第十話  『湯煙にて物思う』



 『風見鶏のとまりぎ』のギルドホーム。

 その敷地は所属メンバーの数に比してとんでもなく広い。上空数千メートルを飛んでいたマルーの上からでも、その輪郭がはっきりと分かる程の広さだ。

 ギルドホームはフォルセニア大陸中部と北部の境界あたり――北部に広がる山地の麓に貼り付くように位置しており、半径二キロ程度の円状の敷地を持った街だ。


 敷地の中央には、樹高二百メートルを誇る第三世界樹『ユグドラシル・イリス』がギルドメンバーによって植えられており、その根本には、ギルドハウス『風見鶏の館』が居を構える。


 高所は扇状の区画に仕切られており、その各区画には各々の自宅プレイヤーホームが建てられている。低所には、『風見鶏の館』を基点に放射線上に引かれた三本の目抜き通りに面して、NPC達の商店やその住居が軒を連ね、賑わいを見せていた。


 南区にある商業区画の建物は、石材と木材から成る中世の建築様式――ハーフチェンバー様式と言うらしい――で統一されており、多めに配置された街路樹とのコントラストと相まって、美しい町並みを見せている。


 その一方で、自宅プレイヤーホームが集中する北区の住宅街は、各々が好き勝手に家を建てているので、相当カオスなことになっている。

 石造りの古代神殿があるかと思えば、隣には吸血鬼が住んでいそうな古めかしい洋館があったり、さらに隣を見れば、現代日本の建売住宅(三十五年ローン)のようなコメントに困るくらいのフツーの家が、何食わぬ顔で建っていたりする。

 廃人&変人が、金に物を言わせて作り上げたユートピアがコレである。


 『風見鶏のとまりぎぼくら』の辞書には、『調和』と言う単語は存在しない。


 僕は今、そのギルドホームの一角に構えた自宅プレイヤーホーム――その中に設えた檜造りのお風呂で、だらしなく身体を弛緩させていた。






 水滴の跳ねる音。

 もうもうと立ち上る湯気が、檜風呂から立ち上っている。


 ギルドホームに到着してマルーを厩に入れた後、僕とユネはそのまま自宅プレイヤーホームに帰宅した。

 それまでの道中で、大分柔らかい表情を見せるようになったユネだったが、自宅プレイヤーホームに入った途端どこかよそよそしく――と言うかぎこちなくなった。物理的に。手と足の同じ方が同時に出ていた。

 そんなユネに促されるまま、僕は広い檜風呂で一番風呂を浴びている。


 十畳分の広さを誇る檜風呂は、僕が足を伸ばして入ってもスペースにはまだ余裕がある。このお風呂は、フォルセニア大陸北側のアーレスト大陸で採取できる『橙燐の檜材』と呼ばれる稀少な木材で作られており、入浴するだけでそれなりの治癒効果がある。

 それは置いておいても、身体を好き放題に伸ばしてお風呂に入るのはやっぱり気持ちが良い。現実世界の一般家庭なら、なかなかこうは行かないだろう。VRゲームと言えども気持ち良いものは気持ち良いのだ。


 ゆらゆらと揺れるお湯に身を浸して、僕はだらしなく身体を弛緩させていた。


「あ゛~っ……本当にメインウィンドウ開かないのかぁー……」


 右手でメインウィンドウの起動モーション――フォックスサインを作り、宙を滑らせるがシステムからの反応は無かった。僕の右手は空しく宙を掻いた。

 先程から感じていた今のEGFに対する違和感の正体を確認しようとした矢先にコレである。


 メインウィンドウが提供する機能は大雑把に分けて四つ。

 『ステータス』、『アイテム』、『コミュニケーション』、『システム』の四つだ。

 メインウィンドウが展開できないとこれらの機能は全て使えない。

 自分のステータスは見れないし強化できない。アイテムはアイテムウィンドウから取り出すことが出来ないし、遠くの友人とも通話できない。

 つまりEGFと言うゲームがプレイヤーに提供してきた機能が軒並み消滅していたのだ。このあたりはキツいと言えばキツいが、知恵を絞れば何とかなりそうな感じはある。


 しかし、どうにもならないのが『システム』機能の消失である。


「ログアウトできないじゃん……どうするのさこれ……」


 何しろシステム機能の中には、ログアウト機能が含まれていたのだ。つまり現状、僕は現実世界に復帰できない。

 この事実を確認した時、僕の中には『マジで!?』という驚愕と、『あぁ、やっぱりね……』という悟りのような感情が渦巻いていた。例の『0番ゲートウェイ』を目にした時から、どこかでこの事態を予測していたのかもしれない。


