第二十三話 『三分間の福音(下)』



 ヒビキが描く剣撃の軌跡を辿って青白い炎が奔る。

 炎に焙られ、屹立する水晶の柱がバターのようにどろりと融けた。


 グリフォンから放たれる風の刃や光弾は、時に青白い炎が絡みついた剣で止められ、時に魔力で編まれた障壁に逸らされ彼には届かない。

 一合、二合、三合――剣と腕を打ち合わせた数は既に両の指では足りないだろう。

 ユネ達フェローが数人がかりでも太刀打ちできなかった相手。そんな強大な存在に対し、今ヒビキはただ一人、真正面から打ち合っていた。

 その姿はユネ達の記憶に刻み込まれた、在りし日のヒビキの姿に寸分と違わない。


 青白い炎の剣。揺れる原色の陽炎。そして、ゆらりと翻る白い外套。


 レスタール王国の騎士達から当世最高と賞されたユネやアルフレドでさえも匙を投げた理不尽。それをその痩身で受け止める――かつて『日陰の軍神』と呼ばれたヒビキの姿そのものだった。


「本当に久しぶりですね。ヒビキ様があの技能アーツを私達の前で使用するのは……」

「私はペア狩りでよく見てました!」


 懐かしむように目を細めるアルフレドに、ユネがそれなりに豊かな胸を反らせた。

 そんなユネの姿を見て、HP回復用の巨大ホットドッグをもっしゃもっしゃと齧っていたユーゴが目を丸くして言う。


「うわぁ、ユネちーすっげぇドヤ顔っすねぇ……って言うか、いつの間にユネちー昔みたいなゆるい性格に戻ったんすか? 前みたいなちょい影があるのも、あれはあれでお兄さんの保護欲くすぐって良かったんすけどーって痛ぁい!? 」

「ユーの字はその口さえ閉じていれば、もうちと男前なんじゃがのぉ……」


 ユーゴの尻に大幣おおぬさをぶすりと刺した咲耶は、大きな陶製の徳利入ったMP回復用の神酒を呷り呆れるように言った。


「あれあれ、その言い方! 実は咲耶ちゃんフラグ立っちゃってる系っすか!? だけど、申し訳ないっす! 俺っちはロリぺったん系よりも、ばいんばいんのたゆんたゆん系の方が好きなんでっ! ユネちゃんなら辛うじてオーケー!!」

「辛うじて……やっぱり……」


 親指を立て清々しくユーゴは笑う。

 ぺたぺたと戦装束に覆われた胸を触るユネの隣で、咲耶が口の端をひくつかせていた。


「……口だけではなく、耳を削いで、鼻を削って、瞼も縫ってもらえ。腕の良い縫製師を紹介してやる」

「その人、絶対縫製師じゃないっすよねぇ!? 特殊な業界の人っすよねぇっ!?」

「ヒビキ様が必死で戦って下さっていると言うのに貴方達は……」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人としょんぼりと落ち込む一人に、アルフレドは深いため息を吐いた。


 その後方では倒れた水晶に座り、ラシャとおかゆの二人がヒビキの戦いを観戦していた。ラシャの手にはフライドチキン、おかゆの手にはライスバーガーが握られている。どちらもHP回復系のアイテムに変わり無いが、どう見てもスポーツ観戦中の観客にしか見えない。


「いけーっ! そこだーっ!! やっぱりいつ見てもすごいね! ヒビキ様、剣一本であんな大きなグリフォンと打ち合ってるよ!? わっ、消えたっ!? 残像かなー……って壁が水あめみたいに溶けてる!?」

「これそういうゲームじゃないですよう!?」

「けぷっ、傷の方は回復したけど、いっぱい跳ねたからこれだけじゃ足りないかも……おかゆちゃん、何か持ってない?」


 ラシャが骨だけになったチキンを放り捨てる。アイテムとしての役目を終えたそれは地面に落ちる前に結晶となって霧散した。ラシャはぱたぱたと足を揺らしながら、指を咥えておかゆに催促する。


「えーっと、お店で出してるおにぎりの余りなら……炒飯と山菜おこわですけど」

「おかゆちゃん、名前のわりに固いご飯好きだよね?」

「うえええええ、気にしてるのに酷いですぅ!?」


 色気の欠片も緊張感も無い暢気な会話だった。

 そんな弛緩した空気が漂う一方で、重傷を負った北方騎士団三人の傍らではクゥが真剣な面持ちで治癒を施していた。人間と獣人では神聖術の加減が違うのか、普段の無表情では無い。淡い銀色の髪が、汗で僅かに湿った頬に貼り付いていた。

 グリムとレディックの治療は既に終え、今はクラウディアの番だ。二人よりも彼女の方が重症であったが、優先しての治癒を頑なに拒んだたため彼女は最後に回された。

 流石にひしゃげた鎧は直らなかったが、抉れた脇腹や有り得ない方向に曲がっていた足は既に元通り。完治した自身の身体とクゥの神聖術の腕前に驚きながら、クラウディアは彼女の手を取って制した。


「もう結構だクゥ殿……お手数をおかけした……」

「ん……大丈夫? ……痛くない?」

「ああ、骨は繋がっているようだし、はらわたの痛みも無い。それどころか、数年前にクォーツとの戦いで負った古傷も消えている……グリムよりもだいぶお若いとお見受けするが大したものだ。王都の聖女殿――更紗殿のお力と違わないだろう」

