第三話「学生の本分はアルバイト、かもしれない」

「いつも存亡がかかっていますけど。

 地上百メートルのビルとビルの屋上に張られたロープを、命綱なしで渡ってるじゃないですか、毎度この会社は」


「だからこそだよ、むっちゃん。

 三人寄れば饅頭まんじゅうちりたあ、昔の人はよく言ったもんだ。

 ここは三人がガッチリとスライムを組んでですなあ」


 それって、全然意味が違いますけど。

 しかも、饅頭の塵ってなに? 文殊の知恵でしょうに。

 スライム?


 むつみは腕を組んだまま、大きくため息をついた。


「はあっ。

 なんでバイトのあたしがそこまでしなきゃならないのか、もうわけがわかんなくなっちゃいましたよ。

 お手当はきっちりいただきますからね、社長」


 刀木かたなぎは「そりゃあ、もちろんですとも!」と立ち上がりながらむつみに握手を求めて、ビシッとはねられる。


「と、ところで、ぼくを襲ったっていう化け物は、いったいどんな姿をしていたんだっけ」


 則蔵のりぞうの言葉に、むつみと刀木はハッと思い出した。


「そうよ、社長。

 ノリゾーさんが襲われた化け物がまた出たら、どうすんですか。

 あたしはイヤですよ、先頭切るのは。

 社長とノリゾーさんで相手してくれなきゃ」


「でもね、むっちゃん。よーく考えてみようよ。

 この世の中にさ、そんな妖怪がいるんだったら、逆に捕まえちゃってさ。

 そいつを檻かなんかに閉じ込めて興業で世界を回ったら、ウハウハとお金が懐に入っちゃうかもよう。

 一躍、時のヒトよ、時のっ。

 そうだわ、その手があったかあ」


 刀木は宙を見据えて、妄想の世界へ突入していく。


「な、なるほど。悪どさにかけては天下一の社長だけのことは、あるんだなあ。

 ぼくを襲った化け物を、今度はぼくたちが襲うんだあ。

 帰ったらかあちゃんに報告しないとね」


 むつみは肩をすくめ、スマホを取り出すと真由まゆピーへ電話を掛けた。


「あっ、あたし。

 真由ピー、悪いけどお願いをきいてくれる?

 明日と明後日の二日間だけなんだけどさ」


 代返を頼まざるをえない羽目になってしまったのであった。


 ~~♡♡~~


 翌朝。

 むつみは後ろめたさを振り切り、アパートから大学を通り越してメーエキ裏の事務所へ向かった。

 時刻はまもなく午前九時である。


 ナゴヤ駅前はどこから来たのと思われるくらい人通りが多い。


 Tシャツの上からグレーのパーカーを羽織り、鮮やかなグリーンのスキニーパンツスタイルでむつみは人ごみをかきわけて歩く。肩からは、一応通学用の布製バッグを掛けていた。講義をサボってしまうことへの、背徳心からかもしれない。


