第五話「事実は小説よりも奇なり」

 曲桜まがざくら老人は心の中にくすぶっていた言葉を拾いあげるように、二人に告げた。


「それはのう、お嬢ちゃんや。

 わしは人と接するのが疲れたから、かもしれんわい」


「疲れた?」


「さようじゃあ」


 曲桜は手繰りたくはない記憶を引き寄せるように、顔を斜め上に向けたのであった。


 ~~♡♡~~


「ねえ、もう諦めようよ。

 わたしなんてお口にしたところで、なんのメリットもないのよ。

 はっきり言って自慢じゃないけど栄養は超不足、上質なお肉よりもギタギタの脂身がほとんどなんだからさ。

 絶対にまじいって。

 神さまに、かけちゃってもいいよ。

 もうワンころなんて言わないからさあ、お願い、許して」


 刀木かたなぎはドアロックをしてあるものの、それでも安心できずに内側からドアノブを必死に引っ張っていた。

 クラクションを鳴らそうが、みちこちゃんは引き下がらない。


 凶暴な闘犬と化したみちこちゃんは口吻こうふんをめくりあげ、五センチはあろうかと思われる鋭い牙でさかんにウインドウガラスに噛みつこうとしている。


 ガッ、ガッ、ゴツッ、ゴツッ、とまるで五寸釘でガラスを破ろうとするような音が車内に響いてくる。


 子どもの掌よりも大きな前足でバンバンとドアを叩かれて、刀木は生きた心地がしない。


 いっそうのことエンジンを掛けてこの場からづらかっちゃおっかなとも思うのだが、後日むつみから投下される激烈な怒声の絨毯爆撃を考えると、それもできないでいた。


「でもこの際だから仕方ねっか。

 なんだかんだと後付け講釈垂れて相手を丸め込んじゃうるのは、わたしの十八番おはこだしな。

 そうだ!

 緊急の案件がクライアントから入ったなんて言っちゃえば、『さすがは社長ですう』って尊敬の眼差しで納得してくれるかも。

 仕事に奔走するCEO、いいじゃないよぅ、わたし」


 口笛を吹きながらポケットをまさぐる。

 胸や腰を左手で叩いたりしながら、軽やかに吹き続ける口笛のテンポが、徐々に落ちていく。

 そして手の動きが止まると、口笛も止まった。


 しばらくのちに、刀木は肝心な事にようやく気づいたのである。


「アッチャーッ、よーく考えて見ますれば、わたしって携帯電話なんて最初はなっから持っていなかったんだわ。

 いやあ、まいった。これはまいりましたわな、鋭作えいさくさんよ。

 なぜ現代人の必需アイテムである携帯電話を持っていないのよ?

