第二十四話 『虹の剣』



「よいしょぉぉぉぉっ!!」

『ぬぅぅぅぅぅぅぅっ!?』


 地面を抉り火花を散らすファーレンハイトの炎剣がグリフォンの腕を弾き飛ばした。


 『福音』の力は通じる。軽々とはいかないが、まともにぶつけ合えばこちらが優勢だ。

 圧縮された浄炎の剣は、フロアに生える水晶ならバターのように融かし斬ることができる。だがラーカンガスの身体に寄生した水晶はそうもいかない。組成成分が違うのかとにかく硬い。ユネ達が苦労したのも当然だ。


『我が爪を容易く跳ねのけるその力……やはり神降ろしに違わぬか!』

「もうちょい行けると思ったんだけどなぁ……っ!!」


 六色のオーラを身体から吹き上がらせながら僕は毒づいた。

 『福音』の力が及ぶ三分の間に彼を倒せるとは思ってはいなかったが、足の一本くらいは行けるかもとは期待していた。

 しかし現実はやはり厳しい。早く、硬く、強い。まるで牛丼のような相手だ。


 繰り出された風の刃を、極限まで強化された脚力で飛び越える。体高を遥かに越える跳躍でラーカンガスに踊りかかった。


「片目が水晶で潰れてちゃ具合が悪いだろう!? 残った右眼ももらうよっ!!」

『蛾のようにひらひらとぉっ!!』


 背中に寄生した水晶が発射された。無数に迫る水晶の砲弾を、時に身体を捻り、時に剣で逸らしてかわすが、その全てを無効化するには及ばない。陰に隠れて気付かなかった一発が僕の脇腹を浅く抉り取った。

 空中でバランスを崩した僕は右肩から地面に激突した。


「痛ったいなぁ……っ!?」


 焼けるような痛みに情けない声が上がる。飛んだり跳ねたりしているせいで高揚しているためか、意外と耐えられる――と、目の前に迫る巨大な影。


『汝と言えどこの質量は止められまい! 蟇蛙の如く潰れろ!!』


 幻獣の言葉と共に迫る巨大な水晶の板。これは耐えられない。

 さすが風の眷属であるグリフォン。風を操り床の水晶を剥がしてぶん投げたらしい。

 体勢を崩した僕にこれを避ける術は無い。

 ならば――。


「まかろん! 君の力を借りるよ!!」


 両腕をクロスさせ外套の内側に突っ込む。すぐさま引き抜けば、十本の指それぞれの間に挟まれた紫色の球体が計八個。まかろんの魔術が封入された宝珠だ。

 アイテムとしての正式名称は『大魔導師まかろんの言霊』。

 内は『始原魔術』の中級技能アーツ『エルゴスフィア』の術式が封じ込まれている。

 弾速も遅く効果範囲もさほど広くない。しかし、その虚無の弾丸はあらゆる前提条件を無視して全ての物質を抉り取る。


 八つの宝珠から射出された漆黒の回転楕円体は、迫る水晶板を中心を残し円形に抉り取った。


「材料費だけで一個二十万もするんだぞぉっ!?」


 頭の中でちゃりーんと金貨が落ちる音がした。ゲーマーの性である。 

 情けない叫び声を上げながら残された中心を剣で突き通すと、水晶板は周囲をそのままに、中心のみが粉々に砕けた。


 攻撃に転じようと足に力を込めた矢先、砕ける水晶の破片を掻い潜りラーカンガスが弾丸のような速度を持って突っ込んできた。

 流石にそれは予想外で、剣を握った右腕を取られてしまう。宙ぶらりんに吊り下げられた僕の右腕に、握り潰すこともまるで厭わない強力な握力がかけられ、僕は握った剣を下に落とした。