 人と人の間をすり抜ける技は、もはや神業と呼んでもいいであろう。

 競歩並みの速度でグングン進んでいく。


 反対側から歩いてくる中年サラリーマンなど、「俺は決して道は譲らん」と息巻いてくるが、むつみがニッコリ微笑めば思わず頬をポッと赤らめて、サッと道を空けてくれる。


「おやっ、あのヌボーッとした後ろ姿は」


 丸刈り頭に白いカッターシャツ、紺地のスラックスを履いて歩く大男を発見する。なぜかスラックスの裾が短い。靴下を履いたくるぶしが後方からでもよく見える。


 あれは絶対に寸法を間違えて、裁断されたんだわ。

 担当のオネエさん、多分だけど、出来上がりの試着時に気付いちゃって、「よ、よくお似合いですよぅ、お客さまぁ」なんて言って。

 なるべく裾が鏡に映らないように、しゃがみ込んで隠したんだわよ。

 ノリゾーさんったら人がいいもんだから、「あ、ああ。そ、そうかなあ」なあんて笑みを浮かべて、はにかむ図が目に浮かぶわ。


 どんなに暑くても、第一ボタンまでしっかりと留めている則蔵。

 その手には膨らんだコンビニの袋が握られていた。


「おっはよう」


 むつみは後ろから追いつき、則蔵の肩をぺしっと叩いた。


「うん?」


 眠たげな小さな目をパチクリとさせながら、則蔵は振り向いた。


「あ、ああ。む、むつみさん、おはようございますだなあ」


「眠そうだね。まさか、今日のお仕事に緊張して眠られなかったとか?」


「あ、いやあ、昨日は帰ってから突然、ストークスの式が頭を占領したんだあ。

 むつみさん、知ってるかなあ」


「だから、あたしは文系だって」


「いやあ、そんなに難しくはないんだあ。

 小さな粒子がね、流体中を沈降する際の終端速度を表す式のことで、大きな粒子や不定形粒子だと流体から受ける抵抗力も若干のずれを生じるんだなあ。そのために」


「わかった、わかりました。

 ようはそのなんちゃらの式と格闘なさってたと、そういうことね」


「おおっ、む、むつみさんもわかるんだ。すごいなあ。

 ところが途中から急に石崎いしざき光瑤こうようの掛軸がしゃしゃり出てきて、タイマンを張ろうとしたんだあ」


「いや、なんで掛軸なのよ」


 則蔵は得意げに話し出す。


「日本の大正時代から昭和の初めにかけて活躍した日本画家なんだ。

 花鳥画でね、かなり高額で取引されてるんだなあ。

 以前お掃除したおうちで、危うく廃棄されるところだったのを、ぼ、ぼくが教えてあげた」


 そういえば、ノリゾーさんって骨董品や美術品に対しても人外の能力を持ってるって社長が言ってたっけ。

 まっ、あたしはまーったく関心ないけど、骨董品なんて。

 

 二人は歩きながら会話を続ける。


「ところでそのコンビニの袋、なにを持ってきたのよ」


 則蔵は嬉しそうに、目の前に持ち上げる。


「こ、これはお昼ごはん」


「またえらく膨らんでるけど、ひとりでそんなに食べるの」


「化け物と戦ってくるってかあちゃんに言ったら、がんばれってサンドイッチをみんなの分まで作ってくれたんだあ」


「へえ、それはありがたいわね。

 あたしはタマゴやハムが好きなんだけどな」


「えっ?」


「いや、サンドイッチでしょ。

 シャキシャキのレタスにトマト、こんがり焼いたベーコンをはさんでもグッドね。あっ、流行はやりのBLTサンドって言うのよ」


「むつみさん、これはサンドイッチだよ」


「うん、そう聴いた」


 則蔵は立ち止まって宙を仰いだ。


「サンドイッチっていえば普通はご飯なんだけど。

 む、むつみさんの実家ではかなり変わった具材をはさむんだなあ」


「はっ?」


 ちょっと待って。あたしが言ったサンドイッチの具材って、変なの?

 それよりも、ご飯ってナニ?


「かあちゃんが奮発して、ササニシキを炊いてくれたんだあ」


「じゃあ、お握りもあるってこと?」


「はははっ、むつみさん、まだ寝惚けてるんじゃないかなあ。

 今日はサンドイッチって、さっき伝えたんだけど」


 むつみは、まさかと思いつつ訊いてみた。


「あのう、ノリゾーさん。違ってたらごめんね。

 そのサンドイッチって、まさかパンの間にはさんであるのは」


「ササニシキ。炊き立てだよう」


 むつみはクラリと眩暈めまいを覚えた。

 

 ノリゾーさんのお家の食事にケチをつける気はさらさらないし、権利もない。

 しかし、果たして主食に主食をサンドするって、どうなのよ。

 でも、ラーメンにライスを付けたり、焼きそばにご飯をセットにしたり、関西にいたってはお好み焼きをおかずにご飯をいただくって言うし。

 ありっちゃあ、アリなのかなあ。

 でも味付けはなに?

 まさか素材の味のみ?


「あ、そ、そうだ。

 今度会社の人たちをご飯に招待したいって、かあちゃんが言ってた」


 則蔵の爆弾発言に、むつみは聴かなかったフリをしてきびすを返すと、スタスタと早歩きで先に行く。


 則蔵の家でご飯をよばれるのだけは絶対に回避しようと、固く誓った。


 ~~♡♡~~


 地下鉄東山ひがしやまさかえ駅で降りた弁道べんどうは、グッチの洒落たバッグを持ち沖田ソウGシウジー株式会社のビルへ向かっていた。


 吊るしではない、オーダーメイドの濃紺スーツはビシッとクリーニングされており、一本のしわもない。


「専務、おはようございます」


 建ち並ぶビルの前を、出勤途中の若い社員が挨拶する。


「うむ、おはよう」


 弁道の眼鏡の奥で、ギョロリとした目が動く。


 本社ビルには次々と社員たちが入って行く。

 弁道は社員たちの挨拶を受けながらビル内へ入った。


 すでに受付には女性社員が定位置に座っており、前を通る社員たちと朝の挨拶を交わしている。


「弁道専務、おはようございます」


 女性社員は立ち上がって頭を下げた。


「ああ、おはよう」


 弁道が通り過ぎようとしたとき、受付嬢は顔を曇らせささやいた。


「あの、専務」


「うむ? なにかな」


 立ち止まった弁道に、通り過ぎる社員たちが頭を下げていく。


「朝一番で、面会したいとおっしゃるかたがたが」


 受付嬢はフロアのガラス窓前に設置してあるソファに、視線を向けた。


 つづく

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