15, Witch and magic 

 とまれ、投票日までは平穏な日々を過ごした。

 少なくともエリアナはそう思う。

 天使の攻撃が苛烈になることはなく、ひび割れの修復速度が目に見えて遅くなることもなかった。掃討戦にずいぶんと慣れたらしいルディが、力の入れ方を間違えて青褪める顔も、ここ数日は見ていない。

 もっとも――往時の女王と比べるのは、まだ酷だが。

 亜子と会話する間にナイトの襲撃を受け、突然現れる月乃を受け流し、百夜と滴に付き合いながら天使を屠る、実に平和な、、、日常に、ルディの疲弊は日に日に色濃くなっている。今日で終わるんです――とうわごとのように呟きながら出ていったのは今朝方だ。

 その無為な努力が実ることが確定している全校集会で、エリアナはぼんやりと座っている。

 学校という場所が指定する、体育座りという形態が、あまり好きではない。

 だが――。

 そんな些細な格好つけで魔術を使用するのは、それこそ格好が悪い。

 大人しく膝を抱えるエリアナの横で、ルディは隈のできた目元をこすりながら、緊張した面持ちで体をゆすっている。こちらはエリアナの魔術でごまかした並び順だ。

 断じて魔女の横暴ではない。

 ――エリアナの方をしきりに振り返る彼女が、教師のひんしゅくを買っただけだ。

 高等部の生徒たちがやる気なく集まっている講堂で行われるのは、生徒会長候補と副会長候補たちの、投票前演説である。

 学校の伝統を汲んでか、それとも卒業後の進路を見込んでか、清天教女学院の生徒会選挙はいやに本格的だ。一時期は本物の投票箱を借りてくる徹底ぶりだったのだから、教師陣の力の入れようはすさまじい。

 一方、学生の方はさして関心がない。一部の熱心な人間が、滴や百夜との勝てない試合に挑んでいる程度だ。恐らくは、昼休みになるたび行われる各教室への遊説も、疎んじている者の方が多い。

 それだけ温度差の大きな催しとあっても、適応されるのは教師の熱意だ。おあつらえ向きに貸し切られた大講堂にさざめく内緒話は、候補者登壇が迫っても止む気配がない。

 そのさざ波に乗って――。

 ルディの声が、エリアナの耳朶をくすぐった。

「もうすぐですね、エリー。百夜たち、大丈夫でしょうか」

「大丈夫だって言ってるでしょうよ。何回同じこと訊く気なの」

「だ、だって、これで二人が落ち――たりしたら」

 まるでこの世の終わりのような顔をする悪魔に、エリアナの方は深々と溜息を吐いた。

 魔女の力は人の精神に作用する。まさしく魔性だ。人を相手に敗北することなどありえない。

 特に――滴に限っては。

 意気揚々と登壇する候補たちに、思わず憐憫のまなざしを向けるのも、無理からぬことである。

 なにしろ勝負は、すでに決しているのだ。

 台に置かれたマイクの前へ、意気揚々と百夜が立つ。傍らに控えるのは、髪を短く切りそろえた名も知らぬ少女だ。何十回と繰り返した演説に、今更緊張の色もなく、生徒会長候補はつらつらと言葉を並べる。

「私が生徒会長として当選した暁には、学内の美化を――」

 双子の妹の雄姿を食い入るように見詰めるルディの横で、エリアナはあくびをかみ殺す。

 なぜよりによって学内の美化を選んだのか、幻惑の魔女には全く理解ができない。彼女らはむしろ率先して破壊する側だ。校内美化に努めているのは、幻惑による効果で痕跡を消して回るエリアナの方である。

