第二話「ゴミは宝物?」

 弁道べんどうの顔に死斑が浮き出そうになった。

 いや、すでに心は肉体の隅々にその準備をしたほうがいいぞと伝達して回っている。


 国税庁や労働基準監督署が査察に来たときには、すでに動かぬ証拠を携えていることを弁道は経験上知っている。


 だからこそ、抜かりなく今までやってきた。


 だが公正取引委員会が調査に来るなんてことは、まったくの想定外であったのだ。


 さんざん下請け業者を泣かせ搾り取ってきたことが露見すれば、間違いなく行政処分、そして大きなスキャンダルに発展するであろう。


 そうなれば取引先の銀行や上場準備に関わる証券会社が難色を示すのは、火を見るよりも明らかなのだ。

 大事な得意先も失ってしまうであろう。


 現社長は確かに切れ者だが、しょせんドブ板営業など知らぬおぼっちゃんである。


 弁道はソファに張り付いたように動けなくなっていた。


 ~~♡♡~~


 むつみは突然現れたその老人を、驚愕の面持ちで見据えた。

 刀木かたなぎが襲われたことよりも関心度が高かったのだ。


 老人は白髪を肩まで伸ばし、鼻から下はこれまた真っ白な髭をたくわえている。


 濃紺の作務衣と見えていたのは、実際には生成きなりの生地が汗や垢、その他、油や土で変色していたのだと、これは後からわかる。


 やや背を曲げた姿は、映画などに出てくる仙人のように見受けられた。


「みーちこちゃんや、その御仁に牙を立てたら、ご飯は抜きじゃな」 


 眉毛も白く長い。そのため両目が隠れていた。

 ゆっくりと首を振る老人。


 みちこちゃんと呼ばれた土佐犬は、今まさに刀木の喉笛に鋭い牙を突き立てようとする寸前であった。


 クゥン、と喉を鳴らし、刀木の両肩に乗せていた前脚を降ろす。

 中腰で車のドアに寄りかかっていた刀木は、そのままズルズルと地面に尻をついた。


 大型犬がノッシノッシと、草を踏む音だけが周囲にこだましていく。


「ほほう、そのナリを見るに、おぬしらもここを片付けにきおったのか」


 老人はかたわらに寄り添うみちこちゃんの頭をなでながら、三人に顔を向ける。


 むつみは刀木を振り返るが、完璧に白目を向いて気絶しているのがわかった。


 素直に手を挙げて「はい、そうです」と口を開こうとしたとき、草の上に体操座りしていた則蔵のりぞうが先に「あ、ああ。よくわかったねえ、おじいちゃん」とのんびり欠伸をするような穏やかな声で言った。


 そりゃこのスタイルを見たら、十人中十人は間違いなくそう思うって。


 むつみは心の中でツッコむ。


「ぼ、ぼくたちは、このお家のお掃除にやってきたんだあ」


「また区役所の連中が、余計なことを企んでおるようじゃな」


 老人はあらためて則蔵を見た。

 と思われるが、垂れ下がった眉毛に隠れて目の位置が把握できない。

 その眉が動いた。


「ところで、おぬしよ」


「あ、ああ。ぼくのことかなあ」


 則蔵は自分を指さす。


「さよう。おぬしは何者ぞ。

 このみちこちゃんが一目惚れする男など、このわし以外にはおらぬと思うておったんじゃが」


「ぼ、ぼくは生沼なまぬま則蔵、二十四歳独身。

 干支は丑。

 星座は乙女座。

 生まれも育ちもナゴヤ市。

 現在花嫁募集中。

 かあちゃんが人に訊かれたら、そう言えって」


 いやいや、ノリゾーさん、花嫁の前にまず恋人。

 おっとその前に、女性の友だちをつくるほうが先じゃないのよ、ちょっと。


 むつみは、ここは真剣にツッコもうと思った。


「ほっほっほ、おぬしはなかなか面白い男じゃな。

 みちこちゃんは面食いじゃで、よう見たら良い面構えをしておるの」


「この顔は、かあちゃんに瓜二つなんだあ。

 背や体重はまだかあちゃんには追いつかないけど」


 ゲゲッ!

 ノリゾーさんのおかあちゃんって、女相撲か女子プロレスラーだったの!

 ところで、この謎のご老人はどなた?


 むつみは首を傾げる。


「どれ、久方ぶりの客人じゃ。

 茶などを立てて進ぜよう」


 その言葉に、則蔵の眉がピクリと動いた。


「ちょ、ちょっとおじいちゃま」


 むつみはあわてて挙手した。


 もしやこのゴミ屋敷の住人?

 それでもって悪魔を崇拝する邪教の信者?

