにあるゴミは全部片付けていいって」


 おっしゃあっ、と刀木は手を打つ。


「これで弁道べんどう専務殿とかわしたミッションが、コンプリートだぜっ」


「ただし、条件があるのよ」


 喜びの舞を踊っていた刀木が、ふと止まる。


「えーっと、条件って、なにかしらねえ」


 ~~♡♡~~


 カタナギ・ビューティが沖田ソウGソウジー社から依頼された案件を見事にクリアしてから、一ヶ月後。


 流れる風に、うっすらと紅葉の色が染まっている。


 薄手の黄色いシャツの上にブルゾンのジャケットを羽織り、ダメージジーンズを履いた姿でむつみは学食にいた。


 テーブルの上には毎度おなじみの、A定食のご飯大盛りがドンぶりいっぱいに盛られている。


 食欲の秋だからであろう。

 いや、むつみは年中食欲の秋なのだが。


「あっ、いたいた」


 トレイにきつねうどんを乗せた真由ピーと、サンドイッチにコーラのペットボトルを乗せたあいちゃんがやってきた。


「いくらこの季節と言えどよ、まあよくもそんなに油ぎったランチをさ、毎日飽きずに食べようなんて気になるわね」


 真由ピーはため息を吐きながら、むつみの前に置かれたフライものをのぞき込む。見ただけでもうお腹が一杯の錯覚にとらわれる。


「暑ければ暑いほど、寒ければ寒いほど、あたしの食欲は全開になりますのよ。

 おほほっ」


「むつみを学内で探すなら、いの一番にこの学食だよね。

 講義以外は大抵ここで何か食べてるから」


 あいちゃんも、げんなりとした表情を浮かべる。


「さあ、栄養をしっかりと補給して、午後も頑張りましょう!」


 むつみは箸を持った手を振り上げた。

 運悪くちょうどその後ろを、空手着姿の男子学生が通りかかった。


 スキンヘッドに、眉毛までそっている顔は、かなりコワイ。

 偶然とはいえ、よくよく空手部員に縁がある。


 むつみの手が、スキンヘッドの両手に持っていたトレイにぶつかる。

 トレイに乗せられていた大盛りざるそばの麺つゆがはねて、道着の胸元に飛び散った。


「あっ!」


 真由ピーとあいちゃんは悲鳴を飲み込んだ。


 周囲のテーブルで中華そばやパンをかじっていた、他の学生たちの動きも止まった。


 間違いなくあの女子は土下座で謝罪させられ、驚くような額のクリーニング代を請求されるのだと、誰もが思った。


 スキンヘッド野郎のトレイを持った腕が、プルプルと震えている。


 これはとんでもない惨事が起きてしまう。


 ところが、様子をうかがう全員の期待、いや、思惑は大きく外れたのであった。


「ああん?」


 先にいぶかししげな声を上げながら、むつみが首を曲げ、後方に立つスキンヘッド野郎を見据えたのだ。


「ゲーッ、サ、サイ子ッ! さ、さまーっ!」


 なんとその空手部員は、声をひっくり返し、真っ青になった顔に汗をしたたらせながらあわててトレイを床に置くと、両膝をついてむつみに土下座するではないか。


 えっ?

 なぜ?

 どうして?


 真由ピーもあいちゃんも、その他大勢の学生たちも思わぬ展開に疑問符を頭上にかざす。


 スキンヘッド野郎は「顔を覚えられたら、マズイ!」の一心で顔を抱えるようにひれ伏す。


「こっちは大丈夫だけどさあ。

 ちゃんと前を向いて歩きなさいよね。

 そのトレイにこぼれたお汁も、ちゃんと綺麗にいただいてよ。

 おばちゃんが精魂込めて作ってくれた、大事な出汁だしなんだからさ」


「も、もちろんっす!

