第22話 ちゃんとみんな美しい。【彼女】
振り返らずに歩いた。振り向いたら、なんかちょっと泣いてしまいそうで。
心に少し、穴が空いた気分。
よかった、私は聡のことが好きだった。ちゃんと好きだったんだよ。
だって、今私はもっと手料理食べさせてあげればよかったなぁとか、もっと話を聞いてあげればよかったなぁとか思ってる。
もっと私を伝えればよかった。
だから次はきっとそうしよう。
ほら、前向きだよ、私は。だから、泣くのはちゃんと家に帰ってから。
今はあまり考えないようにしよう。日はちょうど陰り始めて、美しいオレンジが行き交う人を照らし始めた。
夕暮れは影を伸ばす。
行き交う人の顔があまり見えない。みんな不安なのだろうか。みんなちゃんと幸せなのだろうか。こんなに美しい夕焼けをなぜ誰も見ていないんだろう。
鳥が高く空を横切っていった。その姿を追って振り返ると、夕暮れに照らされた人々の表情があった。それぞれの人生を照らす表情が。あの子供は眩しそうに空を見ている。あの女性はきっと帰ってから家族のためにご飯を作るのだろう。あの彼はビールで晩酌かな。
「あれ?山田さん?」
私の文字を褒めてくれた彼だった。
「すごい夕暮れーって感じですね!全然顔が見えなかった。」
「こんばんわ。買ったのビールだけ?ちゃんと食べてる?」
いや、参ったな、と彼は頭をかいた。
「山田さんはちゃんとご飯作ってそうですよね。お弁当、いつも美味しそうですもん。」
本当に良く見ている。
「まぁね。今日は秋刀魚の塩焼きの予定です。」
「いいなぁー。俺も食いてぇー。」
そう言って彼はビールを一本差し出してきた。
「秋刀魚なら超合いますよ、これ。秋の限定なんです。」
買ってきたばかりのビールは冷えていて、限定の文字に彩られた紅葉が滲んでいた。思わずプルを開けて、思いっきり飲んだ。炭酸の刺激が喉を通っていく。
「これ、炭酸が強いね。」
私は少し泣いていた。お願いだから、誤魔化されてほしい。彼の視線を感じて思わず俯いた。
ぷしっとプルを開ける小気味の良い音がした。見上げると彼もビールを飲み始めた。
「ぷはっ?確かに、炭酸強いですね。」
「・・・でしょ。」
ちょっと声が震えてしまった。
「山田さんは、こういう時ほっといてほしい人?それとも話を聞いてほしい人?」
こういうことをちゃんと聞いてくれる人、好き。
「・・・ほっといてほしい人。」
「ラジャ!」
そういって彼はもう一つビールを渡した。
「たくさん買っといてよかった!それじゃあ山田さん。また明日会社で!」
そう言って彼は飲みかけのビールを片手に帰っていった。私は二つの缶を顔に押し当てた。
あぁ、気持ちいいな。あぁ、優しいな。あぁなんて
「綺麗な夕暮れ。」
さようなら。
帰ろう。明日も仕事だ。
つれづれなる日々の中で。 K.night @hayashi-satoru
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