 陽くんあたりが僕のVRデバイスを引っこ抜いてくれれば戻れるかも――とも考えたが、たぶんそれでも無理なのだろう。脳裏に、病室で眠り続けるりっちゃんの姿が過ぎった。


「どうしたもんかねぇ……ぶくぶく」


 あの後、落ち着いたユネからいくつかの事実を告げられた。


 一つ目に、サービス終了後から今まで、EGF――いや、エヴァーガーデンでは五年の歳月が経過しているということ。

 ユネやアルフを始めとするフェローが目覚めたのは、サービスが終了してから約一年後。つまり、先程のユネの言葉通り、彼女たちはこのエヴァーガーデンで四年間の歳月を過ごした事になる。

 全てのフェローが目覚めたというわけでは無く、目覚めたのはEGF時代に作成された全フェローの約五パーセント、十万人程だと言う。彼らも『クォーツ』との戦いの中で、半分ほどまで人数を減らしているらしい。


 二つ目に、この世界エヴァーガーデンの理が、EGF時代とは大分変わってしまったということ。

 理とはすなわち、ゲームとしての仕様のことだ。

 今しがた僕が確認したように、全てのシステム機能が使えなくなってしまった事を初めとして、EGF時代において、全く意識せずに享受していた、いわゆる『現実世界ではありえない便利なもの』のほぼ全てが使用不可能になっている。

 主要地域を結ぶポータルが消滅してしまっていたり、倉庫に格納したアイテムも、格納した場所以外では取り出せなくなっていたりと、影響は多岐に渡っているらしい。


 先程、僕やユネが身を以って体験したように、仮想感覚や残虐ゴア表現のようなシステムの根底に関わる仕様に関しても相当な改変が行われているようだ。僕を包むこのお湯の極めてリアルな質感といい、ここが本当の現実だと錯覚しそうになる。


「まるで、本当の異世界に迷い込んじゃったみたいだなぁ……いや、EGFへのログイン処理を経由してここにやってきたのだからそれは怪しいか……」


 そして三つ目、これが一番の問題だ。

 それは、僕がこの世界に帰還した初めてのプレイヤーではないということ。


 直球で言おう。

 りっちゃんがこの世界に居る。

 りっちゃんだけではない。りっちゃんを含む『風見鶏のとまりぎ』結成メンバー七人の内の五人が、既にこの大地に降り立っている。彼女達はそれほど短くない期間、ユネ達と共に『クォーツ』と戦い続けてきたのだと言う。


 ユネはりっちゃん達が今どこで何をしているのか、という詳細な情報は語ってくれなかった。明朝改めてアルフと一緒に説明させて欲しいと言われ、僕もそれに了承した。

 それを伝える時のユネの声音は、開けたくない箱を開けなくてはならない時のようなものだった。


 察するに、とても厄介な事態になっている。


「りっちゃん、やっぱり君はトラブルメーカーだよ……」






「状況確認はこんなものかな……ぶくぶく」


 水面に映るのは現実世界の名取響一ではなく、EGFでのヒビキの姿。

 体型は現実世界と同じのやや上背のあるもやし。

 課金してマッチョな外見に再設定しようと思った時期もあったけど、『ユネちーとのカップリング考えると、響ちゃんはひょろっとしてた方が、ユネちーも引き立つかなー?』と言うりっちゃんの弁により、ずっとこの体型を維持している。我ながら単純なものである。