 からん、と乾いた音を立ててファーレンハイトの炎剣が転がる。


『彷徨う炎の遺産と言えど、手から離れればなまくらよりも劣るだろう!?』

「残念、もう一本あるよっ!」


 自由になる左手を外套の右脇に突っ込み一気に引き抜く。

 握られていたのはファーレンハイトの炎剣―― 一応伝説の剣である。

 鞘を外套の中に残し抜刀した剣の勢いはそのままに、僕の右腕を拘束するグリフォンの片腕を一息に断ち切った。炎の赤と血液の赤、二つの赤が紅蓮の尾を引く。

 片腕を断ち切られた痛みに耐えかねたのか、ラーカンガスは怒号のような悲鳴を上げた。


『伝説の剣がそう何本もあってたまるかぁぁぁっ!?』

「文句は開発会社に言ってよ! こっちも強化のために何本も集めなくちゃいけないんだから!!」


 風の刃やら光弾やらを避けながら互いに毒を吐く。地面を擦る剣の切っ先が火花を上げた。

 こちらも土魔術による岩石の弾丸を放ち応戦するが効果が薄い。射出された岩石は地面を抉るだけで、ラーカンガスは機敏にその攻撃を避ける。


「やっぱり直接攻撃じゃないと当たらないか……もう一回近づいて――」


 と、後ろに振りかぶった腕の力が不意に抜けた。


 これまでの力は夢幻であったかのように、体中にみなぎっていた力がするりと音も無く抜け落ちる。見ればそれまで僕の身体から立ち上っていたオーラが消えていた。

 『三分間の福音』の効果時間が終了したのだ。


「はぁっはぁっ……もう時間か……やっぱり……使いにくい……」


 オーラは掻き消え、残されたのはふらふらとその場に蹲る僕の身体だけだ。

 身に纏う白い外套と黒の三つ揃えが重く身体に圧し掛かる。全ての基礎パラメータが全て『1』になったため、筋力STRも弱体化したのだ。片膝を着いて顔を上げるのがやっとである。息も荒くもう一歩も動けない。


『神降ろしとて常世の業。深遠なる叡智を費やしての術と言えど、やはり時の縛りからは抜け出せぬか……命運尽きたぞ』


 片膝を着き、一歩も動けない僕にラーカンガスが悠然と歩み寄る。すぐに仕留めようとしないのは勝者の余裕か。今の僕は頑丈さVITも『1』だから指先で軽く弾かれただけでも即死だろう。余裕を見せるのも当然かもしれない。


『従僕達時を置かず冥府に送ってやる。慣れてしまえば居心地が良いと聞く。主としての心配をすることは無い』

「死後の心配してくれるなんて……意外といい奴なんだね君は……」


 僕の減らず口に彼はぴくりとも表情を崩さない。

 三食昼寝付き、ネット環境完備なら冥府も良い所かも知れない。むしろ楽園だ。

 昨日今日の二日間で色々なことがありすぎたし、しばらくはユネとだらだらいちゃいちゃしていたい。だけどユネはこの世界が大好きだから、無理矢理冥府なんぞに連れて行かれたらしょんぼりするだろう。


 だから、もうちょっとだけ頑張ることにする。


『去らばだ』


 ラーカンガスが腕を振り上げる。

 そんな彼に向かって、僕はぼそりと呟いた。


「ところでさ――足元、綺麗に掘れてるでしょ?」

『――っ!?』


 地面に刻まれた溝にラーカンガスが目を見開いた。


 僅かな隙。瞬間、ベルトに取り付けられた小さな瓶を引き抜き、掌ごと地面に刻まれた溝の上に叩き付けた。

 瓶に収められた液体の正体は、ここに来る前にギルドホームで採ってきたユグドラシル・イリスの朝露だ。龍脈からマナを吸い上げ、天を衝くほどに枝を伸ばす世界樹。その雫はその内に莫大なマナを含んでいる。


 溝が描く図形は円。その内に二枚の三角形が互い違いに重なる――即ち六芒星。


 刻み込まれた溝に青い魔力のラインが走った。その溝は戦いの最中、下段からの斬撃や『土魔術』による岩石の投射の度に少しずつ刻んでおいたものだ。小賢しいひらめきと小手先の技なら自信がある。


