第三話「ガーベージハウスへ、いざ招かれん」

「社長はどうするの」


「社長は、みちこちゃんに遊んでもらっておけばいいかなあ。

 こ、これで社長がキャバクラ道一本やりから、ハッと目覚めてくれるかも」


「了解」


 むつみはカタナギんちゃん号の中で身を縮めながら、みちこちゃんの咆哮に顔面を蒼白させ、心底震えあがっている刀木かたなぎの姿を確認した。


「お、おじいちゃん。じゃあ、お邪魔してもいいかなあ」


「無論じゃ。

 ああ、履物はそのままでいいぞよ。わしの家は西洋風に、土足でオオケイじゃ」


 老人は言いながら、ゴミの山の間をすり抜ける。

 むつみは則蔵のりぞうと一緒にその家の中へ招待された。


 予想通りであった。

 むつみは玄関とおぼしき傾いた引き戸から、室内をのぞいて「ああっ、やっぱりだあ」とゲンナリする。


 下駄箱も三和土もまったく関係なく、束になった新聞紙、紐でくくられた衣類、しみだらけの段ボール箱、ペットボトルに空き缶などのゴミが山積みであったのだ。


 土壁にはいったいいつの時代の物なのか、大相撲の取り組み表や昭和の年号の入ったカレンダーが半ば色あせて壁と同化している。


 こんな場所に靴を脱いで上がろうもんなら、すぐに足の裏が傷だらけよ。


 ゴーグル越しにむつみは顔をしかめる。

 さらに防塵マスクをしていても、すえたような腐敗臭が嗅ぎ取れる。


 しかも外では気にならなかったが、家の中にはいったいどこから集まったのかと思えるほど、蝿が編隊を組んで爆撃機さながらに、我が物顔で飛び回っている。


 むつみの視界は、床や壁を問わず、これまた何十匹ものゴキブリが動き回っている姿を捉えていた。


 その異様な光景に、慣れているとはいえ、むつみの背に冷たい汗が流れる。

 殺虫剤をワンダース使用しても、殲滅させることは無理であろう。


 老人は慣れた様子でスタスタと先へ進んでいく。

 よく足元を見れば、作務衣に似合わぬ迷彩柄のクロックスを素足に履いていた。


「こっちじゃ、こっち」


 老人が手招きする。 


 むつみは例によって則蔵を先に行かせ、背中にくっつくように歩を進めるのだが、時折靴底にイヤな感触を受ける。

 踏んではいけないナニかであろうが、あえて気にしない。


 半年間、ここまで圧巻なゴミ屋敷ではないにしろ、さまざまなお掃除の行き届いていないお宅にお邪魔してきた。


 ネズミの死骸など、可愛いものだ。

 得体のしれない爬虫類の干からびた末路や、白骨化した小動物まで処理してきているのだ。


 多分建てた当初は部屋ごとに襖やドアがあったのだろうが、現状を確認する限り室内はその仕切りさえゴミの大群の一部と化しているように思われる。


 応接間。

 なのであろう。

 カタナギ・ビューティ本社に設置してあるボロソファが高級に感ずるほど、汚れた向かい合わせのソファが置いてあったから。


 色々な種類の液体、お茶、コーヒー、ジュース、サラダ油、醤油にソースまでをドラム缶にひたひたにさせ、布製ソファをグツグツと煮込んだらこんな風合いになるのではないか。


 周囲には欠けた食器類や靴箱、それにパンパンに膨れたコンビニの袋などが散らばっていた。

 ソファに挟まれるように置いてあるテーブルの上には、酒瓶やペットボトル、電話帳にカップ麺の容器が何段にも重なっている。


「うむ、おぬしたち、ゆっくりくつろいでくれろ」


 老人は定席なのであろう、窓際のソファに腰を降ろして胡坐をかいた。


 座ったら間違いなくこの制服のお尻に、あの汚れがこびりついちゃうわ。


 そうは思ったが、今さら立ったままというのもおかしい。


「そ、それじゃあ、遠慮なく」


 則蔵はまったく意に介しない様子で、老人の反対側のソファに巨体を沈めた。


「失礼し」


 むつみは座ったとたん、お尻にグニャリと粘着質の感触があり、いったん目をつむり開いて「ますっ」と吐き出すように言った。


「この部屋に客人を通すのは何年ぶりかのう。

 いや、かれこれ二十年以上ぶりじゃな」


 老人は背をもたれさせ、腕を組んだ。


「おじいちゃまは、ここにお独りでずっと暮らしてらっしゃるの?」


 むつみの問いに、老人はうなずいた。


「みちこちゃんがいてくれるでの」


「可愛い女の子ですもんね」


 むつみのお愛想に、老人は相好を崩す。


「おおっ、お嬢ちゃんもみちこちゃんの魅力がわかるとは! 