「ん……」


 素直な賛辞に照れたのか、クゥはベレー帽を深く被り直し、ふるふると首を振った。

 そんなクゥにクラウディアは微笑み、向こうの戦場に視線を移す。そこには巨大な体躯を誇るグリフォンと互角以上に打ち合うヒビキの姿があった。

 ユネの如き神速の一撃に、グリフォンの攻撃を受け止めるアルフレドの如き強靭さ。身のこなしの軽やかさはラシャですら超えるだろう。突入前の丘でへらりと軽薄に笑っていた人間と同一人物とはまるで思えなかった。


「しかし、ヒビキ殿のあの力は一体……?」

……って言う、ヒビキ様だけが使える技能アーツ……クラウさん達の言葉だと、『御業』……って言うの? あれを使うと、ヒビキ様はちょー強くなる……」


 長い言葉を話し慣れていないのか、一言一言囁くように説明するクゥにクラウディアは首を傾げるように頷いた。


「ちょ、超強くなるのか……」

「うん……ちょー強い……」


 上手く伝わった!と嬉しそうにクゥがこくこく頷く。

 治療が完了したクラウディアの姿を確認し、アルフレドが彼女を引き起こす。見れば彼だけではなく、ユネや咲耶達も彼女達の周りに集まっていた。


――正しくは『三分間の福音』と呼ばれる技能アーツです。三分間と言う短い時間ではありますが、ヒビキ様は神々に等しき力をその身に宿すことが出来ます」

「神々に等しき力……大仰な言葉だと普段は思うだろうが、貴殿たちの仰ることだ。きっとその表現に誇張は無いのだろう。だがしかし、ヒビキ殿はそんな強大な魔術を行使する御仁には見えなかった。決して嘲るわけでは無いが……」


 これまで抱えてきた疑問を呈するクラウディアに、これは言って良いものか、と少し思案してからアルフレドは答えた。


「普段のヒビキ様のお力は、私達には遠く――いえ、ほんの少し及びません」

「濁しおった、こやつ濁しおったぞ」


 隣で茶々を入れる咲耶に、アルフレドは一度咳払する。


「こほん、私は防御能力、ユネ殿は術法剣に秀でるように、ヒビキ様はあの『三分間の福音』と言う技能アーツの運用に秀でたお方です……いえ、秀でるという言葉は適当ではありませんね」


 彼は更に続けた。


「ヒビキ様は、『どうしようもない理不尽を三分の間だけ何とかする』――ただそれだけを成し遂げるために己の力を特化させたお方です。その三分の間だけなら、あの方の剣はグリフォンやドラゴンのような幻獣はおろか、古の神々にすら届きます」

「古の神々って……上の連中が聞いたら卒倒しそうな人だなぁ……あ、俺何も聞いていませんからね」


 傍らでアルフレドの言葉を聞いていたグリムが犬耳を塞いだ。信奉する神が異なるとは言え、この場で唯一の神霊教会の所属である彼からすれば、頭が痛くなるような話なのだろう。


「だが、瀬戸際まで使うことが無かったと言うことは、その『三分間の福音』という力には何か問題が……弱点や代償があるのだな?」

「仰る通りです。あの技能アーツには致命的な欠点が一つあります」


 アルフの言葉にユネが続いて答える。


再使用時間リキャストタイム――『三分間の福音』は一度使ってしまえば、二十四時間の間再使用することができません。しかもその間、代償として全ての能力はシステム上の下限値……つまり『1』に固定されます」

「『しすてむ』と言うのは、人間の強さを縛る理のようなものだったか……」

「はい、私やアルフ君はもちろん、マスターやりっちゃん様であっても、人間という種族である以上、システムの縛りから逃れることは出来ません」

「つまり、三分間強靭な能力を手に入れる代わりに、その後の二十四時間は極端に貧弱になるということか?」


 グリムに脳筋と揶揄されていたが実の所はそうでもないらしい。

 理解の早いクラウディアにアルフレドが頷いた。


「ええ、恐らくタンスの角に足の小指をぶつけただけで即死でしょう」

「弱っ!? ヒビキ様弱っ!?」

「も、もうちょっと強いですよぅ!!」

「ユネ殿、そこ怒る所じゃないですよ。もう少しご自身のキャラを思い出して下さい」


 そう諭され何故か深呼吸を始めたユネに『すっかり元通りですねぇ』と呟き、アルフレドは続ける。


「『福音』の持つデメリットの存在もあり、ヒビキ様があの技能アーツを使用することは殆どありません。ですがそれを使ったということは……」

「出し惜しみができる相手では無いと言う事――いや違う、私達を助けるためか……」


 神々に届き得ると言っても、それは三分間のみの限定された力だ。

 ヒビキの剣はグリフォンの身体を深く切り裂き、節々の水晶を砕いている。その力は互角以上だ。しかし致命傷は与えられていない。

 例え基本的な能力が強化されたとしても、操ることが出来るのは威力に劣る下級から中級の技能アーツなのだ。一撃の下に強大なグリフォンを葬り去ることは到底不可能である。


 三分と言う僅かな時間を過ぎれば、ヒビキの力はそれで終わり。

 その後に、待っているのは破滅しかない。


 しかしヒビキの戦いを眺めるフェロー達に焦りは見えなかった。


「『皆にどうしようもならない理不尽が振りかかった時、針の先にも満たない小さな可能性の穴を開けることが僕の役割だ』と、マスターは仰いました」


 ユネが静かな声で告げる。両の瞳は戦場から目を離さずに。

 クラウディアが見たユネの赤い瞳が宿す意思は、彼女が知っているユネのそれとは違う。かつて自らの破滅すらも意に介さず、ただひたすらクォーツを滅ぼそうと戦い続けた少女が宿す仄暗い光では無い。立ち上がり前に進もうと輝く意思の光だ。


 炎の輝石のように赤い瞳にそれを湛え、ユネは鞘に収められた銀剣を再び抜く。


「だから私も、自分の役割を果たします」




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