「神代の巨人よ――奈落よりその腕を伸ばせぇっ!」

 ガラスに切り裂かれた掌から血が滴る。それすらも意に介さず、血まみれの掌を僕は更に溝へと擦り付けた。

 魔法陣が更に強く輝き、六芒星の中心がにわかに隆起する。隆起の先端は直径三メートルの巨大な拳。拳の材質は床と同じく紫色の水晶だ。

 巨大な水晶の拳は弾丸のような速度を伴い、ラーカンガスの腹部に強烈なアッパーカットをぶっ放した。


 僕が放つ最後の一撃、『部分召喚:ヘカトンケイル(右腕)』。


 まるで、大砲が着弾したんじゃないかと思うほどの大音量が炸裂した。

 ラーカンガスが身体をくの字に折り曲げて天高く吹き飛んだ。

 だけど、やっぱり決定打とはいかない。直撃した腹部の水晶は全て砕いたがそれが盾になったようだ。彼の胴体はまだ繋がっている。


『ぐ……がっ……最後の最後まで……小賢しい真似を! しかしこれで最期だ!!』


 空中でラーカンガスが咆哮した。


「あーっはっはっ……あー……これで本当にタネ切れだ……」


 もう笑うしかない。お手上げである。

 『福音』による強化でも押し切ることが出来なかったし、予備策として仕込んでおいた『ヘカトンケイルの腕』でもダメ。もう切れる手札は全て切った。

 ラーカンガスが空中で体勢を立て直す。着地したら直ぐにでもこちらに襲い掛かる算段だろう。


『我が名はラーカンガス! 風の眷属たるグリフォンの血族にして、古には風を統べる幻獣と謳われし種族の一柱!』


 ラーカンガスが朗々しく名乗りを上げる。


『この脚が地に着いたが最期、疾風の如き一撃で汝の痩躯を引き裂いてくれよう!!』


 身体は重くて動かないし、小細工はタネ切れで何もない。

 相手は風の幻獣グリフォン。風と共に天を翔る大空の覇者。たとえ幾星霜という長き年月に渡り、地下深きダンジョンにその身を押し込められようとその速さは変わらない。

 最早、指先一つ動かすことの出来ない僕には、彼を打ち倒すことはおろか、逃げることさえも叶わないだろう。


「風の眷属――その速さは風に等しいか……残念だよ」



 溜め息一つ。呟くように告げる。



「だって――」



 風の幻獣グリフォン――その後に翻る小さな影に向かって。



「僕のユネは風よりも疾いのだから」



 りぃん、と涼やかな鈴のような音が響いた。



宿!! 万象よ集え――響き一成す名の下に!!」



 それはシステムに規定された技能アーツではない。


 四元属性の術法剣と共に、三つの高位魔術を遅延詠唱で同時起動させる、ヒビキ砲と同じく彼女が独自に編み出した攻撃方法――必殺技だ。

 火・水・風・土の四元属性、氷・雷の従属属性、そして無属性から成る七属性。

 七色の属性効果をその古の銀剣に纏う。


 故にそれは虹の剣と称される一撃。

 かつて『最後のきざはし』と呼ばれた理外の神域において、悪しき神々――その一柱ですらも断ち切った神殺しの刃。


 その名も――


「『アルカンシェル』!!」


 ユネの凛とした声に呼応して火炎が、水流が、風塵が、岩塊が渦巻いた。遍く自然現象を撒き散らし、銀剣が夜空を切り裂く流星の如き尾を引く。

 輝く銀剣がラーカンガスの首筋に深く食い込むと、ラーカンガスは断末魔のように咆哮した。


『雷の泉に育まれし歪なる魂を宿す娘よ! それは益体無き徒労だ! 例えこの場で我を討ち滅ぼしたとしてもそれは一時の安寧に過ぎぬ! この世界は歪なる魂を宿す汝等の存在を決して受容しない!!』

