第18話 見つからない。【彼女】
バタン、いつもより乱暴に家の扉を開いた。こんなに飲んだのはいつぶりだろうか。思わず玄関に座り込む。視線を床に合わせると、髪の毛が落ちていることに気づいた。
ブィーン。掃除機のモーター音。酔いに任せて、こんな時間に掃除機をかけている自分がなんだかおかしい。あぁ、早く寝ないと。あぁ、なんか私、今楽しい。ぼんやり見つめていた掃除機のヘッドに水滴が落ちた。
泣いていた。やがて嗚咽が混じり始めた。
人生は、もっとドラマチックじゃないといけないと思い込んでいた。やりたいことに打ち込んで、挑戦することに身を置いて、キラキラして、そんな風に生きないとつまらない人生なのだと。
でも。
数ある職業の中で私は何で事務職を選んだ?何故私は今掃除機をかけている?本当は何がしたい?
ふと、あの日みたキラキラしたファッションブロガーの笑顔を思い出した。彼女は自分のやりたいことを思い切りやって、キラキラして、賞賛されてあの笑顔を手に入れたのだろう。羨ましかった。
でも
羨ましいからと言って、私はあの人の様になりたいと思った?
違う。私は素敵だと思ったけれど、とてもうらやましかったけれど、怖いと思った。不特定多数の目に晒されて、その中で戦うように輝く彼女を、恐ろしいと思った。
私が望んでいるのは、私が落ち着くのは、丁寧に時間を重ねる今だ。いただいたお金の中で慎ましく、でも丁寧に生きること。買ったものをきちんと使い切って、着るものを丁寧に扱って、ドラマなんてまるでない、けれど四季を感じる穏やかな時間の中で生きる。私は、それが幸せなのだ。それを求めているんだ。見つかるわけないんだ。もう望んだ時間の中に、私はいたんだ。
「いつも、丁寧な字を書きますよね。」
ありがとう、ありがとう。見つけてくれて、教えてくれてありがとう。私は自信がなかったんだ。いつも不安だったんだ。どんなに自分ではいいと思っていても、こんな地味なままでいいのかと。誰にも見つけられないで、静かに埋まってしまって、いつかひどく後悔するんじゃないかと。
でも届くところがあるんだ。他の人にはあまりにも些細なものでも。私には充分なんだ。
たくさんの人がおめでとうと言ってくれた。こんな日が人生に何日かあれば、穏やかに静かに生きていける。なんて地味。なんて私らしい。なんていじらしい。
ブゥン、と来ていたコートのポケットの中でスマホが震えた。
「お誕生日おめでとう。こんなギリギリに、ごめん。」
彼からのLINEだった。意外なことに、覚えててくれたことに感謝していた。
コートをハンガーにかける。何年も着ている薄手のキャメルのコートは、丁寧に着てきたけれど、やはり少しくたびれてきた。来年はお金を貯めて、いいコートを買おう。高くていい。でも何十年も着られるものを買って毎年着よう。そうだ、いつか古くていいから和室のある部屋に住んでみたい。
ワクワクした。
もう大丈夫。私はちゃんと年を重ねられた。
だから、ちゃんと清算しないといけないね。
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