第七話 『嚆矢のように歌え』
それは何とコメントすれば良いか、難しい姿をしていた。
地面を突き破って姿を現した巨大な生物。
グロテスクだと言えばグロテスクだし、コミカルだと言えばコミカルだ。見方によっては美しいと思うこともあるかもしれない。
『ワーム』の名前通り、地面を突き破り鎌首をもたげる長く細い身体。細いと言っても、身体は直径で三メートル以上はあるだろう。高さは見上げて首が痛いほど――十五メートル以上はある。ワーム系の魔物の中で最大を誇る『キャニオンイーター』には遥かに及ばないものの、その巨大な姿はLv250以上のプレイヤーをターゲットとしたハイエンドコンテンツに登場する魔物のそれに等しい。
「これはまた、すごいデザインの魔物出して来たね……何かイベントでもやってるの……?」
身体の組成は土色をした有機物がメインのように見える。有機物の身体から無数の紫色の水晶の柱が突き出した、有機物と無機物の混成生物。
見ようによっては、水晶に寄生されたワームのように見えるかもしれない。
「いえ……さっきも言いましたが、今はそういうのではありません……」
今までの経緯を考えれば、イベントモンスターであるはずが無いだろう。そもそもこのサービスが終了されたEGFでイベントをやっているわけが無い。
現に、ユネとアルフの二人は、今まで僕が見たことの無いような表情――怒りや憎しみにも見える光を僅かに瞳に宿していた。
ワームには、先端の乱杭歯を持った口以外にも、体中に無数の口が開いており、そのどれもがガチガチと飢えたように音を立てている。
仮想空間ではありえない程のリアリティ――本能的な恐怖に、僕は思わず息を呑んだ。
「ヒビキ様、積もるお話はありますが、また後ほど。既に大勢は決していますが……どうかお下がりください」
アルフが口角を引き絞って、一歩前に出る。
「■■■■■■■■■ーッ!!!」
『ワーム』が咆哮した。
「ぐっ……!?」
文字で表すことが出来ない、今まで聞いたことが無いような奇怪な音。まるで声とは言えない音の塊が、物理的な衝撃と言う形で僕達の身体を打った。
「『クォーツ』め、断末魔にしても品が無さ過ぎますね!!」
僕が僅かに目を外した隙に、アルフは相手の懐に肉薄していた。目の前に掲げた大盾で今の咆哮をガードしたのだろう。
アルフが、盾の後ろに構えた
『斧槍術』と『盾防御』の
最前線で戦うことを旨とした
強烈な突きの一撃に、僅かに『ワーム』の巨体がよろめくが、倒れるまでには至らない。
「■■■■■ーッ!!!」
再び咆哮。
『ワーム』は身体の表面から何本もの触手を生やして、アルフの身体を穿つべく、触手を殺到させた。
しかし、彼の身体にそれは届かない。
身体の大部分を覆い隠せるほどの巨大な盾を、まるで発泡スチロールのように軽々と動かして、アルフはその全てを受け止めた。大きな火花が舞うが、彼が構える盾が砕かれることは無い。
アルフの持つ盾は、神話級武具の『アルマカツェルの聖楯』。いかに相手が強力なエンドコンテンツの魔物であったとしても、容易に抜かれるようなことは決して無い。
しかし攻撃速度の遅い
「せめて、スタミナと自己回復力向上の
脳裏に対象の
「あ、やっば……」
目が合った。
いや、あの『ワーム』に目は無いけど。鋭い歯が歪に生え揃った大きな口が、こちらに向けれられていた。
「詠唱反応型のワームなんて、聞いたことが無――」
相手の大きさと触手の長さから考えて、攻撃可能範囲は三十メートル弱。
アルフに殺到していた触手の内の一本、先端に水晶の塊を持った特に太い一本が、僕に向かって発射される。
高レベル帯の魔物が放つ魔法攻撃よりも圧倒的に早いその一撃を、
「――させないっ!」
弾丸の速さを以って迫った質量を、後ろから飛び出した小さな影――ユネが打ち払う。
風切り音。
ぴゅんっなんて可愛らしいものじゃない、轟とした烈風と巨大な質量との激突音が僕の鼓膜を強かに打った。
術法剣『ウィールウィンド』――手にした銀剣『ヒュペリオンソード』に風を纏わせて、巨大な触手の一撃を逸らせたのだ。
「……マスターには、絶対に届かせません」
緑色のエフェクトを放つ風を纏い、ユネが『ワーム』を見据える。
「少し前に出ます……マスター、後はお願いします」
「後って――ちょっ、ユネっ!?」
僕の声を聞かずにユネが駆け出す。ユネが僕の声を無視して、突っ込むなんてことは今まで決して無かった。
残像すら残しそうなスピード。
ユネはスピードを重視した軽戦士系のビルドだ。足の速さと手数の多さに秀でるが、繰り出す一撃は軽い。その弱点を『術法剣』スキルで、的確に敵の弱点属性を突くことによって補っている。敏捷性と術法剣関係のスキルに、ほぼ全てのリソース――スキルポイントを振っているので、支援系のスキルは何一つ取っていない。
博愛と言う言葉を人の形にこね上げたような、以前のユネの性格を考えれば意外とも言えるビルドである。