 なお、成長に合わせて、身長だけは現実と同じ高さに何度か再設定している。

 ユネにも再設定させてあげようと提案したこともあったが、『マスターのお父様がお仕事を頑張って手に入れた大切なお金を、私なんかのために使わせるわけにはいきません!』と頑なに拒んだため、サービス開始当初と同じ百五十センチちょいと言うちっこい身長のままだ。運営会社泣かせの良い子です。むしろ、お小遣いとバイト代のほぼ全てをネトゲにつぎ込んだ僕の方がダメ人間なのか。

 お陰でユネとは大分身長差ができてしまった。りっちゃんからすれば、『それが良い!』らしいけど。


 黒色の髪は現実世界の僕のそれよりも少し長く、輪郭はややシャープに整えてある。垂れ目がちだった瞳はユネとお揃いの赤色。目元も当社比二十パーセントくらいは凛々しく整えてある。


 少しは夢を見させてほしい。素の素材が良すぎるりっちゃんや、まーくんとは違うのだ。


 でも、現実世界での僕と同じとした雰囲気は概ね残せていると思う。

 原型を留めないほどにいじくり回すと妖怪のような表情になってしまうらしいので、アルフのような超絶イケメンになることは自重しておいた。


「んで、これからどうするのかだけど……ぶくぶく」


 正直、全く考えていない。


 見通しゼロ。ニッチもサッチも行きませぬ。

 湯船に浸かっていれば、良い考えが浮かぶと思ったんだけど、この気持ち良さはむしろ思考能力を奪う。

 それに、まだユネとアルフには情報を出し切ってもらっていない。

 この段階で、今後の行動指針を定めるのは危険過ぎる。

 僕は一度決めた指針や、基準のような前提をすぐに切り替えることが苦手だ。だから、最初だけは慎重に行動したい。少なくともお風呂の中で、風呂上りに何を飲もうか、みたいに気軽に決めて良いことじゃない。


「それでも、一番の目的はもう決まっているんだけどね……」


 ユネの幸福を守ること。

 それがこの世界における僕の行動基準――行動原理だ。


 『EGFと言うゲームの中』なのか『本当の異世界』なのか、謎ばかりが存在するこの世界の中で、僕が唯一断言できることがそれだ。

 僕がこの先どのような状況に晒されたとしても、それが覆される事は無いだろう。

 そのためだけに、僕はこの世界に戻ってきたのだから。


 問題なのは、どのような手段を以ってそれを実現するか。


「堂々巡りになりそうだから、今日はこのへんにしておこう……ぶくぶく」


 四年もの間、ユネに絡み付いていた呪いのような重責が、多少なりとも解かれたのだ。そんな彼女に、怖い顔のまま会いたくない。


 再び弛緩モードに突入。脳みそがとろける。

 風呂桶の縁に頭を乗せて、ぐでーっと全身を伸ばす。お湯は温めだけど、それがちょうど良い。このまま眠ってしまったらどんなに幸せなことか――。


 天井から滴る雫を見つめていると、ガラス戸の向こうに人の気配を感じた。

 曇りガラスだからよくは見えないが、あのぎこちない動きのシルエットは言うまでも無くユネだろう。まだ直ってなかったらしい。


「ま、マスター! おゆっ……お湯加減はいかがですかー……?」

「すっごい良い感じー、このまま溶けても良いー……」

「溶けちゃうのは困ります……」

「久しぶりに一緒に入ってみるー?」


 シルエットがびくんっ、と分かり易く動く。

 システム系が殆ど機能してないならGMコールなんかできないだろうし、ハラスメントし放題だなぁ、などと僕のとろけた脳みそはそんなアホなことを考えていた。


「お、お着替えとタオル、こちらに置いておきますのでっ!」

「ありがとー」


 ユネの影が転びそうになりながら居間の方に消えて行く。ちょっと残念。

 いや、ユネと一緒にお風呂に入りたいという邪な気持ちと一緒に、早くユネにも疲れを癒して欲しいという気持ちもある。比重としては前者の方に振り切れるが。


「じゃぁ、早く出ろってお話ですよねー……がぼぼぼぼ」


 ぱたぱたとユネの鳴らすスリッパの心地良いリズムを聞きながら、僕は身体を更に深く湯船に沈ませた。




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