第二十話 『災いの巣(下)』
翼の欠けたグリフォンが水晶のフロアを縦横無尽に駆け回る。
その一足は床を砕き、振るわれた尻尾で壁や床に屹立した水晶を薙ぎ倒して行く。
咲耶の攻撃に体表の水晶を砕かれて業を煮やしたのか、EGF時代と同じく発狂モードに入ったのかは分からないが、その動きはかつてのラーカンガスに比べて倍は早い。
付いて行けるのはメンバーの中でも
「はぁっはぁっ……これも浅いっ……!」
「うわーん! 片っぽ欠けたぁー!?」
紫電を纏う剣を後ろに構え直し、ユネが片目を閉じて苦く息を吐いた。僅かな休憩も入れず再び疾駆。フェイントを入れつつ、ラーカンガスに数多の術法剣を浴びせて行く。
ラシャは倒壊した水晶へ飛び移りながら悲鳴を上げている。どうやら二刀の短剣の内の一本が欠けたらしい。
「本当に速いっすねぇ!? 速くて硬いなんてどーしよもねーっすよ!! 傷の方はクゥちゃんが回復してくれるから良いとして、いい加減息が……ひぃーっ……」
どたばたとずっとグリフォンの尻尾を追いかけていたユーゴさんが悲鳴を上げていた。
――戦闘開始から二十分。状況は芳しくない。
アルフが咲耶とクゥちゃんを重点的に守っているため、戦線の決壊こそしていないが、それでもジリ貧である。前線組は既に息も絶え絶えだ。
「クゥちゃん、大丈夫?」
「うん……もうちょっとだけなら頑張れる……」
肩で息をしていたクゥちゃんに呼びかけると、彼女は健気に微笑む。普段は無表情を通していたクゥちゃんだが今はその余裕も無いらしい。
MP回復ポーションを飲んでいるとは言え、前線で戦うメンバーの命綱は彼女一人だ。彼女に押し付けられている身体的、精神的負担は相当なものだろう。僕の方も下級の神聖術でフォローは入れているが、効果はクゥちゃんに及ぶべくも無い。
決定打が無い。
水晶の防御力とラーカンガスが回避行動を取り始めたことが原因だ。
ユネとラシャの攻撃は当たるが軽すぎる。ラシャの攻撃は弱点部位を的確に貫かなければ効果は薄いし、ユネの術法剣もラーカンガスが残された水晶を盾にして防御するのであまり通らない。
水晶なのだから衝撃力に弱いんだと思うけど、高い物理攻撃力を持つユーゴさんとおかゆさんの攻撃はそもそも当たらない。効果が見込めそうな咲耶の大魔術クラスの
結局の所、確実に当たるユネとラシャの速さのある攻撃で少しずつ削っていくしかないが、それだと時間とスタミナの勝負になってしまう。その選択はあまりにも分の悪いと言う他無い。
速くて強い――ユネの必殺技なら両方の条件を満たせるが、あれには準備が必要だ。今のラーカンガスがそれを見過ごしてくれるとはとても思えないし……。
何度目か分からないユネの跳躍。彼女の剣から幾筋もの水流の刃が放たれるがやはり効果は殆ど無い。水煙に身を隠したラシャのスタブ攻撃も同様だ。
「うぐぐーっ! もう一回っ! ユネちゃんお願いっ!!」
「……っ!!」
ラシャの掛け声に押されてユネも駆け出す。何十度目のアタックだろうか。戦闘開始からほとんど全速力で駆け回っているため、スタミナ的にも集中力的にもそろそろ限界が近いだろう。
他に策は無いかと逡巡する僕の耳に、切羽詰った青年の声が聞こえた。北方騎士団の一人グリムさんの声だ。
それまで端の方でユネ達の戦いを傍観していた北方騎士団の三人組が何やら揉めているようである。
「そこを退いてくれグリム。レスタール王国騎士としての責務を果たさねばならない」
「だーかーら! 人間の方達でも歯が立たないのは分かったでしょ!? あんな所に突っ込んだら瞬く前に挽肉ですよ!? ウチら一般人は隅っこで石でも投げていれば良いんですって!!」
両腕を広げて立ちはだかるグリムさんに対し、クラウディアさんとレディックさんの二人はそれぞれの得物を構えて臨戦態勢だ。