ユネが『ワーム』へと迫る。殺到する水晶弾の雨を掻い潜り、薙ぎ払いの一撃を飛び越え、かわし切れない一撃は風を纏わせた剣で逸らす。
地面に突き刺さった触手を踏み台に、ユネが踏み切った。
何本もの触手を足場に、上へ上へと軽やかに飛び移り、最後の跳躍。
数瞬後、ユネの身体は空中にあった。眼下には巨大な口を広げる『ワーム』の姿。
位置エネルギーの大きさは、最終的な運動エネルギーの大きさに帰結する。
絶対に当たるという保証があるのならば、大上段からのテレフォンな一発やジャンプ斬りは意外と合理的な選択肢なのである。
現実世界の物理法則に即したEGFでも、規定値以上の運動エネルギーを持った攻撃にはダメージボーナスが入るし、何より見た目もかっこいい。
『ワーム』の懐で奮闘していたアルフが、そのユネの姿を見て叫ぶ。
「ユネ殿っ!? まだ浅いっ!!」
その声にまるで呼応するように、アルフに殺到していた触手の何本かが鋭角的に軌道を変えた。その標的は当然――ユネだ。
中位の『アクロバット』スキルしか持たないユネには、空中で軌道を変える術はない。ユネに迫る無数の触手は、数秒を置かずに彼女の身体を串刺しにするだろう。
「後を任せるって、本番ぶっつけじゃないか!?」
しかし、六年間この世界で培った冒険者としての経験は、未だ朽ちず僕の中にあった。
この状況を打破する行動を取るべく、身体が動く。
「――古き蔦の呪縛よ、再び此処に芽吹け!」
自ら設定した起動用の音声トリガー――詠唱と共に大地に右腕を着いて僕は叫んだ。
地面に置いた手の甲に有機的な紋様が浮かぶ。紋様が発する橙色の光は大地に染込み、刹那、四対八本の蔦が発芽した。
『アイヴィーバインド』――下位『祈祷術』スキルで取得できる
『マナの心得』スキルの『術式制御:超過駆動』による射出速度のブースト付きだ。
『ワーム』の触手の速度に匹敵する程の速さで延びた蔦は、ユネの目前に迫った触手を絡め取り、その速度を劇的に減少させた。
触手は絡みついた蔦を力ずくで引きちぎろうとするが、僅かに蔦が引き伸ばされるだけでその試みは成功しない。
「残念、そんなんじゃ、その呪縛からは逃げられないよ」
加えてマナの心得の『術式制御:過剰供給』と『術式制御:性質強化』によって、強度と靭性も強化済みだ。廃レベルのMPでありったけの強化をした蔦の呪縛は、フィールドモンスターのワームなんかに解けるわけが無い。
「今だ、ユネ!!」
空中のユネと一瞬目が合う。どろりと濁った赤い瞳がこちらを見ていた。
ユネは僕が拘束した触手に着地。そのまま一気に駆け下りる。
触手の幅は彼女が握る片手剣の幅より僅かに広い程度。空中から『ワーム』の本体まで垂れ下がる細い細い小径を、そこがまるで舗装されたアスファルトの道であるかのように迷い無く駆け下りて行く。その姿はまるで曲芸師さながらだ。
『ワーム』本体に剣が届く少し手前で、ユネが再び空中に身を翻らせた。
「二精宿れ……炎は灰に、氷は塵に――」
彼女が囁くように呪言を紡いだ。
銀剣の刀身が赤熱する。術法剣の行使に特化したその銀剣はユネが流し込んだMPをダイレクトに炎へと変換し、刀身が巨大な炎に包まれた。
「――っ!!」
静かな気合と共に振り下ろした大上段からの一撃は、『ワーム』の下顎に直撃した。
そのまま胴体を切り裂きながら、紅蓮の軌跡を描き、地面まで一気に切り結ぶ。
ユネは着地した瞬間、左足を軸にそのまま一回転。回転の最中、ヒュペリオンソードが纏っていた炎は僅かな光の粒子を残して消え去り、今度は極寒に吹きすさぶ氷の刃をその刀身に纏わせた。
回転エネルギーの全てを込めた氷の刃での横薙ぎの一閃は、ばきんっ、と高い破砕音を立てて『ワーム』を両断した。
上位レベルの『術法剣』をベースに、上位の『火魔術』と『水魔術』のスキルを織り交ぜた高威力の二属性物理攻撃だ――かつてユネが得意としていた
ワーム系を初めとする昆虫系の魔物には、熱量系の属性攻撃が良く通る。
両断された巨体を二度、三度とうねらせて『ワーム』の身体が傾く。
ユネが剣に付いた血を振り払い鞘に収めたと同時、『ワーム』の巨体が地面へと沈み込んだ。
大きな土埃の舞う中、最早ぴくりとも動かずに横たわる『ワーム』の巨体。
その『ワーム』の身体の内側から、何本もの紫色の水晶の柱が突き出した。
何本、何十本とその萌芽のスピードは加速度的に速くなり、『ワーム』が水晶のクラスターに飲み込まれて行く。体表面の大部分から水晶の柱を突き出させたその姿は、最早それが『ワーム』なのか水晶なのか判別できないほどだ。
そして、紫色の水晶の悉くに亀裂が入ると、僅かに残されていた『ワーム』の生体組織ごと粉々に砕け散った。わずかな風に散らされた水晶の欠片が、ダイヤモンドダストのように陽光を乱反射させ、きらきらと輝いた。
寒いわけでも雪が降っているわけでもないのに発現した不思議な光景。
後には何も残らなかった。
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