「たとえ歪な魂だとしても! 魂なんか宿っていなくても! マスターと一緒に居られるのなら、それ以上の理由なんて私には必要ありません!!」


 刀身が放出する万象の渦に内部構造を破壊されながら、ラーカンガスの身体から莫大な量の魔力が放出する。首の中程まで斬り進んだ剣を両手で握り直しユネは叫んだ。


「だから! そのために! 今! ここで! 私はあなたを斬ります!!」


 ユネの剣がラーカンガスの身体を走り七色の軌跡を描く。


『ぐぉぉぉぉぉっ!?』

「せぇぇぇやぁぁぁっ!!」


 そして、左後足の付け根まで一気に切り結んだ。

 水晶の雨の中、ユネの長い髪が風に揺れる絹のように翻った。


 銀剣の放つ七色の軌跡を残しユネが着地。

 僅かな間を置いて、ラーカンガスの巨躯が地面へと激突した。皮一枚繋がっているとは言え殆ど両断に近い形だ。千余年を生きてきた風の幻獣だろうと、クォーツに寄生されていようと物理的な肉体構造をもった生物だ。もう立ち上がることは無いだろう。

 ユネは振り返ることなく銀剣をその鞘に収めた。






「マスター! ご無事ですか!?」


 鞘に剣を収めたユネがまずしたことは、べったりと地面にうつ伏せになった僕に駆け寄ることだった。勝利を喜ぶ前に、僕の身を案じてくれるのはマスター冥利に尽きる。

 抱き起こされ、ユネのそれなりに豊かな胸が顔に当たった。役得である。


「何とか生きてるよ……何だかすっごくだるいけど……」

「『福音』なんて使うからです……!」

「あはは……こんなにダイレクトに負荷が返って来るなんて思っていなかったよ……」


 と、僕は情けなく笑った。

 僕を膝の上に乗せたユネは、まだひどく心配そうに僕を見下ろしている。

 そんな彼女の長い髪を横に流して僕は礼を言った。


「ありがとうユネ……よく跳んでくれたね。君が居なかったら、今頃僕はおせんべいみたいにぺちゃんこになっていたよ……」

「マスターならアルカンシェルを放つ機を絶対に作ってくれるって信じていましたから……」

「信じてくれたんだ……四年間も待たせちゃった駄目マスターなんだけどなぁ……」


 僕がそう言うと、ユネが赤い瞳に涙を浮かべ、もの凄い勢いで首を横に振った。

 ユネは僕を信じて跳んでくれた。それは僕と彼女の絆の深さが理由になったからではない。あの場所に居たのが僕ではなくて、アルフやユーゴさんだったとしても、ユネはきっと跳んだに違いない。

 窮地に陥っても誰かを信じることができるのはユネ自身が持っている資質だ。この世界においてその正否は僕には分からないが、尊い物に変わりはないと思う。

 僕が微笑むと、ユネが少し赤くなった目尻を緩ませた。

 色々策を弄しては全てが空振り。しかも最後はユネ任せの綱渡りな戦いだった。パーティリーダーとしては落第点も良い所である。絶対に向いてないと思う――今更だが。


 クゥちゃんに治癒と強化の神聖術をかけてもらい、何とか動けるようになった僕は、制止しようとするユネ達をなだめ、横たわるグリフォンに近づいた。

 彼は僅かに首を動かし僕に視線を合わせる。


『碧瞳の王に不死の呪いをかけられ千余年――漸く冥府へ旅立つことが出来るか――』

「……そこはEGFと同じセリフなんだね」


 殆ど両断に近い形で身体を断ち切られており、胴体は辛うじて繋がっているに過ぎない。傷口からは夥しい量の血液が流れ出し、水晶の床に赤い絨毯を広げていた。もう長くは無いだろう。


