第五話「重装備で決戦に臨む」
むつみは、今回はあの強烈な臭いを防ぐために、吸入口が左右に配置されたデュアルフィルタータイプの防塵マスクを手にした。
それとゴーグル型の保護メガネだ。
粉塵や液体飛沫防止ができ、
顔に接触する部分に柔らかな塩ビ素材を使用しており、デザインは視野を広げるためのワイドビュータイプになっている。
あとはゴム手袋と、すべり止め付き薄手耐切創手袋、つまり軍手である。
普通の軍手と違い、ケブラー紡績糸が使用されており、切れにくく燃えにくい。
手のひらに塩ビ製のすべり止めが付いているため、作業性に非常に優れている。
これで完璧だわ。
どんなゴミ屋敷であろうと、これだけ重装備していればドンとこいってところよ。
「さあ、ノリゾーさん。決戦よっ」
「お、おお!」
二人は例によって、大きな重量のある道具を
「や、やっぱし、ブロッコリーを食べてきたから力があふれてるなあ、うん」
「シシャモじゃなかったの?」
「今朝はブ、ブロッコリーを一玉かじってきたんだあ」
「か、かじる?」
「えっ?
むつみさんは、ブロッコリーは苦手なのかなあ。
女の子ってブロッコリーは美容のために食べるって聞くけど。
ビタミンやミネラルが豊富なんだよぉ。
むつみさんも今から立派な女の子になるためには、食べたほうがいいなあ。
ただ、コリンって呼ばれる成分があるから、食べすぎると体臭がきつくなるって、かあちゃんが言ってた。
だから一玉だけで我慢したんだあ」
「ちょっと待って、ノリゾーさん。
今さらの再確認なんだけど、あたしは何度も言いましたように、すでに立派なオンナの子ですから。
それも超キュートなアイドル級の女子大生を、自他ともに認めておりますのよ。
えっ?
その小さな眼でじっと見ている先は?
いやだっ!
あたしの胸元!
ノリゾーさんのエッチィッ!
失礼しちゃうわね!
これくらいの小ぶりが、今は流行なのよ!」
両腕で隠したその問題点。確かにむつみのバストは、巨乳という概念からはまったく無縁である。
ただ名誉のために付け加えれば、貧乳でもない。
どちらかと言えば、まったく目立たない存在、といったところか。
どこかへ忘れてきたのか、とよく言われる。
いぶし銀のバスト、言い得て妙である。
「はあっ、いきなり疲労感に襲われちゃうなあ。
それにブロッコリーは大好きよ。
でもね、あれってかじる野菜?
ゆでて一口大に切ってさ、マヨかドレッシングでサラダにするでしょ」
則蔵はグイッとむつみの顔をのぞき込んだ。
「そ、それは邪道な食べかただなあ、むつみさん。あまり人前で言わないほうがいいかも。
お里が知られてしまう」
「邪道って。
はっ!
まさかノリゾーさん、ブロッコリーは生のままで、茹でずにそのままかじりつくの?」
「そ、それが正式な食べかただって、かあちゃんが言ってた。
もちろん、ちゃんと水洗いしてからだけどね。苦味がクセになるんだあ」
ちょっと待って。
ノリゾーさんと会話してると、なんだかあたしのほうが間違っている気がしてきた。
むつみは額に手をやり、壁に片手をついた。
「あ、大丈夫かな、むつみさん。
ええっと、立ちくらみに効く食べ物は」
「大丈夫、大丈夫だからしばらく放っておいて」
元気いっぱいの則蔵は、大型掃除機をいとも軽く持ち上げてエレベーターまで運んでいった。
ビル前に停められたカタナギんちゃん号に、お掃除用の道具が積み込まれていく。
「忘れ物はないかい、スタッフ諸君」
「うーんと、大丈夫かな」
むつみは道具類をチェックしていく。
「よーし、それじゃあ出発するよ。全員乗車っ」
ブルンッ、重たいエンジン音が鳴った。
むつみは助手席に、則蔵は後部席に座る。
「レッツ、ゴウッ!」
前方を指さすむつみ。
ハイエース、カタナギんちゃん号は一路、『
~~♡♡~~
丘陵地帯を切り崩して造成された、
第一次ベビーブーム、いわゆる団塊の世代が高校生のころにこの町は造られている。
当時はハイカラであった団地が区画整理された土地に竹の子のように建ち、人口が増えるにしたがい、さらに開発が進んでいった。
