第九話  『空の中、彼の理由』



 少しEGFのゲームとしての設定を説明したい。


 全体的な世界観は、よくあるファンタジーゲームとほぼ同じ――良くも悪くも王道である。


 『エヴァーガーデン』がこの世界全体の名前。

 中世のヨーロッパや中東、日本の文化を模したコミュニティが、ファンタジーなテイストを交えて世界各地に散在しており、各地域はそれぞれの特色に溢れている。


 エルフやドワーフ等の、単一の種族によって国家を形成している所は、地底都市や樹上都市等、現実世界では見られないユニークな文明を興しており、大昔に滅びた高度な古代文明なんてのもある。プレイヤーとフェローは、エヴァーガーデン中を旅しながら、それらのコミュニティにまつわる様々な伝承の謎や陰謀に挑んで行く。


 エヴァーガーデンに住む人々――NPCは、エルフや獣人、ホビットやドワーフ等の亜人がほぼ全てを占めており、いわゆる普通の『人間』と言う種族は、プレイヤーとフェローに限定されている。

 これは、エヴァーガーデンでの『人間』は、古代文明人の末裔であり、人口が極めて少ないと言う設定のためだ。

 逆にプレイヤーとフェローは、キャラクター作成時に人間以外の種族を選ぶことが出来ない。これはサービス開始当初、実際の『ヒト』と言う生物とあまりにも体格や外見的特長が異なる身体では、精緻な仮想感覚を再現することが出来なかったから、という技術的側面の問題もあったらしい。

 もっとも、技術的発展に伴い、獣耳や尻尾程度なら後付で生やすことが可能になった。もちろん課金アイテムだけど。


 存在する大陸は、現実世界と同じく全部で六つ。数は一緒だが、配置はかなり異なる。

 今僕たちが飛んでいるのはその六大陸の一つ、世界地図の南西に位置する『フォルセニア大陸』の上空だ。

 昔富士山に登った時と同じ位の高さに感じたが、正確な高度は分からない。いずれにしても相当な高さだろう。外套の付与能力のお陰で寒くは無い。

 これだけの高度にあっても地平線の輪郭は丸く見えない。これはエヴァーガーデンが球体である現実世界とは違い、平面状の世界を成しているためである。


 フォルセニア大陸は、ゲームのスタート地点でもある。初心者用エリアだけあって、フィールドモンスターのレベルも低い。僕が所属していたギルド『風見鶏のとまりぎ』のギルドホームもここにある。

 プレイヤーとフェローが最初に降り立つ大陸だけあり、その自然環境はとても穏やかだ。

 『風と草原の大陸』という公式サイトの紹介文通り、大陸には緑の草原広がり、規模の小さな森がいくつも点在している。緩やかな丘も多く、丘の上から見下ろした草原の緑と大海の青を臨む絶景は、多くのプレイヤーのため息を呼んだ。


――かつてはそのはずだった。






「何だろう……あの紫……?」


 フォルセニア大陸の東側の一部にぽつぽつと点在する紫色のシミ。それは豊かに生い茂る緑を侵食し、東に行けば行くほどその密度を増して行く。

 数百キロの向こう――距離感が分からないのでかなり適当だけど――では、そのほぼ全てが紫色に塗りつぶされていた。

 目を凝らしてそのを見てみると、わずかに隆起していることが分かる。

 それは丘や山の広がりのような連続的なものではなく、局所的――端的に言うなら構造物の集合から成る隆起だ。


「……あれは全て『クォーツ』です」

「クォーツ……?」


 ユネが頷く。


「紫色の水晶……さっきの『ワーム』と同じだね」


 先程遭遇した、紫色の水晶に寄生されたワームを思い返す。

 神秘的で仄かな輝きを発していた水晶でも、これだけ多く――それこそ大陸を覆い尽くす程に群生している姿を目の当たりにすると、美しさよりも先に、どこか得体の知れない禍々しさを感じた。


「エヴァーガーデンの最北に位置する、暗黒大陸と呼ばれていた七つ目の大陸――EGFでは最後まで実装されることがありませんでしたね――そこに『クォーツ』は発生しました」


 彼女は続ける。


「『クォーツ』は人々を喰らい……国々を滅ぼし……大地さえも飲み込もうとしています。私達フェローは、亜人の人達――かつてNPCと呼ばれたの人々のことです――彼らと力を合わせて、『クォーツ』と戦ってきました」

