第二十一話 『軍神は二度目覚める』



 がしゃん。


 と、何かがひしゃげた様な音が響いた。

 その衝撃は物理的な破壊力を伴い、砕かれた水晶を発生源であるグリフォンを中心に外側へと吹き飛ばした。


「いてて……こりゃ、骨いっちゃったなぁ……」

「ぐ……一瞬にしてあの距離を……流石人間の御業アーツと言うべきか……」


 苦しげにうめきながらグリムとレディックが身体を起こした。

 二人は既に戦闘に耐えられる身体では無い。

 酷く破損した装備は元より、砕けるような鈍痛が全身を苛んでいる。打撲に捻挫、骨の一本や二本は逝っているかもしれない。数瞬前に死を覚悟した手前、この程度で済んだのだからむしろ上出来と言っても良いだろう。


「お嬢、無事ですか……?」


 グリムが足を引きずりながら女性騎士に近寄る。女性としては背丈はあるが、長身の彼からすれば騎士学校に入りたての少女とあまり変わらない小さな身体のように思えた。

 クラウディアはぺたんと床に座ったまま振り向かない。


「あ、あ――」


 壊れた自動人形のように彼女の口から掠れた音が漏れていた。

 彼女の目線の先には惨たるその光景。破壊と言う概念をそのままバケツでぶちまけたような爆心地。そこは本来、彼女達三人が命を散らすべきだった場所だ。


「ヒビキ殿ぉっ!?」


 これが悪夢であればどんなに上等なことか。

 しかし、口の中を満たす鉄の味が、身体を苛む痛みが、これが現実であると否応無く彼女に突きつける。

 土煙の向こうに見える巨体は言うまでも無く翡翠のグリフォンの姿だ。それは右腕を地面に叩き付けた体勢のまま、未だ禍々しい存在感を放っている。

 振り下ろした右の掌を中心に巨大なクレーターが刻まれており、体高より高く跳ね上げられた地面の水晶がその破壊力の凄まじさを物語っていた。


 そのクレータの中心の様子は見ずとも分かる。

 自分達三人をその身を挺して庇ってくれた青年。当然生きてはいまい。


 咲耶と言う人間の魔術師――それこそレスタール王国が誇る中央魔術院の最高梯位の魔術師さえも歯牙にかけないほどの腕前を誇る少女の大魔術に等しいその破壊力。

 腸詰に使う挽肉として形を残していれば上等だろう。


「クラウさん……」


 後ろからの声にクラウディアは反射的に振り向いた。

 それは彼女が今一番聞きたくない声だった。命を賭して自分を守ってくれた青年が想い人と呼んだ少女のものだ。

 前髪に隠された少女の表情は見えない。しかしその声音はいつも通り優しく聞こえた。故にそれはクラウディアの焦燥を掻き立てる。


「ユ、ユネ殿……私は、私は――!!」


 クラウディアの二の句は続かない。

 青年神官の制止も聞かず、無様なヒロイズムに酔って足を引っ張った。それ以前に、レスタールの利益――王国の中央で胡坐をかく貴族共の権益のために、彼女達の優しさに唾を付け、クォーツ討伐の手柄を横取るような策を弄した。


 自らの命がそれで絶たれたのならまだ言い訳も付く。

 しかしその愚行のツケは、そんな自分達を支え続けてくれた人間の少女達――クォーツとの戦いと言う苦痛と絶望の中、彼女達の一縷の希望であった青年の命を以って払わされることになった。

 恩を仇で返すなんて言葉が生易しいものに感じるほどの蛮行だ。


 何と詫びれば良い。何を以って償えば良い。

 しかしユネはクラウディアを責めない。少女は相変わらず穏やかな口調でクラウディアに尋ねる。


「クラウさんは、六年前の出来事――『最後のきざはし』と呼ばれる場所での戦いのことを知っていますか?」

「何故そんなことを……?」


 何故今その話をこの場で? 想い人が命を散らしたまさにこの時、どうしてこんなに穏やかな声を出せる? ユネの問いに、彼女は混乱する頭を横に振り否定した。


 十一年前から六年前の僅か五年の期間で、人間達は数多くの英雄的偉業を成し遂げた。

 渡り鳥のように世界中を旅した人間達は、各地に蠢いていた遍く邪悪をその巨大な力を以って打ち滅ぼし、その過程において彼ら人間と亜人――獣人やエルフ、ドワーフと言った現代の主要種族のことを指す――は時に手を取り合い、時に反目しながら多くの交わりを営んできた。