 まあ――聞こえがよければ何でもいいというのは事実だが。

「――ですから、私はこの学び舎に恩返しをするべく――」

 つらつらと、恐らく滴が用意したのであろう原稿を読み上げる声は、五分ほどで途切れた。次いでマイクの前に立った、推薦者の少女の演説は、今度こそ聞き流した。

 それはルディも同じだったらしい。

「エリー」

 ひそりと囁かれた耳元に向き直れば、赤い瞳が眼鏡の奥できらめいた。どうやら双子の妹の雄姿は、彼女のお眼鏡にかなったらしい。

 知れば百夜も喜ぶだろう。

 ――彼女は姉を慕っているから。

「百夜、すごかったですね」

「どうせ原稿は滴でしょ」

「でもでも、読み間違えもなかったし」

「あれでも貴女よりは頭が良いわ」

 ルディの目が見開かれる。

 当たり前だろう――と、エリアナなどは思うのだが。

 そもそも年季が違う。たかだか一度、義務教育を終えただけのルディに対し、こちらは延々と同じ授業を受け続けているのだ。聞き流しているのにも限界がある。これだけ繰り返せば嫌でも多少は覚えるし、彼女には学年上位の成績をうろつく契約者の庇護もある。

 エリアナと違って――。

 滴は悪魔の育成に熱心であるのだ。

「わたし、なんだか自信が――」

「なら勉強なさいよ」

「しようと思うと、眠くなっちゃって」

 膝を抱えるルディは、そうして見ているとなかなかの秀才に見えるのだが。

 少なくとも、エリアナが抱いていた印象より、彼女はかなり頭が悪い。スポーツ推薦での入学だと聞いたときには驚いたものだ。見た目からして、教室の隅でいつもノートか本を開いているような雰囲気がある。

 まあ――。

 彼女の自信の有無は、今は問題ではない。

 登壇する滴を見とめて、エリアナは俯くルディを小突いた。顔を上げた彼女が食い入るように壇上を見る。

 いつもよりも念入りに整えられた制服と、色素の薄い髪が見える。傍らの推薦者は、百夜のそれと打って変わって、いかにもな文学少女だ。長い髪を下ろしたまま、緊張した面持ちで観客を見渡している。

 彼女を一瞥する滴が、小さく笑うのが見えた。それで、少女の震えが止まる。

 ――滴のどこに魅力を感じているのだか、エリアナには全く分からない。

 ただ、彼女は人気だ。特にああいう、勉強のできそうな――百夜が好かれるのとは全く違う方面で。

 吸い込んだ息も凛々しく、女の口がにこやかに開く。

「皆さんの前でお話ができることに、感謝します」

 魔力の乗らない声なのに、その一言だけで全てを引き込む。そういう声の出し方をよく知っているのだ。

 そこからは滴の独壇場だった。

 言っていることはありきたりだ。エリアナには、その魔性めいた声の威圧が効かない。少なくとも、隣にいる仔犬よりは冷静に判断ができる。

 校内風紀の徹底。文化祭への熱意。生徒を引っ張る立ち位置としての責任。生徒会長の大役を仰せつかる喜び――。

 抱負というよりは宣誓だ。その絶対的な声だけでも、彼女は当選確実だろう。

 ――それでも用心をする慎重さがあるからこそ、滴は最古の魔女として生き残ることができているのかもしれないが。

「では、最後に」

 笑う瞳がゆっくりと開く。黒く染まった白目は、彼女が人ならざる力を扱っている証だ。髪に隠れた人外の耳が、わずかに見え隠れするより早く――。

「『私と百夜に投票しろ』」

 それで全ては終わった。

 そこまでを見届けて、エリアナは残りの時間を睡魔にくれてやった。

 どうせ移動の時間になったらルディが揺り起こすだろう。

 その期待は果たして正しかった。移動ですよエリー起きてください――などと耳元で騒がれたことだけが、唯一の誤算だったが。

 促されるまま立ち上がる。投票所として用意された一室に、鉛筆と投票用紙が用意されているはずだ。静まり返った空気と教師の監視の目が織り成す緊張感は、案外嫌いではなかった。