 そんな恐ろしげな人には見えないいんだけどなあ。


「おや、よう見たら女子ではないか。

 大きな眼鏡にマスクをしておるんで気が付かなんだわい」


「あのう、おじいちゃまはここにお住まいなんですか」


「さよう。わしとみちこちゃんの愛の巣じゃ」


 みちこちゃん?

 ああ、そういえばこの凶暴なワンちゃんって、メスだったのね。

 まっ、生物って、女のほうが意外と強くて残忍なんだけども。

 愛の巣って、どういうこと?


「実はあたしたち、区役所から頼まれてここのゴミ屋敷、違った、愛の巣を綺麗にしなければならないのです」


 老人はむつみの言葉に、やれやれと首を振った。


「この森一帯はの、お嬢ちゃん。わしの所有地なんじゃ。

 それにここに展示してあるのはゴミではないぞよ。

 わしの宝物なんじゃ」


 宝物って。

 どう見てもゴミ以外のナニモノでもないわよ。


「したがってじゃ。

 なんぴとたりとも、この展示品に手をつけることはまかりならん。

 以前にものう、何件かのお掃除屋が来たがの。

 きゃつらはみちこちゃんのタイプじゃなかったもんじゃから、散々みちこちゃんにもてあそばれて退散しおったわい」


「た、宝物かあ」


 突然則蔵が立ち上がり、家の前に展示、いや放置されているゴミの山に近寄る。


 そこへようやく気絶から目覚めた刀木が、カタナギんちゃん号のドア越しに声を掛けてきた。


 いつみちこちゃんに襲撃されてもいいように、すでに下半身は車の中にあった。


「あのね、じいさま。

 わたしらは区役所からだい執行の令状を持ってきてるのよ。

 アンダースタン?

 だからね、いくらじいさまがお宝だなんておっしゃっても、無駄ってえわけ。

 綺麗にしてさしあげますから、とりあえずその犬コロを檻かどこかにぶち込んでおいてちょうだいな」


 老人はかたわらにお座りしているみちこちゃんの肩を、ポンと叩いた。

 攻撃命令が出たと判断し、大地を蹴ってみちこちゃんが駆けだす。


 グゥオンッ!


 太い吠え声とともに刀木に襲いかかる。


「ヒッ、ヒエエッ」


 あわてて車内に身を隠し、ドアをロックする刀木。

 みちこちゃんは前脚をドアに立てかけ、吠えながらガラス窓に噛みつこうとしている。


「だ、誰かあっ!

 ノ、ノリゾーやーいっ、むっちゃーん、助けてえ!」


 老人は後ろ手に組み、その様子を面白そうにながめた。


「無粋な男のようじゃな。

 みちこちゃんを犬コロなどとは不届き千万。

 みちこちゃんは檻で飼わねばならぬほど、凶暴ではないぞよ。

 心優しき乙女じゃ」

 

 いえ、どう見ても獰猛な獣です、おじいちゃま。

 

 むつみは刀木などみちこちゃんの生贄いけにえになってもらっても一向に構わないと思いつつ、芥子粒けしつぶのような憐れみの感情を抱いた。


 なんだかんだと言いながら、半年一緒にお仕事をしてきた仲間であるのだから。


「ふーむ。た、宝物ねえ」


 社長が襲撃されているにも関わらず、則蔵はゴミ山を検分しながら指で丸い顎をさすっていた。

 老人は則蔵のかたわらに寄る。


「どうじゃな、わしの宝物は」


「お、おじいちゃん」


「おうよ。もし気に入った宝物があれば、おぬしになら、やらんこともないぞよ」


 ちょっとノリゾーさん、気は確か?

 どうひっくり返してもそれはゴミよ!


 むつみも気がきではなく、二人の後ろに近づいた。


「な、なんていったらいいのか。

 もしかしたら、お家の中にも秘蔵品があるんじゃないかなあ」


「むむっ。

 おぬし、かなりの目利きとお見受けする。

 気にいったっ!

 ぜひご披露してしんぜよう。

 狭い我が家じゃが、遠慮のう上がってくれろ」


 むつみは則蔵の袖を引っ張る。


「ノリゾーさんっ、ちょっと大丈夫?

 これが宝物だなんて」


「あ、ああ。むつみさんも一緒にお邪魔しないかなあ」


 むつみは則蔵の小さな目が、いつになく瞬きしているのに気付いた。


 おっ、もしやノリゾーさん、なにか考えがあるのね。

 でもこの得体のしれないおじいちゃまを丸め込む話術なんて、ノリゾーさんに期待しちゃっていいの? 口先三寸の社長ならいざしらず。


 つづく

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