 すいやせんっしたっ」


 スキンヘッド野郎は顔を道着のたもとで隠すように立ち上がると、床からトレイを持ち上げて、ピューッと物凄い早足で立ち去って行く。


 真由ピーとあいちゃんは共に口をポカンと開けたまま、むつみの顔を凝視している。


「ったく、今どきの若い男子ってさ、平気でご飯を残しちゃうから。

 考えられないわよ」


 ぶつぶつ言いながら、むつみはトンカツを二切れ箸でつまんだ。


「えっ、どうしたの、ふたりとも。

 食欲ないならあたしが手伝ってあげるけど」


 ふたりは大きく顔を振った。

 ナニがなんだかさっぱりわからない。


 ただ空手部の猛者にからまれなくて良かったと、ホッと胸をなでおろす真由ピーとあいちゃんであった。


「そうそう、今日の朝刊、見た?」


 あいちゃんがサンドイッチを持ったまま訊く。


「ああ、見たわよ」


「えっ、見てない」


 真由ピーとむつみが応える。


「ほら、以前むつみがお仕事絡みで言ってた、あの沖田ソウGって会社よ」


「そう、わたしも驚いた。

 何でも下請法違反とかなんとかで、行政処分だってね」


「うん。上場準備までしていたんだって。それももちろん白紙撤回。

 パールホワイトのようなクリーンなイメージから、真っ黒クロスケのダーティ・ブラック企業の烙印が押されたわね」


 むつみはご飯で頬を膨らませながら、二人の話を聴いている。


「イメージダウンもいいとこ。

 むつみ、社長さんや男性社員はカッコ良かったって言ってたけど、下請けイジメするような会社じゃ誰もお掃除なんて頼まないよ」


 フヘーッ、そんなことになっていたんだ。

 当たり前よね。

 あたしたちの善良さに付け込んで、トンデモ物件を回しっちゃってくれたんだから。

 でもそのお蔭で、災い転じてトマト茄子ナス

 あれ、キュウリだっけか。


「社長さんや役員さんたちは降格だって。

 社会は厳しいなあ」


 真由ピーは椅子にもたれながら、ため息をともにつぶやいた。


 ~~♡♡~~

 

 沖田ソウG社では現会長で創業者である、沖田そうの父親が再び社長を兼務することになった。


 会社創業以来の不祥事とあり、主要取引銀行の幹部、沖田一族の株主たちも集まって連日連夜話し合いがもたれたのである。


 沖田ソウG社と清掃契約していた多くの大手企業も、対岸の火事ではなかった。

 要らぬ疑義を消費者に持たれてしまっては、本業に差し支えてしまうかもしれないからだ。


 全国の支店では、個人顧客からの問い合わせで、電話回線がパンク状態となっていた。


 法人、個人合わせて時間を追うごとに、契約解除が相次いでいったのである。


 そのため、沖田ソウG社は次期決算で大きく赤字転落するであろうことは、プロの証券アナリストでなくても分析できた。


 社長職の任を解かれた沖田壮は父に依願退職を申し出るも、「尻拭いを人にさせることは、まかりならん」と厳しく戒められ、社長職の任を解かれた上、役員秘書室の一課長として降格処分されることになったのであった。


 弁道べんどうは専務取締役の肩書きを外され、資料室付き部長に降格された後、依願退職を申し出た。

 これは即受理された。


 下請法違反で摘発されたとき、弁道は「全ての責任は自分ひとりにある」と腹をくくった。


 部下たちを道連れにしなかったのは、やはり弁道も会社を愛していたからに違いない。


 いずれ沖田ソウG社は復活するであろう。

 そのときに会社を支えていく優秀な人材を、今回の件で失うことは未来を放棄することになる。


 爬虫類のような冷血漢弁道にも、少なからず人の心はあったということである。


 このような人事関係の詳細は報道されることはなかった。

 未上場企業であるため、一般にディスクローズする必要がなかったからである。


「ところで、むつみ」


「うん?」


「アルバイト先が移転したって言ってたけど、ミニバイクはもう買ったの?」


「買ったというよりも社用車ってことで、会社から借りてるパターンよ」


「だって、原付の免許代金も会社が出してくれたって話じゃない」


 あいちゃんがコーラのペットボトルを傾けた。


「まあね。真由ピーが教えてくれた『禍桜まがざくらの森』に、まさか当社社屋が建つだなんて、思ってもみなかったけど」


 むつみは笑った。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る