「グリム……私も貴殿のように分別を弁えていれば、もう少し生き易かったのかもしれないがな……このロスフォルの地もレスタールの一部。異邦の民であるユネ殿達が懸命に戦っていると言うのに、当事者である私達が剣を提げたままで示しが付くものか」
「ランスタット卿と意見を同じくするのはいささか不愉快だが……宮廷雀共の使い走りとは言え、私もレスタールの騎士だ。退いてはこの剣を賜った陛下に申し訳が立たぬ」
神妙な面持ちの二人がグリムさんの両隣を過ぎる。
そんな二人の様子に彼は更に声を荒げた。
「お嬢は案の定だけど、レディック様も何感化されてるんですか!? 悲壮感ってのは大層な美酒ですけどね、酔ったところで何の益体にもならないんですよ!? 俺達に求められているのは『何もしなくて良いから人間達の邪魔をせずこの場所に居る事』です! 人間の皆さん――ナトリ様もそれを暗黙に承知の上で同行を許してくれたんでしょうが! この期に及んでテーブルをひっくり返すような真似はしないで下さい!」
「グリム……すまないな」
グリムさんの抗議は通らず、クラウディアさんとレディックさんがラーカンガスに向けて駆けて行く。ユネ達への攻撃を繰り出した直後の隙を狙っての突貫。タイミングとしてはベストだ。
美しい刀身を持った長剣と巨大な戦斧から渾身の一撃が繰り出された。
その一撃は僕らの扱う
しかし、二人のこれまでの鍛錬や信念の全てが込められた一撃のようにも思えた。
そして二つの鋼と魔獣の巨体がぶつかる音が響く。
「名工ファルカスの剣を以ってしても、数センチ刻むだけかっ……!?」
だが、現実は悪夢より残酷だ。
レディックさんの戦斧は水晶に弾かれ、クラウディアさんの長剣――きっと名の有る剣匠の作なのだろう――は丸太のように太い前足に僅かな傷を残しただけだった。
『ふむ、新しき民達よ……その気概は認める。しかしそのなまくらでは不相応だ』
ラーカンガスが足元に張り付いた二人の獣人を鬱陶しげに見下ろすと、尻尾を振るい二人を横薙ぎに弾き飛ばした。
水の入った皮袋が盛大に打ち据えられたような音を立てながら、クラウディアさんとレディックさんは数十メートルの距離を吹き飛んで行く。鎧と地面がぶつかる耳障りな音を撒き散らしながら、地面を何度かバウンドし水晶の壁に激突した。
「あー、もうっ! 仕事が増える! これだから直情馬鹿の獣人はっ!!」
グリムさんが二人に駆け寄る。毒を吐きつつもその顔は真剣だ。
二人の傍に片膝で立つグリムさんの両腕に青白い光が集まって行く。
「骨は粉々だし臓は破れてるし……大司祭級の神聖術の瞬間詠唱に同時発現……中央魔術院管轄の邪法と言えど術式の根底に通う原理は一緒――これなら何とか……だけど、そう何度もアテにされちゃあこっちが持ちませんよ!?」
横たわる二人の体がグリムさんの両腕と同じ光に包まれて行った。
あの羽根が散るようなエフェクトには見覚えがある。『神聖術』の中位
グリムさんに治癒を施された二人がよろめきながら立ち上がった。
二人の視線は既にラーカンガスへと向けられている。
「もう一度だ……行けるなランスタット卿」
「まさか、保身を常とする督戦官の貴殿に言われるとは思っていなかったぞ……」
「ぜぇっぜぇっ! あんたらっ! 本当にっ! 死にますよっ!?」
額に玉の汗を浮かべるグリムさんが視線を上げる。
その視線の先にはユネ達の迎撃をものともせず、三人の方に突進してくるラーカンガスの姿があった。
『一度死の淵に臨んでも立ち向かおうとする意気や良し。だが二度目は無いぞ、新しき民の戦士達よ!!』
視線で追うのがやっとの超加速。見上げる程の巨体はそれだけで砲弾のような破壊力を持つ。それに加えて振り下ろされるのは鋭い光を放つ巨大な凶爪。
――あれは駄目だ。
小さな蟻と高速で走るトラックのように比較検証がそもそも成り立たない。受け止められるか否かという次元の話ではなく、触れた瞬間バラバラだ。
