第二話「仕組まれていたことにようやく気付く」
「ははあ、これは見事なゴミ屋敷ですなあ」
写真は事務所へもどった後、近所のカメラ店で現像してきた。
もちろんツケで、である。
むつみの大きな目が、テーブルに並べられた幾枚もの写真を追う。
頬にかかる髪を、両手で耳にまとめながら。
積まれた新聞紙や雑誌の束はピラミッドを造り、青や白のごみ袋はパンパンに膨れたものが無造作に置かれ、数えはじめると気が遠くなりそうだ。
頭部や手足のもげたマネキン人形の団体、錆びた一斗缶がダース単位、自動車の古タイヤまで何本も転がっている。すべては近代社会を支えてきた品々の末路であった。
依頼のあった肝心の家は、それらゴミの山の背後にひっそりと建っていた。
青い瓦屋根の和風一戸建てである。
いや、元和風と言ったほうがよいかもしれない。
屋根の半分はブルーシートでおおわれ、壁はヒビが走り所々えぐられているのがわかる。
「で、ノリゾーさん」
「あ、ああ」
「ノリゾーさんが襲われた化け物って、どこに写ってるの?」
「えっ?」
「えっ、じゃなくてよ。
ノリゾーさん、化け物に襲われたーって走って逃げてきてたじゃない」
むつみの質問に、
「ば、化け物って、あの遊園地で見かけるやつかなあ」
「お化け屋敷のこと?
いや、あたしは直接対峙してないから、わかんないけど」
「そうそう。
化け物って言やあ、あなた。幽霊とかゾンビとかさ。妖怪なんかもそうか。
まっ、どっちにせよ、この世ならざるモノのことだよノリゾー」
刀木の言葉に、則蔵はさらに首を傾げる。
「はて。
ぼ、ぼくはいつそのかたにお会いしたんだろうなあ。
そういえば、小さいころおばあちゃんの家にあった汲み取り式のお手洗いは、怖かった。うん、怖かった。
しゃがんでると、下のほうから手が何本も伸びてきて、ぼくのお尻をなでていくんだあ。
あんまし怖いもんだから、用を足してる途中でお手洗いを飛び出して、よくかあちゃんに怒られたっけ」
「えっ!
それ、マジな話?」
むつみはギョッと身を固くする。
「よく考えたら、手を拭くタオルが風に揺られて、ぼ、ぼくのお尻をさわってたんだあ」
「なーんだ。びっくりさせないでよ、ノリゾーさん。
で、このゴミ屋敷で遭遇した化け物って、結局なんだったのよ」
シーンと静まった事務所内。
ビルの下を走る車のクラクションが響いてきた。
則蔵はすでにその出来事を忘却の彼方へおいやっているようで、目元をしょぼしょぼさせている。
「おっ、ちょっとこの写真見てよ」
刀木がテーブルの上に並べられた写真の一枚を指さす。むつみと則蔵もクイッと上半身を傾けた。
「こ、これは」
むつみの大きな目元がさらに広がった。
「ノリゾーさんを襲った、化け物よ!」
「ええっ、ぼ、ぼくは化け物に襲われたのか!」
則蔵は叫び、その写真を凝視した。
そこには大きな黒い影がぶれて写り込んでいた。
背景が青い空であることから、則蔵は襲われた拍子に転び、その際にシャッターを切ったとうかがえる。
三人はゴクリと喉を鳴らして、無言で見つめ合った。
「絶対になにかあるんだわ、この家に。
ねえ、社長。あのベンドンさんってやっぱり胡散臭いのよね。
真相を問いただして、こんなお仕事は蹴っちゃいましょうよ」
「うぅむ、そうだなあ。
このわたしをハメようなんざ、ちょっとむかついちゃうよなあ。
よしっ、こうなったら今から乗り込んで、一発ガツンと」
刀木は拳を握りしめた。
「で、でも、もう十万円は使い込んじゃったし」
則蔵の一言に、空気が抜ける風船のように刀木は小さくなっていく。
ジリジリジリッ!