 うむっ。

 今どきの若い連中はわしを変人扱いしおって、みちこちゃんとわしの愛の巣を壊そうとしか考えておらぬ。

 じゃが、この若い衆とお嬢ちゃんは人の機微がようわかっておる。

 そうじゃった!

 茶の準備じゃったな」


 老人はピョコンとソファから飛び降りた。


 いやいやちょっとおじいちゃま、この生活環境を拝見した後でお茶を出されても、通常の感覚の持ち主であるあたしは、パーフェクトにご遠慮いたします!


 いくら使用中の箸でゴキブリを掴もうと、それとこれは違う。らしい。


「ところでまだ自己紹介をしておらんかったの。

 わしゃあ、曲桜まがさくら甚右衛門じんえもんじゃ。

 曲桜家第十四代の当主じゃ」


「あっ、あたしは蓮下れんげむつみと申します。

 私立中京都ちゅうきょうと大学文学部英文科の二回生で、カタナギ・ビューティ社の財務部長です」


「ほほう、まだお若いのに、部長さんとはのう」


 ここでむつみは気づいた。


「えっ、マ、マガザクラァ?」


「さよう。曲げるに桜の木じゃ。珍しかろう」


「だって、このおじいちゃまの住む森は、禍々まがまがしいの禍に桜で『禍桜まがさくらの森』って呼ばれてて、吸血花を養殖してるんじゃ」


 曲桜甚右衛門は、カラカラと笑った。


「いかにも、ここは我が曲桜家の森じゃ。

 はて、その禍々しいオクラにキュートな汚職とは、なんじゃな?」


 のっそりと則蔵がソファの背もたれから、大きな身体を起した。


「ぼくも、一服お茶をいただきたいなあ」


 則蔵はあえて話題を変えるように、むつみの視線から老人を隠す。


「おお、そうじゃったの」


 はたと手を打ち、ソファのある部屋からゴミの間をすり抜けていく。


 それにしても、いったいどうやってこんな環境で生活をしているのか。


 食事は?

 お風呂は?

 お洗濯は?

 ところで、ライフラインって整備されてるの?


 むつみはテーブルの下に丸められた衣類の塊に目をやり、何気なくシューズの爪先で触った。


 その衣類の塊では、どうやら百足むかでの一族が暮らしていたようだ。

 中から何十匹もの百足の大群が、ワラワラと這い出てきた。


「ひえーっ」


 さしものむつみも思わず悲鳴を上げてしまった。


 あっという間に百足一族は新たなる安住の地を求めて、他のゴミ山へ消えていった。


 それにしたって、この充満している臭いは尋常じゃないわね。

 鼻がなかなか慣れないわ。

 ここでもしこの防塵マスクにゴーグルをはずしたら、間髪入れず昇天すること請け合いだわね。


 脱臭作用の強力なマスクでさえ、酸い臭いがすり抜けてくる。


 ここで本来なら気づかねばならないのに、むつみは百足に気を取られてうっかりしていたのだ。

 お茶をいただくには、絶対にマスクをはずさなければならないことに。


 ~~♡♡~~


 主任を入れて十名の公正取引委員会審査官たちは、一斉に検査着手し始めた。


 会議用の一室を借り受け、そこに営業管理部門、総務経理部門、研究開発部門、そして総合企画部門から次々と関係書類を運び入れる。


 社内は、寝耳に水の立ち入り検査に対し、不穏な空気に包まれていた。


 主任は弁道に命じ、コピー機と社内の回線に接続しているパソコンまでも運び込ませている。


 もちろん機密事項にあたるファイルにはロックが掛けられているが、それらはすべてフリー状態に解除させていた。


 審査官たちは、担当部署の社員に必要な書類を会議室に運ばせる。


 弁道べんどうは社長室の階下にある専務室にいた。


 自分のデスクに両肘をつき、顎を乗せて宙の一点を見据えたまま動かない。


 審査官は己を捜査のプロだと言った。単なる役人ではないということなのだ。

 

 今までも公正取引委員会が摘発した大きな事件は多い。

 名だたる上場企業でさえその対象であるのだ。


 大手パソコン部品メーカーによる私的独占、旅行業者によるカルテル、アイスクリーム製造販売業者による再販売価格の拘束、大手家電販売業者による優越的地位の乱用など枚挙にいとまがないほどである。


 つづく

 

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