 などと自問自答したところで、ないものはない。

 さあ、わたしの明晰なる頭脳よ。

 この窮地を救っておくれでないかい」


 達観したような表情を浮かべ、今度はフロントガラスに前足を引っ掛けてガリガリしているみちこちゃんに視線を合わせた。


「どうしてあなたはわたしを目の敵になさるの。

 いったいわたしが何をしたというのよ。

 もしわたしのけがれなき純粋なこの心の内があなたに見えるのなら、どうぞ気づいてちょうだい。

 わたしは善良な、害意の欠片もない、見目麗しい天使のような男だってことに」


 ガラスを突き破る心配はないとたかをくくっているため、刀木はハンドルに両前足を乗せて、よだれでガラスをベチョベチョにしているみちこちゃんの垂れた黒い眼を見つめる。


 ふいにみちこちゃんの姿が視界から消えた。


「はあっ、こんどはバックドア辺りから攻撃再開ですかな」


 言いながら後方を確認しようとして、目の隅で巨大な土佐犬がゴミ屋敷のほうへ駆けて行く姿を捉えた。


 ゴミの山から、作務衣姿の老人と待ち焦がれた仲間、むつみと則蔵のりぞうが姿を現したのだ。


 意気消沈していた刀木の表情に、再びサンサンと陽の光が差し込む。

 ドアウインドウを手動で下げ、急いで顔を外へ出した。


「オオーイッ、ここだここだーっ、早く社長であるわたしを救出に来てちょーだーいっ」


 山で遭難した登山者が、救助に来たヘリコプターに向かって手を振るように、刀木は腕もちぎれんばかりに振るのであった。


 ~~♡♡~~


 みちこちゃんは草原にお腹をみせて大の字になり、お腹を老人にさすってもらっている。


 その姿を横目に、むつみと則蔵は刀木に経緯を説明した。


「つまりだ。

 あのじいさまは元々ここいらの大地主で茶道の先生であったと。

 本人は土地を売るつもりはこれっぽちもなかったのに、バブルの時代に口八丁手八丁で不動産業者に半ばだまされるようにして土地を買いとられてしまった、つうことですな。

 人の良いじいさまを騙すなんざ、わたしのように正義感に満ちあふれるナイスガイからすれば、極悪非道もいいところじゃないよ」


「ちゃんとご自身と向き合ってくださいよ、社長。

 まるで社長のことじゃないですか、口先三寸って」


「あ、ああ。ぼくもおじいちゃんの話をうかがいながら、これは社長が若かりし頃に手を染めた悪事だったんだって思ったんだあ」


「いやあのね、おふたかた。

 バブルの時代ってわたしはまだこの世に生をうけたばかりの、それはそれは可愛い赤子だったのよ」


「ああ、そ、それじゃあ社長のおとうさんか」


「待った待った。いったんわたしから話題を変えておくれでないかい。

 聞いてると、わたしの一族がとんでもない悪漢にされちゃってるし」


 むつみはゴーグル越しに、みちこちゃんと戯れる曲桜の背中を見つめる。


「だから、それ以来完全に人を信用できなくなっちゃって、唯一この『禍桜まがざくらの森』だけは手放さずに社会から身を隠したそうなの。

 実際には、わざわいいの桜じゃなくて、曲がった桜なんだけど。

 それよりも、なんだかお話を聴いているうちに、あ、あたしは」


 ゴーグルの内側にとめどもなく涙が溜まっていく。

 防塵マスクの隙間から、鼻水がにじみ始めた。


「それじゃあなにかい。

 むっちゃんがご学友から聴いたっていうあの妖怪話は、根も葉もないちゃちな作り話だったってことかい」


「うん、そうなる。

 この辺りの町内会にも自治会にも入らずに、ただ毎日を森の中だけで、たった独りで過ごしていたんだって。

 それと、たまに夜中に不審者がこの森へ侵入してきたときに、みちこちゃんが吠えて追っ払ってたらしいのよ。その唸り声が響き渡って、不気味な化け物の遠吠えと勘違いされたんじゃないかしら」


 巷で噂になる都市伝説は、案外こうしたなんでもない話が面白おかしく、いや、不気味な話として語り継がれているのかもしれない。


「そ、それと、何度か区役所のお役人やら民生委員に警察も来たらしんだあ。

 でもおじいちゃん、あまりにも人に裏切られた傷が深すぎて。

 それで数年前にこの森に捨てられていた、みちこちゃんを飼うようになったんだって」


 則蔵の言葉に刀木は首を傾げる。


「じゃあさじゃあさ。このゴミ山は、じいさまはどうやって作ったのよ。

 どこからか拾ってきたのかい?」


「それがね、社長。

 このゴミたちは、誰かわからないけどこの森に不法投棄していったものなんだって。

 おじいちゃまは、せめてこの森だけは自然のまま残しておきたいからって、ゴミを見つけては家の周囲で保管するようになったらしいわ。

 みちこちゃんもそうなんだけど、おじいちゃまは勝手に棄てられたゴミたちを見ているうちに、ご自身の姿が重なってしまって、どうしようもなく愛おしく感じるようになっちゃったみたいなの。

 ゴミだとはわかっていてもね」


「ははあ、なんとなくだけども、絡繰からくりが見えてきたような」


 むつみは背伸びして刀木にささやく。


「それでね、社長。

 もっと大変なことをノリゾーさんが発見したのよ」


「えっ? まさか家の中に白骨死体でも」


「なんでそうなるのよ。

 違うわ。

 あのおじいちゃまは、茶人さじんだって言ったでしょ」


「ああ、あの五七五な。うんうん」


「それは俳人はいじん

 茶道の由緒正しき家元の末裔まつえいなのよ。

 それでね、家の中もゴミで散乱してるんだけど、とんでもないお宝がいっぱい眠ってるのよ」


 刀木は思わず目を光らせる。


「なに、お宝とな!」


「あ、ああ。ぼ、ぼくが観た限りでは、多分だけど時価で億の単位を越えるなあ」


「はっ! 億っ」


 くらりと眩暈めまいを覚える刀木。


「でもノリゾーさんの鑑定眼って、確かなの?

 ウンチクだけは凄いなって思うけど」


 むつみの懐疑心を、刀木が覆えす。


 つづく

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