第八話 『ギルドホームへ』
剣を鞘に収めたユネとアルフは、一言二言短い言葉を交わすと撤収準備を始めた。
強大な敵を倒すことが出来た高揚や喜びは微塵も見えない静かな幕引きだった。
「ユネぇ……後を任せるって、とっさに身体に動いたから良かったものの……」
「……ホームに戻りましょう、マスター」
僅かに目を伏せてユネが僕の隣を通り過ぎる。
咎められたことに落ち込んでいるのでは無いだろう。
先ほど僕の膝の上で繰り広げた、いつものユネはどこへ行ったのか。どろりと濁った赤い瞳を湛える険しい表情。かつてのユネにはまるで似合わないその表情が、何故か今のユネにはしっくりと来た。
アルフに目配せすると、ばつが悪そうに目を逸らされた。理由は自分で確かめるしかなさそうだ。
ユネが煙草サイズの小さな呼び笛を懐から取り出す。
「あ、マルー呼ぶんだ」
「……はい」
ユネがその呼び笛を吹くと、口笛よりも高く澄んだ音色が空に響いた。
しばらくの沈黙を経て、重く空気を打つ羽音と共に大きな影が空から降りて来た。
シルエットからでもそれと分かる八メートルほどの大きな体。翼と一体化した両腕を持ったドラゴンだ。長い尻尾に、いかにもといった造りの顔には、立派な二本の角が生えている。
「マルー! 久しぶりだね!」
「ぐるるるる……」
彼(?)は、『マルーブロフ』という騎乗ペット。魔獣種に属するウィンドワイバーンと呼ばれる翼竜の一種だ。彼はその中でもレアな
空中移動用のペットとしては、リンドブルムやグリフォンと並んで人気のある種であり、アーレスト大陸の高山帯の集落に住むNPCから購入できる。価格はNPCの販売する騎乗ペットとしては破格の三千万クラースととても高価だったが、その飛行速度は中位の幻獣種に匹敵する。
しわしわのゴムのような真っ白な表皮に覆われた大きな頭を雑に撫で回すと、マルーは気持ち良さそうに目を細めた。
「ぐるぅぅぅ♪」
愛いやつめ。
蛇のように縦に裂けた瞳孔を持った金色の瞳は、慣れればとても愛嬌がある。
マルーの飼い主は僕ではなくユネ。『騎乗』スキルに属するものを一切持たない僕は、一人では何一つ乗ることが出来ない。無理やり一人で乗ろうとすると、こんなに懐いてくれているマルーであっても、がぶりとやられてしまう。良いんだ、ユネに乗せてもらうから……。
「私は本営に戻って、クラウディア殿――レスタール王国の北方騎士団の代表者と、今後についての打ち合わせをしてきます。ヒビキ様、申し訳ありませんが、詳しい話は明朝になるかと……」
「大丈夫だよ。明日は大学休みだし、久しぶりに
もう夏休み目前で、最後のレポートは夕方に提出してある。テスト系の単位科目も、恐らく追試と言う事態は発生しない。一日くらいどっぷりとEGFにログインしていても問題は無いだろう。家族には何か言われそうだけど。
「ええ……ええ、そうしてください。ユネ殿との久方ぶりの再会です。お二人して多少のお寝坊でも、私は構いませんよ」
「あはは、GMコールされない程度にしておくよ」
「今はそういうものは存在しないんですがね……」
「え?」
「……マスター、早く」
よく聞き取れなかったアルフの呟きを聞き返すよりも早く、既にマルーの背中に跨ったユネが騎乗を催促した。
「じゃあ失礼するよ……っと」
二メートルほどの高さにあるタンデム型の鞍に飛び乗る。
EGFでは身体能力の基礎値も強化されるので、『身体能力』スキルに殆どポイントを振っていない僕でも、このくらいは出来る。
マルーを操るユネは当然前なので僕は後ろだ。
この視界の高さは久しぶりだ。わくわくしてくる。
「……久しぶりなので、しっかり掴まっていて下さい」
「うん、よろしくね、ユネ」
騎乗中はシステムサポートが加わるので、敵からの攻撃や意図的に落ちようとしない限りは落ちることは有り得ない。しかし、ここはユネの言葉に素直に従っておくことにする。