それを理解しているのか、レディックさんが虎型の獣人らしい凶暴な笑みを浮かべた。
「くはっ、こちらから赴くまでも無かったなぁ!?」
「こちらの命と引き換えに一太刀――彼奴の一撃を利用すれば前足程度ならば!」
クラウディアさんが長剣を大きく後ろに振りかぶる。防御や回避の何もかもを捨て去った攻撃の型だ。
死を前に決して臆しない二人にラーカンガスの豪腕が迫る。
二人が達が居る場所までは二十メートル以上――『木霊の盾』では届かない。
僕はどう動けば良い。
僕の視界が一瞬狭まり、頭の中にいくつもの選択肢が浮かび上がる。
答えは呆気無いほど簡単に出た。
まるで、それ以外を選ぶのはありえないと言うように。
見殺そう。そうしよう。
あの大振りの一撃の後にはラーカンガスに大きな隙が出来る。そこを狙えば体表に寄生した水晶を避けての精密攻撃が可能だ。上手くやれば脚一本くらいならいけるかもしれない。
出合ったばかりのNPC三人の命と凶悪なネームドモンスターの脚一本。実に魅力的な交換条件だ。何ならもう二、三人渡してもお釣りが来る。
彼女達はコアクォーツとの壮絶な戦いの中、善戦空しく無念にも……そんな白々しい口上が頭の中にシミュレートされて行く。きっと王都とか王宮に赴いて説明――弁明する羽目になるのだろう。督戦官の元締めとも一度話をしなくちゃならないだろうし、今の僕達がどれだけの立場を保証されているかの確認も必要だ。その他諸々も含めてそれはそれで有意義だ。
こんなことまでこのひとでなしの脳みそは考えてくれる。実に主人想いの脳みそだ。
そんな中、
生き残ったクラウディアさんに嬉しそうに抱きつくユネの姿。
――クラウディアさん達が死んだらユネは泣く。絶対に泣く。バラバラになったクラウディアさん達の死体にすがり付いてぽろぽろと涙を零すのだろう。
それこそ昨日、空の中で今までの苦しみを吐き出したときのように。
僕が決して見たくない彼女の顔で。
良くない。それは良くない。とても良くない。
「あー、もうっ! 何なんだよ!?」
思わず――生まれてこの方数えるほどしか無い位に語気が荒んだ。
この世界に来てからというもの何かがおかしい。
動揺して然るべき場面で平静を保つことができ、冷静に判断すべき場面で唐突な感情に身を委ねてしまう。
こんな風に。
右足を大きく踏み込み意識を集中。足の裏に慣れ親しんだ
三人組の位置まで直線で二十メートル強。複数種の移動系
ばきん、と水晶の床にヒビを刻みながら駆け出す。
風のように流れる景色の中心にクラウディアさん達の姿が迫る。
「ヒビキ殿! 来ては――!!」
「どいてっ!!」
他に言いようが無かったものか。
乱暴に叫ぶと同時、外套から取り出した風魔術が仕込まれた術珠をクラウディアさん達にぶち込んだ。
術珠から盛大な衝撃波が発生し三人を吹き飛ばす。
大魔道師まかろんが手ずから仕込んだ特製の術珠。威力は折り紙付きだ。骨の一本や二本は覚悟してもらおう。死ぬよりはマシだ。
そして、考えなしに飛び込めば当然――。
「こうなるよねぇ……」
一息吐くよりも早く視線だけを動かすと、もうそこにはラーカンガスの腕が迫っていた。金色の体毛に覆われた腕。もふもふな事この上無いが、実際は数瞬後に僕の命を掻っ攫う死神の腕だ。
視界がゆっくりと動く。身体もゆっくりと動く。
まるでアニメかドラマの世界だ。
脇役キャラが死ぬ瞬間のアレ。あの身体の動きが残像を伴うやつ。
「ああ、駄目だねこれは――」
まぁ、これでもうユネが泣くのを見ることは無いだろうから良しとしておく。
もうちょっと足掻ける余地があった気がするのが残念だけど。
掲げた左腕にグリフォンの爪の感触を感じながら、僕は――。
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