「ユネはこの世界が好きみたいだからさ。もう少しだけ生きてから二人で冥府そっちに行くことにするよ」

『何を異なことを――汝は冥府には辿り着けぬ――』

「……え?」


 かすれた声でラーカンガスが言う。思わぬ返答に僕の言葉が止まった。

 彼の瞳に狂気は宿っていない。そこには深い知性を宿す真鍮色のみが湛えられていた。


『例え歪んでいても魂に変わりは無い――汝の従僕達は冥府に辿り着けるだろう――』


 彼は続ける。


『しかし――古き民の戦士ヒビキよ、汝にそれは叶わぬ――』


 途切れ途切れの言葉。僕に向けられたそれには怨嗟の感情は込められていない。

 ただ淡々と、糸を紡ぐように彼の口から言葉が漏れていた。


『汝は紛い物だ――紛い物は――魂宿らぬ肉の器は――冥府には辿り着けぬ――』

「ちょっと待ってよ。ユネ達には魂があって、僕には無いっていうのは――」


 僕の問いにラーカンガスは答えない。

 その代わり、彼は僅かに口角を上げた。笑ったのだ。


『足掻いてみると良い――汝が振り撒く狂騒――退屈な冥府での遊興としよう――』


 彼が咳き込むとその口からは夥しい量の血が吐き出された。頭部から突き出した二本の翡翠色の角が砕けると、その頭を再び地面に横たえる。

 彼が視線だけで僕をもう一度見上げた。

 まるで拙い喜劇を眺めるような生暖かい眼差しで。


『去らばだ――歪なる魂達の主――灰被りの王冠を戴く者――魂宿らぬ虚ろの王よ――』


 沈黙の中、ラーカンガスが瞼を閉じると、その瞼が再び開かれることは無かった。


 直後彼の身体を強引に突き破って水晶が生え始めた。コアクォーツもクォーツと同じ末路を辿るようだ。砕かれた水晶の下から、更に多くの水晶が次々と生えて行く。ユネに開かれた獅子の胴体の中から、僕が切り飛ばした片腕の傷口から、閉じられた瞼の下から次々と。

 全身が水晶に覆われ、ラーカンガスの身体自体が一つの大きな水晶の塊になった。それにヒビが入ると同時、ネストを構成する全ての水晶にも一斉に亀裂が走る。コアクォーツの討伐によって、ネストが崩壊しようとしているのだ。


 そして全てが砕けた。一度大きく砕かれた水晶は空中で小さい破片へと次々に分解され、地面に激突する前にその全てが渦巻く風に散らされて行く。

 ネストだけではない。周囲の荒地に無数に屹立していた水晶もその全てが砕け散る。

 戦場全ての水晶の欠片を内包した風の渦はまさに水晶の嵐だ。

 その嵐から視界が解放されると周囲に広がっていたのは、ただひたすらに地平線まで広がる緑の大草原。ロスフォルの大叢海がその名の通り、夕暮れに凪ぐ雄大な姿を取り戻していた。