この土管味ヶ丘は広大な森であったが、他の地区よりも開発がかなり遅れていた。
理由はナゴヤ市と天白区、市政と区政の行政間の温度差あるいは利権に絡む開発業者とのトラブルなどらしく、噂には尾ひれはひれがついていくことになる。
なかなか開発が進まないために、いつしか密やかに
最初はたかが子どもだましの作り話、と笑っていた土管味ヶ丘周辺の住民たちであった。
だが一向に開発が展開する気配がないために、いつしかその都市伝説は、長い年月をかけて虚構から本物に化けていったのである。
まったくの手付かずであった土管味ヶ丘であったが、一九八〇年代後半から九十年代初頭に一度森が開墾されかけたことがあった。
そう、日本全体が好景気に浮かれていた、あのバブル時代だ。
重機が大量に投入され、小高い丘は削られていった。
自由に枝葉を伸ばしていた樹木も、次々に切り倒されていった。
都市伝説も吹き飛ばされ、いよいよ新しく住宅地として生まれ変わろうとした。
だがバブル景気は名前のごとく、一瞬のうちに弾けてしまう。
日本経済の、暗黒時代の始まりであった。
むき出しの大地から重機が消え、残ったのはただの広い雑草が生い茂る大地だけであったのだ。
唯一、『禍桜の森』だけは不思議なことに一度も手が加えられることなく、緑のドームとしてポツンと残されていた。
日本経済がかろうじて復興をし始めても、土管味ヶ丘の再開発は一向に始まる気配がなく、『禍桜の森』だけがバブル崩壊の遺跡となった。
そして、都市伝説は息を吹き返す。
なぜあの森だけが、開発の手からはずれていたのか。
実際に森の木々を伐採するときに、あいついで人身事故が起きたとか、お祓いをしなかったせいで祟られた工事関係者が不幸に見舞われたとか、もっともらしい噂が徐々に伝搬していく。
やはり土管味ヶ丘の言い伝えは本当であったのだ、と近隣住民たちは再び囁き始めた。
そのためかどうか、この森へ人が立ち入ることは、なかった。
子どもたちも学校や親から、近づいてはならないときつく言われているため、現在に至るまで夏休みに昆虫採集で子どもたちが森の中を走り回る声も聞かれない。
その森の中に建つ、一軒の家。
果たしてどんな住人がいるのであろうか。
~~♡♡~~
むつみたちを乗せたカタナギんちゃん号は、『禍桜の森』の手前でいったん停止した。
「よーし、じゃあ各自武装準備始め!」
刀木の号令のもと、むつみ、則蔵はゴーグルと防塵マスクを顔面にセットする。そして作業用の強化軍手をはめた。
武装と言っても戦争するわけではない。あくまでもお掃除をしにいくのだ。
各自互いにチェックをすますと、刀木はゆっくりとアクセルペダルを踏んだ。
狭い土道である。
車体は左右に揺れながら進んでいく。
普段は軽口を叩きながらハンドルを握る刀木であるが、やけに真剣な表情を浮かべ、やや前のめりになって運転している。
「社長、もしかしていつ妖怪が出てくるのかって、内心ビクビクしてんでしょ」
むつみは真っ直ぐ前方に顔を向けたまま、からかう。
「なっ、なにをおっしゃいますやら、この女子大生は。
妖怪?
いいんでないのぅ、いつでもご登場くださいって心境よ」
「へえっ、それならお家の前に停まったら、社長が一番に降りて様子を確かめてきてくれるんだと、一介の女子アルバイトであるあたしは信じてよいのですね」
刀木も真っ直ぐ前を見たまま、鼻先で笑う。
「あ、当たり前じゃないの。
指揮官自ら先陣を切るなんて、あなた。どの時代の名だたる武将は皆そうよ。
まあ、この刀木の背中についておいで、むっちゃん」
絶対にウソ。
だてに半年間一緒にお仕事をしてきたわけじゃないのよ。
家の前に着いたら、「あれっ、おっかしいなあ。ちょっとサイドブレーキが甘いぞ。ノリゾーや、悪いんだけどちょっと先に下車して、家の前にある品々を確認してきてくんないかなあ。あれれ、マジにまずいわ。これ」って、しれっと言うに決まってるんだから。
むつみはマスクの下で、ベーッとかわいい舌を出すのであった。
つづく
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