ぎゅうっ。
「ひぅっ……!?」
ユネの細い腰に両腕を回し、首の後ろに頬を着けて後ろから覆いかぶさる。
ぴったりと密着。しっかり掴まらないといけないからね。しっかりと。
ふにふにと柔らかいユネの身体が一気に強張った。かなり痩せたっぽい――この二週間で? いやまさか。
「で……では、上がります……」
ユネがマルーの腹を軽く蹴ると、マルーは大きな両腕――翼を広げて浮かび上がる。視界は更に五メートルほど高くなる。ゆらゆらと揺れるこの独特の浮遊感。
「あははは、この感じも久しぶりだなぁ」
「……一気に雲の上まで飛びます」
「雲の上って……ウィンドワイバーンの飛行可能高度っ千メートルじゃないっけ?」
見上げた空に浮かんでいる雲は、もこもことした広がりを持つ層積雲――確か二千メートル程度の高度に形成される雲のはずだ。その高さまで飛翔できる騎乗ペットは、エンシェントドラゴンのような神獣種しかいない。
「今のマルーなら……行けます」
そう言うと、再びユネがマルーの腹を蹴る。
マルーは低い雄叫びと共に、翼を更に強く羽ばたかせる。
僕が未だかつて味わったことの無い強力な加速感。
手を振るアルフと、僕の情けない悲鳴を置き去りにして、僕らは一気に大空へと舞い上がった。
「うえええええぇぇぇぇぇぇっ!?」
「……っ!」
風を切り裂き、ぐんぐんと大空に向かって飛んでいくマルーの大きな体。
僕がひねり出す情けない悲鳴は、鼓膜を叩く風の音で全く聞こえない。
身体の中身が置いていかれそうな強烈過ぎる加速。
先ほどはからかい半分で掴まっていたユネの身体に、今は必死に掴まっていた。
「やっぱりおかしい! おかしいよユネっ!!」
僕は声にならない叫び声を上げる。ユネには届いていないだろう。
EGFでは現実世界に限り無く等しい感覚を体験することが出来る――と言うのは周知の事実である。ただし『それは身体的・精神的に悪影響が出ない範囲で』と法律が定めている。
ゴブリンの刃こぼれした剣でお腹を刺されても、脇腹を軽く抓られた程度の痛みしか感じないし、ドラゴンの火炎ブレスで炭化するまで焼かれても、ちょっと暑いサウナに入った程度の暑さしか感じない。
痛みや熱さだけではなく、EGFで体験することの出来るあらゆる感覚にはある一定の制限が設けられており、それを越える強烈な感覚を味わうことは決して無い。プレイヤーの脳へ擬似生体波を発信するVRデバイスのハードウェア的な構造上、それは不可能だと聞いている。
もちろん、それは僕が今感じている加速感にも適応されているはず――少なくとも前は適応されていた。しかし今、現実世界で思いっ切り自転車を飛ばした程度だったその感覚は、まるでリニア新幹線の背にへばりついている時と等しいように感じられた。
「マルー、加速停止……慣性制御で雲の上に出ます」
「ぐるっ」
十秒程を使って徐々にスピードが落ちる。
ようやくユネの背中から頭を上げた時には、周囲360度が空の青。1分にも満たない飛翔でこの高さ。まるでロケットだ。
「大丈夫ですか……マスター?」
ユネが振り返った。淡々とした口調からして、あの加速でも全く平気なようだ。
「あまり大丈夫じゃないかも……色々口から出てきそう――って、EGFの中じゃ無理だね」
「今のEGF――エヴァーガーデンでなら可能です。何でも出来ますし……何でも感じられます……」
「それってどういう……」
僕の問いにユネは答えない。
代わりにゆっくりと指し示す。
それは眼下に広がる広大な大地。
かつて、プレイヤーやフェロー、数多のNPCが第二の――あるいは唯一の生を謳歌していた、豊かな緑に覆われた美しい大地。
「え……?」
「これが、今のエヴァーガーデンです」
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