 それはホビットの店で品物を買った時であったり、奴隷商人からエルフを助けた時であったり、獣人の国の国難を救った時であったり――井戸端での暢気な世間話であったりもした。


「六年前、古の悪しき神々の本拠――『最後のきざはし』と呼ばれる浮遊大陸が墜ち、人間達がこの世界から姿を消したあの時から、人間に関する記憶は曖昧になっている……六年前まで人間達は確かにこの世界に居た。しかし、『どこで』、『誰が』、『何をした』という類の記憶が、まるで深い霞にかかったかのように曖昧なのだ……」


 彼女は歯切れ悪く述べる。理由は分からない。しかし現実としてそうなっている。納得できないような表情だった。

 クラウディアも騎士学校の訓練場で人間達と共に剣を競い合ったことがある。グリムも大聖堂で人間達に神話を引用した訓戒を述べたことがある。レディックも王宮で褒章を受け取りに訪れた人間達の応対をしたことがある。

 それは男だったかもしれないし、女だったかもしれない。分厚い鎧に身を包んだ古強者だったようにも思えるし、漆黒のローブを纏った痩せぎすの魔術師だったようにも思える。


 しかし、それが一体誰だったのか思い出すことが出来ない。

 姿を思い出そうとすれば、その記憶は朝靄がかかったかの如く輪郭さえも霞む。

 個人の記憶だけでは無い。書物で名前を紐解こうとすれば、その部分だけ虫が食んでいるし、人間達の行動や音声を記録した魔石も全てが砕けている。道端に描かれた落書きでさえも、その部分だけがまるで数千年の時を経たように風化して消えている。

 残されたのは、彼女達亜人が人間の『誰か』と交わったという曖昧な記憶と、人間達が遺した住居や道具類のみ。


 亜人達は覚えていない。だが知っている。

 渡り鳥のような軽やかな足取りで、風のような自由な心でこの世界を渡り歩き、時に笑い、時に怒り、時に悲しんだ亜人では無い『誰か』がいたことを。

 悪しき神を討ち、この世界――エヴァーガーデンに真の自由をもたらした『誰か』が確かにそこに存在したことを。


 それは物質的媒体に帰属する記録でも記憶でもなく、まるで魂に刻み込まれた情報であるかのように。


「『最後のきざはしの戦い』……私達はそれに参加していました」

「なっ――!?」


 クラウディアは驚愕した。

 それは亜人の間で語られている最も新しき神話だ。

 その戦いに、自らの戦友が参加していたとは。しかし尋常ではない彼女の力を持ってすれば、虚言と吐き棄てることは出来ない。


 第一世界樹ユグドラシルの枯死に端を発し、クォーツ発生以前のエヴァーガーデンには数多の悪しき出来事が発生した。それは小さな部族間の対立であったり、国の存亡を脅かす危機であったり、あるいはこの世界の在り方を根本から覆す企みであったりもした。

 その全てを裏から操っていた古の神々との戦いが『最後のきざはしの戦い』と呼ばれている戦いだ。この討滅が成されたことにより、エヴァーガーデンの世界は古の神々の支配から解き放たれ、真なる自由の下歩み出すことになった――とされている。

 もちろんこれも記録として残されていると言うわけでは無く、彼女等亜人がとして認識しているだけだ。

 記録として残っていないのであればそれは事実とは呼べない。しかし彼女達は人間がそれを成したのだと認識している。事実であるのか今は確かめようの無い――根拠の無い、共通の認識下にあるだ。


「私だけじゃありません。アルフ君やユーゴさん、ここにいる皆を含めた千人の人間がその戦いに参加していました」


 『最後のきざはしの戦い』と言う話――その性質は、母親が我が子に読み聞かせる御伽噺に近い。世間に広く流布され、多くの子供が『昔そういうことがあったんだ』と共通して認識している曖昧な事実。

 もっとも、御伽噺の類は分別が付く年頃にはなれば、その話の荒唐無稽さにそれが作り話だと自ずと気付くものであるが、何故か人間に関するこの話についてはそれが作り話であると即座に断ずることが出来ずにいた。