 草原を駆け抜ける風に、僅かに残された水晶の欠片が吹き浚われて行く。その中に、翡翠色に輝くひとかけらがあった。ラーカンガスの翡翠の角の欠片だ。

 その翡翠の煌きは夕暮れの草原を翔ける風と共に、彼方の空へと連れ去られて行く。


 翡翠のグリフォン・ラーカンガス――風の眷属と謳われし幻獣グリフォンの末裔。


 その本来の住処へと還ったのだ。






 その後はもうお祭り騒ぎである。


 生き残った北方騎士団の面々からは地を割るような歓声。『風見鶏のとまりぎ』の残留メンバーも魔術系技能アーツを夕焼け空にぶっ放しての大喜びだ。


「終わったのか……」


 緑を取り戻した草原を見つめていたクラウディアさんが、まるで長い夢から覚めたかのように呟いた。


「ククク、これは始まりに過ぎないっす! あいつを倒しても第二第三のコアクォーツが――って痛ぁいっ!?」

「やめんかいっ!!」


 すぱーんと咲耶がユーゴさんの頭をジャンプして叩く。

 その横ではラシャが二人の掛け合いを見てけらけらと笑っていた。


「ユーゴさんいけないんだー! こーいうの『くうきよめない』って言うんだよ?」

「ラシャちゃんだけには言われたくねーっすよ!」

「……お腹すいた」

「クゥちゃんにはわたしが美味しい炒飯作ってあげますねー……ってお店に材料残ってたかな……あわわわわわ」


 工事現場のような盛大なお腹の音を鳴らすクゥちゃんの周りを、おかゆさんがしどろもどろで回る。クゥちゃんの表情はジト目標準搭載の無表情に元通り。何よりである。

 そんな喧騒を眺め、少し緊張を解いたアルフが苦笑する。ラーカンガスの猛攻を一人で受け止めた白銀の鎧と大盾には無数の傷が刻まれていた。


「ははは……緊張感ないですねぇ……いえ、それが我々の持ち味ですか」

「『良い所』とは言わないんだ……」

「ははは」

 白目で笑うアルフ。イケメンがただのくたびれたイケメンになっていた。その疲れた姿は歴戦の勇士と言うよりも、残業帰りのサラリーマンと言う方がしっくりとくる。


「お疲れ様だったね本当に……」


 乾いた笑いを上げるアルフの肩をぽんぽんと叩いてやる。

 ユネもそうだけど、アルフも大変だったのだろう。主に胃腸的な意味で。


「リィ様達はまだ臥していらっしゃいますが、ヒビキ様が戻って来て下さいました。私とユネ殿が代替して来た責務、後は全てヒビキ様にお任せできますね。ええ、全部です全部」

「……『頑丈さVIT』が1の今の僕に無理言うと胃痛で死ぬよ?」


 お互い、冗談ではなくわりとマジで言っている。

 何とかして仕事を押し付けようとアルフと牽制し合う僕の後に小さな気配。


「マスター、マスター」


 振り返れば、ユネが僕の外套をくいくいと引っ張っていた。

 グリフォンと切り結んだ時の凛とした表情はどこへやら。赤い瞳を湛えるその表情はほにゃほにゃとだいぶ緩んでいる。僕の知っているいつものユネだった。


「昨日、一つだけマスターに伝えていなかったことがあります」

「ん?」


 と、ユネが僕の肩に手を置く。そしてちょっとだけ背伸び。


「おかえりなさい、マスター」


 お約束だねえと苦笑するよりも早く唇に柔らかい感触。例えて言うならシフォンケーキ。キスが甘いなんてどんなロマンチストの寝言か。水晶の味しかしないじゃないか。

 ゆっくり唇を離すと頬を染め、にこーっと笑うユネの顔がアップで映し出された。


「ユネ、口の中じゃりじゃり。家に帰ったらうがいしようね」

「頑張ったのに酷いですっ!?」


 ユネが顔を赤くして抗議してくる。

 そんなユネに微笑み、後を振り返れば蘇った緑の大草原。今は夕暮れに染まる草の絨毯が、風に撫でられて静かに波を打っていた。


 ユネやりっちゃん、まーくんと一緒にこの草原を走り抜けたのは、もうだいぶ前の話になる。『エヴァーグリーン・ファンタジア』の名が謳う通り、ただひたすらに広がるとこしえの緑はあの頃と何も変わらない。


 帰って来たのだ。終末を迎えたはずのこの世界に。

 ゲームの続きなのか、本当の異世界なのかはまだ分からない。だけど、そんなことは問題では無い。ユネがいるのなら、僕にとってはここが真実のエヴァーガーデンだ。彼女がこの世界を守りたいとそう望むのなら、僕はそれを成そう。


 ただいまは昨日言った。

 二度はさすがにくどいので、こう言う事にする。



 これからもよろしく、と。



 僕の小さな呟きは、緑の輝きを取り戻した草原に風と消えた。


 夕焼けに滲む記憶の奥底に、翡翠のグリフォンが囁いた言葉の残響を遺して。




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電気羊の異世界プロトコル みかぜー @wingfeat

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