前触れもなく、社長用デスクに一台だけ設置してある昭和時代の黒電話がけたたましく鳴った。
これもいただいてきた廃品である。
今から鳴りますよ、とこっそりと教えてくれる電話器なんてないのだから、三人は飛び上がった。
「で、電話が鳴ってる!」
「当ったり前じゃないですか、社長っ。早く出て」
「あっ、もしかして、かあちゃんかもしれないんだあ」
「どうしてノリゾーさんのおかあさんが、電話してくんの」
「た、魂がみっかったって。冷蔵庫で冷やしておくって」
真剣な表情でむつみに説明してくれるが、経緯を知らないむつみは「はあっ?」と形の良い眉をしかめるばかりである。
刀木は咳払いをしながら社長席に向かった。
「はいはぁい、大変お待たせいたしました。
世界の美を追究するカタナギ・ビューティ本社オフィスでございますぅ。
へっ?
ああ、これはこれは弁道専務さま、先日はご多忙の中ご面談たまわり、その上なんともおいしいお仕事までお回しいただき」
ソファから小走りでむつみが近寄り、手にした先ほどの写真を指さす。
刀木はくるりと背を向け、電話に向かって平身低頭の姿勢である。
「社長っ、訊いてくださいよっ。あの家になにがあるのか。ねえ、社長ってば」
「はいっ、はいっ、充分承知いたしております。
ところで、例えば、ええ例えばなんですけども、万が一このいただいてる案件をですな。業務多忙な我が社がお断りするようなことになったら、いえ、あくまでも例えでございます。
はっ?
違約金?
ひゃ、百万円?
契約書にきっちり記載されていたと?
ははあっ、そういえば書いてあったような、なかったような。
ええっ、もちろんその旨承知いたしております。
不肖刀木、お受けしたからには必ずや完遂させる所存でありますっ。
えっ? 期限は明後日まで?
いやっ、大丈夫であります!
我が社の精鋭部隊を送り込んで、舐めるように綺麗にお掃除させていただきますっ。
どうか吉報をお待ちくださいませ。
はいっ、はいっ、えっ? これがきっちり完了した暁には、さらにお仕事をお回しくださると!
いやまったく弁道専務さまのご配慮、この刀木、感服いたしておりますっ」
むつみは腕を組んで刀木の背中にガンを飛ばす。
刀木は背中をかきながら、九十度に腰を曲げて受話器をそっともどした。そしてクルリと振り返る。
「諸君、弁道専務殿から伝言だ。
この案件が無事成功したならばだ、今後は定期的にお掃除の仕事を我が社にお回し下さるそうだ。
いやあ、これで我が社も安泰だわねえ。
なんといっても、あの沖田
その吹けば飛ぶような会社の筆頭が、ここなのよ。
むつみは刀木の長いモノには簡単に巻かれる根性に、今さらながらあきれ返る。
「社長、どうして断らなかったんです?
違約金の百万円って、なんですか?
しかも明後日までに完了って。
あたしは大学の講義がびっしりと入ってるんですよ」
いきなり刀木はその場で、ガバッと土下座をした。
「ちょ、ちょっとぉ、社長」
「すまん! むっちゃん、ほんと申し訳ない。
この刀木をオトコにしてくれ」
「しゃ、社長は
ぼくは社長と二人っきりで、仕事はしたくないんだあ」
「わたしもきみにはこれっぽちも興味は無いんだがね、ノリちゃんよ。
いったんはお断わりしようとしたのよ、聴いていたでしょ。
そうしたら、なぁんと、受託した業者が勝手に辞退した場合には違約金が発生しちゃうんだって。
しかもその金額が百万円ときましたわ。
いやはや、驚き桃の木、なんだっけか。
そういうことでだ、契約書はちゃんと隅から隅まで読まないとダメ、ってことだわねえ。
うん、勉強になりますなあ。
だからね、もうこうなったらやるしかないわけよ、むっちゃん。
それにはむっちゃんの類いまれなる美的センスが、絶対を持って必要なんですよう。
ねっ、だからお願い。
大学の講義なんて代返でテキトーに誤魔化してさあ。
我が社の存亡がかかっておるのだよ、今回は」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます