第五章「あばかれるゴミ屋敷の正体」
第一話「どちらも万事休す」
「ねえ、ノリゾーさんっ。その子、危険じゃないの?」
笑いながら土佐犬と転がっている
「あ、ああ。だ、大丈夫だあ。とても人懐っこい子なんだあ。
あははっ、み、耳をなめられるとなんだか気持ちいいなあ。
そ、そういえば昨日出会ったのは、この子だったかもしれない。
お、思い出した」
大量のゴミ山の前で、呑気に大型犬とたわむれる則蔵。
「あたしでも平気かな」
「あ、ああ。こ、この子は、身体は大きいけど、とっても優しいみたい」
むつみはゴクリと喉を鳴らして、ゆっくりと近寄る。
土佐犬は長い舌で則蔵のゴーグルとマスクをべしょべしょにしながら、顔をむつみに向けた。
一瞬緊張感が走るむつみ。
だが杞憂に終わった。
土佐犬は則蔵のお腹にのっかっていたが、むつみが近寄るとむっくりと上体を起してむつみの足元に寄って来た。
大きな顔でむつみの腰辺りをクンクンとしながら、尻尾を振る。
恐る恐るむつみは手を伸ばし、みじかい赤毛の頭をそっとなでた。
土佐犬は嬉しそうに垂れた目を細める。
あら、意外に可愛いじゃない。
思い切ってしゃがみこんでみると、意外につぶらな黒い瞳がむつみを見つめる。
「なになに、可愛い犬じゃないですか」
いつの間にか
むつみに頭をなでられていた土佐犬の表情が一変した。
グルグルッ、と喉の奥から威嚇の声を鳴らして、口吻をめくり上げる。
あらっ、この子の眉間に深いしわが。
むつみがそう気づいた途端、グワッ! と一声鳴らすといきなり刀木目がけて犬が駆けだした。
「しゃ、社長!」
「はいっ?」
土佐犬は闘争心むきだしの姿勢で、宙に舞った。
「えっ? ええっ!」
万事休す。
闘犬本来の攻撃を、刀木に向けて一気に放出する土佐犬。
「ヒエェェッ」
刀木は腰を抜かしてドアにもたれ込む。
よだれを後方にまき散らしながら、土佐犬は大きな口を開けてその鋭い牙で刀木を襲った。
その時だ。
「これっ! みーちこちゃん!」
しわがれた声が鋭く飛んだ。
むつみは振り返った。
そこには濃紺の作務衣を着た、白髪の老人が立っていたのである。
~~♡♡~~
沖田
社長席側のソファに腰を降ろしているのは、社長の沖田と専務の
その向かい側には、公正取引委員会の主任審査官が座っている。
「お話はわかりました。わたしたちは当然全面協力を惜しみませんよ。
しかし、まさか公正取引委員会のかたとこうしてお会いできるなんて、まったく思いもしませんでしたよ。ハハハハッ」
爽やかな笑顔を沖田は向けた。
「代表取締役自らそう言っていただけると、我々としても大変ありがたいですな」
ソファに腰を降ろす男は低い声で言う。
口調は紳士的であるものの、その
「もちろんですとも。
わたしは社長なんて肩書がついておりますが、実質の商売に関してはこの弁道専務のほうが詳しいのです。
なんと言っても、わたしの父の代からこの会社の番頭を務めてきておりますから」
沖田に言われ、弁道はぎこちない表情で前に座る男に目を合わせないように首肯する。
「みたいですな。
営業に関しては、弁道さんが全権を担っている」
「そう申し上げても過言ではありません。
わたしはどちらかと言えば、清掃用商品開発や研究のほうに目を向けていますから。
元々大学では
公正取引委員会のおかたなら無論ご存じでしょうけど、物質を変換するというのはですね、環境にやさしくてまったく新しい生産方法や新素材の開発へ応用することができるのですよ。
これが清掃という分野に役立つわけなんです」
大学で講義をする学者のように、沖田はややオーバーアクション気味に両手を広げた。
主任審査官は片眉を上げ、コホンと空咳をひとつ。
なおも詳しく解説しようとする沖田に、弁道は小さな声で「社長、社長、ご高説はまた後ほど」と囁いた。
沖田は「わかっていますよ」とうなずき、再び口を開く。
「申し訳ないですねえ。こと専門分野の話になると、どうしてもウズウズしてしまって。
あっ、そうだ。
話ついでになりますが、ノーベル賞学者のヴェルナー・アーパー博士はご存じでしょう。制限酵素を発見されて、これが組み換え遺伝子の技術に貢献したんでしたよね」
どんどん自分の世界へ入っていく、沖田であった。
このあたりは則蔵の思考回路と非常に近しいのかもしれない。
「それはさておき。話を戻すとしますか。
近頃は会社を上場させる準備に入っておりましてねえ。
でも、わたしは実はあまり興味がないのですよ、経済の分野に関しては。
こんなことを口にすると、弁道専務からまた叱られますけどね。うふふふっ。
わたしはお話ししましたように技術屋ですから、清掃道具や洗剤の開発に携われればそれで満足なんです。
だが会社が大きくなると、社長としてそれだけではダメなんでしょうねえ。
ですから主だった戦略は、この弁道専務に一任しております。
あっ、これは内緒ですよ。あはははっ」
沖田は軽く両手を上げておどけた仕草をした。
内緒もなにもあったものではない。
これでは会社の主軸は沖田ではなく、弁道であると公言しているのと同じである。
弁道は顔面をカメレオンのごとく青と赤の交互に色を変え、口元を尖らせて余計なことは言わないでくれと必死に
だがその願いは石鹸の泡のごとく、主任審査官に割られてしまう。
「なるほど、なるほど。はい、はい。よーくわかりました。
つまりは、社長は芯から研究者、というわけですな。ふふっ」
「まあ研究者と言えばその通りなんですけどね。
まあ、それでも経営学はきっちり学んできてます。
父の興した会社をわたしの代でつぶすなんてことはできませんからね」
公正取引委員会の主任審査官は、軽くうなずいた。
「今日は突然の訪問にも関わらず、社長さんにまで面談できてよかったです」
「いえいえ、ご苦労さまでした」
弁道はそのやりとりを聴きながら内心「おっ、終わったのか!」と、ホッと胸をなでおろそうとした。
ところが問屋はそうは卸さなかったのであった。
主任審査官は立ち上がり、そして弁道の首に真っ直ぐ打ち下ろされる、ギロチンの言葉を口にした。
「では待機しておりますメンバーで、早速立ち入り検査を実施させていただきます。
よろしくお願いしますよ」
弁道は、これ以上のないギョロ目を見開いた。
「先ほども申し上げましたが、今回は下請法違反の疑いがあり帳簿類等すべて拝見させていただきます」
天然の沖田は、にこやかに首肯した。
「どうぞどうぞ。
その訴えられた下請けさんですか。我が社は当然お付き合いをさせていただいている業者さんすべてに、公正にお取引をさせていただいております。
どこにもやましい点などない、と断言してもよろしいですよ、多分」
「そうですか。
まあ、形式上我々も着手したという既成事実をつくらんといかんので。
ぜひご協力のほどお願いいたします」
男は
「ああそうそう。
こんなことを清廉な社長さんに申し上げるのはいささか辛いのですが、万が一帳簿類の隠ぺい工作などの跡があれば、立ち入り検査だけではすみません。
令状をとっての強制捜査になります。
我々がプロであることを、どうぞお忘れなきよう。
そうなると業務にも多大な支障が発生する可能性がありますし、鼻のいいマスコミが嗅ぎ付けたら根も葉もない記事が書かれて、御社の信用に関わりますからな」
つづく
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