 魔術にかかったわけではないが――。

 ここでいたずらに彼女ら以外の名を記せば、エリアナの仕業だと知れてしまう。それを種に何かを要求されるのも癪だ。

 結局、せめてもの抵抗に英語で記名したのは、当選確実の二人分の名だった。

 重苦しい空気から解放されて、そわそわと身を動かしていたルディが息を吐く。そのはずみで大きく肺に空気を満たした彼女が、勢いのままにエリアナに詰め寄る。

「エリー! 手が勝手に百夜と副会長に投票して! いや、えっと、最初から二人に投票するつもりだったんですけど!」

「だから言ったじゃない。出来レースだって」

 人としての意識が強いせいか――。

 ルディは不意の魔術に弱い。

 その点、滴の放った一言はてきめんだったらしい。慌てる彼女の挙動をすげなく一蹴してやれば、少女は理解できないとばかりに首を傾げた。

「あれの力は支配」

 人相手にはおよそ負けることのない、超越的な力だ。

 幻惑や魅了が認識への干渉だとするならば、支配は意志への干渉だ。認識を捻じ曲げることで意志そのものをなかったこと、、、、、、にする幻惑や、それと認識させずに望む形に歪める魅了よりも、もっと直接的に働きかける。

 すなわち――。

 相手が何を思っていようが、それがどんなに理不尽だろうが、滴の命令に誰もが逆らえない。

 人間相手に振るっている分にはまだいい。

 たちが悪いことに――その力が通用しない魔女や悪魔を相手にも、現女王の契約者であり最古の魔女であるという絶対的な立ち位置を利用して、似たようなことを仕掛けてくるのが彼女だ。エリアナはそれが恐ろしくてたまらない。逆らえばどうなるのかは想像に難くないが、あまり想像したい場面でもなかった。

「シズクは絶対よ。誰にとってもね」

 言ってやれば、ルディの顔が青ざめた。

 それに言及はしてやらない。事前に散々忠告しておいたのに、請け負ったのは彼女だ。

 ――恨むなら過去の自分を恨むこと。

 突っぱねるような色で見てやれば、仔犬がでも――と言い募る。

「じゃあ、なんであんなに一生懸命――」

「暇潰し」

「へ?」

「だから暇潰し」

 そうとしか応じようがない。

「あれね、好きなのよ、ああいうの。なんて言うの――普通の女子高生のふり」

 思い出すだに不可解の念が押し寄せてくる。エリアナがとうに何の意味も見いだせなくなったことを、滴は飽きもせずに繰り返しているのだ。

 部活に入って泣き笑い、学園行事に精を出し、放課後には友人を誘って遊びに行く――元より人付き合いにさしたる価値を見出さない幻惑の魔女が、数十年も前に飽きた、、、営みだった。学校生活の思い出を美しく語れるのは、それがたかだか数年で終わるからだ。何十年も続けば飽きるし――。

 学生特有の空気についていくのにも、限界がある。

 何しろ、魔女の精神構造は人間と同様だ。

 大抵の魔女が人付き合いを絞っていくのに対し、滴はそのあたりに難なくついていく。それだから若作りなどと影口を叩かれるのだが、裏でそんな声を上げていた魔女はいつの間にかこの学園からいなくなっている。

 エリアナなどは――言われるのが嫌なら、振る舞いを考えればいいだけだと思うのだが。

 年相応、、、という概念は、人の境地にない者にも適応されるはずだ。

「もう何十年も吹奏楽部にいるおかげで、トロンボーンの腕前はプロ級。どうでもいい選挙も、毎年毎年、飽きもせずに選挙活動するし。そのくせ最後は『投票しろ』でおしまい。もう誰も付き合っちゃいないわよ」

 貴女以外はね。

 深々と溜息をついてやる。ルディがしばらく声を失ってから、エリアナと同じように大げさに肩を落としたのが、視界の端に見えた。

「――エリーの苦労は、ちょっと分かりました」

「よろしいわ」

 弱々しい声に頭を振る。

 ――誰にも理解されない下っ端の徒労感を分かち合う機会は、そう多くはない。

「祝勝会と行きたいところだけど、今日の放課後は空けときなさい。どうせまた招集よ。五時間目が終わったあたりで連絡が来ると思うわ」

 そう言って笑ったエリアナの予想通り――。

 五時間目のチャイムと共に、二人のスマートフォンは、音を立てた。

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