「戦ってきました――って、戦いの始まりが随分昔のような言い方をしてるけど……EGFのサービスが終了してから、まだ二週間しか経っていないよね?」


 言葉にしてからおぼろげに気付く。

 今まで感じていた違和感という名の歯車が、かちんと噛み合ったような気がした。


 ユネがゆっくりと振り向く。


「……」


 先程の戦闘から伏せたままだった視線を僕に向ける。

 彼女の象った表情に、僕の息が止まった。


 疲れ切った顔だった。


 虚ろな瞳には大きなくまが刻まれており、口元は僅かな弧を描く。

 どこか微笑んでいるようにも見えた。


 しかし、それを形作っているのはきっと真逆の感情だ。

 もう戦うことに、生きることに疲れたかのような――このままマルーの背中から飛び降りてしまえばどんなに楽なことか――そんな想いを髣髴させるような表情だ。


 そこには、かつての穏やかなユネの面影は微塵も無い。

 しかしその表情が、今のユネには酷くしっくりときた。

 あの怪我の治療の直後に見せた、僕が良く知るユネでは無い。この目の前にいる、希望が潰えそうなユネこそ、今の彼女の真実の姿なのだと。


 ユネが身に着けている穴の開いた白い戦装束は、目立たないような工夫はしているがほぼ全身が傷だらけのツギハギだらけ。

 僕が彼女に贈った赤いマフラーも酷く色褪せている。何年にも渡ってずっと使い続けて来たかのように。ぼろきれのようになったマフラーの端が、頼りなさげに風に揺れていた。


 分かってしまった。

 このユネの顔を見て、分かってしまった。

 常識とか道理とか、僕にとっては絶対的な――そういう前提を二段も三段もすっとばして理解してしまった。


「……どれくらい経ったんだい?」

「四年……です……」


 SNSに書かれたメッセージと同じだ。やはり、あのメッセージの送り主はユネだったのだろうか。


 それは長い。長すぎる。


 僕が現実世界で過ごした二週間と、ユネがエヴァーガーデンで過ごした四年間。時間差にしておよそ百倍。

 それは何の魔法か。ゲームサーバの内部時間が加速したのか。

 現代における最先端の研究機関では、VR技術を利用した主観時間の加速化も研究されていると聞くが、まだ基礎研究の段階で実用化の目処は立っていない。

 しかし、そんなの話はどうでも良い。


 今、ここに、絶望に沈みそうなユネがいる――僕にはそれが全てだ。


「そうか……うん……分かったよ……」


 ユネの頭を撫でる。今の僕にはこんなことしかできない。

 ユネは嬉しそうではない。恥ずかしそうでもない。ただ悲しそうに顔を歪ませていた。


「……もう私は、マスターの知っているユネではありません。昔、マスターと一緒に旅をしたユネは『クォーツ』との戦いの中で消えてしまいました……今マスターが触れているのは、何千、何万もの人々を見殺しにしてきた人でなしのユネです……」


 僕の手の動きに合わせて、絹糸のようなユネのさらさらの髪が静かに動く

 右へ左へと、時計の振り子のようにゆっくりと動く。


「止めて下さい……どうかお願いです……マスターに優しくしてもらう資格なんて、このユネには無いのに……」


 更に撫でる。ゆっくりと優しく。

 繊細な硝子細工に積もった埃を払うように。傷をつけないようゆっくりと。 


「た、たくさんの人が亡くなったんです……マスターのような力があれば、救える命もありました……だけど、私には救えなかった……マスターやりっちゃん様、まーくん様達が作り上げた『風見鶏のとまりぎ』と皆を守るために、私はいくつもの命を切り捨ててきたんです!」


 ユネの瞳が潤む。

 限界まで張られた弦のような感情が、彼女の言葉から滲む。

 その引き絞られた弦を緩めるように、優しく優しく撫でる。


「イナバさんやころねさん……私を信じてくれた人達も……みんな、みんな……」


 そしてついに――ようやく零れた。

 ユネの瞳からぽろぽろと涙が落ちる。

 マルーの手綱は握ったまま、零れる涙を拭いもしない。


「マスター……マスター……私は……私はっ!」

「うん、分かってる……分かってるよ、ユネ」


 それはどれほど凄絶な戦いだったのだろうか。

 どれほどの辛苦を味わってきたのだろうか。

 僅かな情報しか持たない僕に、それは分からない。

 プレイヤーと言う寄る辺の無い世界の中で孤独な戦いを送ってきたのかもしれない。救いたい命も救えなかったのかもしれない――優しい彼女にとって、それはどれだけ辛いものだったのだろう、僕には想像もつかない。


「こんな言葉じゃ、君のこれまでが救われるなんて絶対に思わない」


 それでも、これだけは言わなければならないだろう。


「だけど僕は言うよ。君のその強さと優しさを称えるために」


 たとえここが仮想の世界であったとしても――あるいは本当の異世界であったとしても関係無い。その価値は普遍だ。

 ここが一体どのような形態を持った世界であっても、ユネにとってはここがただ一つの現実で、彼女はその現実から目を逸らさずに、今まで戦い続けてきたのだから。


「よく頑張ったね、ユネ……僕は君を誇りに思う。もう大丈夫、僕がいるから」

「マスター……ますたぁぁぁぁぁっ! う、うわぁぁぁぁぁぁんっ!!」


 それは四年間抑え続けてきた全ての感情か。


 痛かったのだろう。辛かったのだろう。苦しかったのだろう。


 この言葉で、僅かなりにも報われたのだと、今はそう思いたい。


 手綱を手から落とし、ユネが僕に身体を委ねてくる。

 両腕を回してしまえば、すっぽりと覆い被さってしまえそうなほどの小さな身体。いくつもの命を背負うには、あまりにも小さい身体だ。

 この小さな身体を砲煙弾雨に晒して、僕達が居なくなった後も『風見鳥のとまりぎ』を守ってきてくれたのだ。既に存在としては死人に等しい僕達が、そこに生きた証を残すために。自らの死を厭わず、死人のために。


 それはあまりに愚かで優しい行為。


 人間として生きていくためには不都合な、人間には持ち得ることのできない優しさだ。


 腕の中で泣きじゃくるユネの頭を撫でながら、僕は考える。

 この世界で何が起こったのか――何が起こっているのか確かめなくてはいけない。

 ユネを苦しませているのは何なのか、ユネを悲しませているのは誰なのか、その原因と根源を。


 そして、仮定するいくつもの条件が重なったその時――。


 僕はいくつかの決断を迫られるのだろう。




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