 その度に『それは紛れも無い事実』だ、と彼女達の最も深い部分が耳元でそう囁くからだ。


 故に彼女達はその出来事のことを神話と呼ぶ。それは遠い世界での話、と理解を諦め、目の前の現実と折り合いをつけるために。


「もちろん私のマスターも……」

「ヒビキ殿も……やはり指揮官としてユネ殿達を指揮していたのか?」


 クラウディアの問いにユネの口元が曖昧に微笑んだ。


「まさか一人の戦士として戦ったとでも言うのか……しかしあんな力では!!」


 思わず蔑んでしまった。

 確かにヒビキの指揮能力は卓越したものがあった。人間達の強大な力を深く理解し、五十にも満たない寡兵でありながら、百倍近い物量を誇るクォーツを圧倒して見せた。


 しかしそれは指揮官としての能力だ。ユネのように、個人での圧倒的な武力を持っているわけでは無いとクラウディアは評していた。


 突入前のあの丘で、ヒビキと握手したことを彼女は思い出す。

 細い腕だった。薄い掌だった。

 彼は万魔を切り裂く剛剣を振るう武人でもない。世界に渦巻くマナを支配し強大な魔術を操る魔術師でもない。数多の英知を携え真理に至ろうとする学者でもない。商人でも、鍛冶師でも、細工師でも、薬師でも、農夫でもない。


 一言で言うなら――半端者オッドマン


 剣も使えて魔術も使える。きっと物も作れるだろう。しかしそのどれもがただの一流にさえ満たない、半人前の寄せ集めのような人物。


「……私にはヒビキ殿が練達の戦士であるようには見えなかった。ユネ殿やリィンベル殿は当然、王都の酒場でを巻いている人間の戦士達にも到底及んでいないのではないかと思う……」

「そうですね……そうかもしれません」


 ヒビキは戦士としての能力は低いが、指揮官としては優秀な人間だ。

 そんな彼がユネの後に立つのなら話は分かる。それは指揮官と兵士の関係だ。

 しかし共に剣を並べ、両隣に立つのには相応しくない人間だとクラウディアは思う。

 個人としての武力のみを考えれば、強大な力を持つユネやリィンベルに指先さえも引っかからない。戦士として共に戦うには、彼は彼女達とは不釣合いな男だと思ったし、今も思っている。

 死んだ人間に鞭を打つとは何と浅ましい、とクラウディアは深く頭を垂れた。


「多くの人はマスターのことを『最弱の廃プレイヤー』と蔑みます」


 ユネの言葉にクラウディアは唇を噛んだ。

 だが、ユネは責めてはいない。それどころか、その言葉はクラウディアに向けられてさえいなかったようにも聞こえた。


「だけど六年前のあの時――神さまとの戦いの中、あの最後の十分間、マスターと剣を共にした人間なら知っています」


 ユネは続ける。


「私のマスターは『最弱』なんかじゃありません」


 彼女のその言葉を引き金に、


 どくん。


 と、クラウディアの鼓動が一際高く跳ねた。 

 その鼓動は獣に近しい獣人としての生存本能。獣人が持つ鋭敏な感覚さえ反応しない、そんな異常な何かが彼女の本能に警鐘を鳴らさせた。


 ――何かがいる。


 それは恐怖か、あるいは高揚か。

 脳裏を過ぎったのは、挽肉にされているはずのユネのマスター。

 生きているはずが無い。

 あそこに居て生きていられるものか。破壊の限りを尽くされたあの中心で、命を繋ぐことができようものか。


 生きているのならば、それは真の意味での『人外』。彼女達亜人はおろか、人間でさえもその範疇から置き去りにした、理の外に座する何か。


 砕け散った水晶の欠片が渦を巻き、まるで飛び立つ渡り鳥のように群れを成して空中を駆ける。獣人も人間もグリフォンでさえも動けない空間の中、その中心で白い布きれだけが忙しなくはためいていた。

 その布きれ――白い外套を纏っていたのは、細い腕を緩く伸ばす痩身のシルエット。


 それは死の淵に墜ちたはずの青年が描く。


「そんな……有り得ない……」


 そして砂塵が晴れる。

 呆然と呟くクラウディアの視線の先には理不尽な現実。

 絶対の暴力をいとも容易く受け止める『最弱』が筆を走らせた、現実だ。


 渦巻く風に髪が流され、隠されたユネの表情が露になった。

 その表情が描くのは、憧憬に懐古――そして信頼。

 陽だまりにいるかのような穏やかな微笑を湛えて少女は口を開く。


「マスターがを使えるのはたった三分間です」


 少女は紡いだ。確たる信頼の響きを以って。


「秒針が三度巡るだけのほんの僅かな時間、だけどその間なら――」




「私のマスターは、神さまよりも強いです」




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