続・色々な色 ③ドラゴン花火と徳川家康
※文末に今回の「まとめ」を掲載しています。
読みにくい文章に耐えられない方は、一番下まで画面をスクロールさせて下さい。
『
色鮮やかな花火は、幅広い世代に愛されています。
夜空に咲く打ち上げ花火ほど、「日本の風物詩」と言う表現が似合う光景はありません。
花火大会の日には、たくさんの人が川辺に集まります。
打ち上げ花火ほど派手ではありませんが、ねずみ花火やロケット花火も大人気です。一度も花火をしたことがないと言う方は、かなり少ないでしょう。平和な日本ですが、火薬の消費量は世界でも多いほうかも知れません。
火薬の発祥に付いては諸説あり、断言することは出来ません。
ただ一般的には、7世紀から8世紀頃の中国で誕生したと言われています。
日本に火薬が上陸したのは、
鎌倉幕府の相手になった
迎え撃つ武士たちに対し、
「てつはう」は現在の手榴弾に近い武器で、「
見た目は20㌢ほどの球体で、外側は素焼きの陶器で作られています。内部には火薬と鉄の破片が詰め込まれており、導火線に火を着けることで爆発するそうです。
一昔前まで、「てつはう」は爆発音で敵を驚かす武器と考えられていました。
実際、作者は「武士を威嚇する兵器」と習った記憶があります。しかし最近は、人を殺せると言う意見が主流になっているようです。
近年、てつはうの認識が変わったのは、実物が見付かったためです。
長崎県の海底にある遺跡からは、
貴重な1個には、CTを使った検査が行われました。結果、明らかになった内部には、鉄の破片や陶器の
当時の火薬は、あくまでも外国人の使うものでした。
では我々日本人は、いつ頃から火薬を利用するようになったのでしょうか?
この問題にも幾つか答えがあり、真相は明らかになっていません。ただ1543年には、
花火と日本人の出逢いも、解明されているとは言いがたい状況です。
宣教師の残した書物には、1582年に花火をしたと言う話が出て来ます。花火を行ったのはポルトガル人の宣教師で、場所は大分県にあった聖堂でした。
ヨーロッパでは日本に先んじて、花火を観賞していました。最初に花火が行われたのは14世紀で、舞台となったのはイタリアのフィレンツェだったと考えられています。
また別の書物には、1613年に花火を行ったと言う記述があります。会場になったのは当時静岡にあった
この話は複数の記録に登場することから、2017年現在最も信憑性が高いと言われています。
天下人の家康が見たと聞いたら、多くの方は盛大な打ち上げ花火を連想することでしょう。その実、彼が見たのはドラゴン花火に近いもので、竹の筒から火の粉が飛び散るだけだったそうです。
長くなったので、今回はここまで。
次回はあの掛け声の秘密に迫ります。
◇今回のまとめ◇
☆火薬が誕生したのは、7世紀から8世紀頃の中国。
☆日本に火薬が上陸したのは、
☆日本人が火薬を使うようになった時期には、諸説ある。ただ
☆花火との付き合いは、日本よりヨーロッパのほうが長い。
☆ヨーロッパでは14世紀頃から、花火を観賞していた。
☆1589年には、
☆日本で初めて花火を見たのは、
☆
参考資料
武器事典
市川定春著 (株)新紀元社刊
花火の事典
新井充監修 (株)東京堂出版刊
週刊 江戸 №30
(株)デアゴスティーニ・ジャパン刊
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