14, Witch breathes love

 黒い爪が迸る。

 断末魔さえ許さない女王の一撃が、エンジェルの頭を叩き潰す。残るアークエンジェルが動くよりも早く、ルディの腕が胴を捉えた。

 全く――。

 相変わらず、エリアナが術式を使うまでもない戦いぶりである。

 中庭は戦いやすい場所ではない。美しく整備された木々はもちろん、花壇やら噴水やら、エリアナからしてみれば要らない障害物が多い。そこでこれだけ戦ったのだから、並の悪魔としては充分に一人前だろう。

 快勝とは裏腹に、ルディの方は重々しく溜息を吐いて、ずれた眼鏡を持ち上げた。ここまでの数戦で力の振るい方に慣れてきたのか、必需品らしいそれを壊すこともなくなった。

 本人の意思がどうあれ――順調に熟練しているのは、エリアナにとってはいいことだ。

 だが。

「脚、使わないのね」

「タイツが破れちゃうんで」

「買ってあげるって言ってるじゃない」

 些細な出費だ。幻惑を使って、たまたま傍にいた適当な人間に買わせているのだから、エリアナの懐が痛むわけでもない。

 心底から首を傾げて眉根を寄せる。不可解を隠そうともしない魔女を一瞥して、ルディは困ったように眉尻を下げた。

「だって、エリー、いつも知らない人に買わせるじゃないですかあ」

 ――それの何が悪いというのだ。

「有効活用してるだけよ」

「いや、申し訳ないですから!」

「気にすることじゃないと思うけど」

 そうでもしなければ、魔女は人の中で暮らしていけない。特に、まっとうな金策が禁止されている厳しい学生生活では、なおさらだ。

 金なくして自由はないのである。

 不満げな顔でエリアナを見た赤い瞳が、とにかく脚は使わないんです――と言って、夏服をはたいた。

 袖が短くなったおかげで、袖がはじけ飛ぶこともなくなったようだ。最小限の変化で戦っているというのもあろうが、毎週のように制服の採寸に行く手間がなくなったのは、ルディにとってもエリアナにとっても良いことだろう。

 もっとも、近接戦闘の弊害である返り血ばかりは、どうしようもない。最近では血液を落とす洗剤があって助かるが、家に帰るまでは幻惑が必須だった。

 制服に傷がついていないのを確認して、ルディはようやく眉間のしわをゆるめた。

 絶命した天使の残骸に向き直る。エリアナが術式の準備を整えている間に、ルディは彼らに向けて丁寧に手を合わせる。

 ――つくづく意図の読めない行動をする。

「それ、どういう意味があってやってるの?」

 思いのほか呆れたような声音になった。

 顔を上げたルディが、エリアナの金の瞳をじっと見る。瞬く赤を見つめ返してやれば、彼女は心底驚いたように声を上げた。

「いただきます、しないんですか?」

「ああ――したことないわね」

 確か、日本の文化だ。知識としては知っているが、行動に移したことはなかった。

 魔女だから悪魔だから――などというくだらない理由ではない。生まれてから魔女になるまで、なじみのなかった文化を取り入れる意味もないと思っているだけだ。

 好んで背徳を突き進んでいるわけではないが、かといって道徳的になる気もないのだ。

 首を横に振ってみせれば、ルディは頓狂な声で咎めた。

「駄目ですよ、ちゃんとしてあげなきゃ!」

「意味ないじゃないの」

「ありますよ! 命をいただくんですからね!」

 そういう問題だろうか。

 反論はいくらかあったが、それはそれで面倒なことになる気がして、エリアナは口を閉ざした。命にかかわる話で、ルディにあまり踏み込まない方が良い。

 代わりに術式に集中する。にらみ上げた曇天が、割れたままの結界に歪に反射している。もうしばらく戦闘が続くとみて、その分を隠匿する術式も組み込んでおく。

 天使を食す音を聞いている間に――。

 悠々と迫る足音には聞き覚えがあった。

 溜息を吐いてルディを呼ぶ。顔を上げた彼女が周囲を見回すのを横目に、エリアナは現れた同族をにらんだ。

「一足遅かったかな」

 せっかく女王の戦いぶりを見られると思ったのに――。

 台詞の割に、口調に感慨はない。私服を着て学園の敷地内にいるあたり、今日は大学部の方で授業があったのだろう。眼鏡をかけていれば聡明にも見えるが、その一方で妙な色気を孕んでもいる。彼女に会うたび、隠した左目に見つめられるおぞましさを考えてしまう。

 藤色の髪を揺らした長身の女は、唇に微笑を描いて、自身の後方にいる少女の肩を抱いた。

 ごく自然にそれを受け入れたのは、黒髪の娘だ。快活に笑う顔には、ルディも覚えがあるだろう。最近になって顔を合わせた少女を忘れることはあるまい。

 事実、彼女の姿を捉えたルディは、すぐさま瞳を輝かせた。

「八咲先輩、エリアナ先輩、こんにちは!」

「亜子ちゃん! と、えっと――」

 親しげな色が途端に警戒を孕んで、隣の女に向く。

 唇に微笑を形作ったままの女が、ルディの表情を気にとめる様子はない。返答の代わりに、私服の襟元を引っ張ってみせる。

「亜子の魔女だよ。ナイト・クランクハイト。どうぞよろしく、女王様」

 ちらつく裏校章に――。

 ルディも納得したらしかった。敵意がそがれた瞳が、眼鏡の奥に見える。

「あ、えっと、八咲ルディです」

「ルディね。よろしく」

 ――握手は求めなかった。

 中庭の惨状にゆるゆると視線を巡らせるナイトを呼んで、エリアナは溜息を吐く。

 ――この女は厄介なのだ。

「ナイト、貴女、講義は?」

「この時間は暇なんだ」

「あ、そう」

 訊いておいてなんだが、心底どうでもいい情報を得てしまった。

 本を閉じて見遣った先の指先が、亜子の髪先をもてあそんでいるのが見える。ルディを褒め称える快活な声をよそに、魔女たちは一瞬だけ視線を交錯させる。

「珍しく動けるときだったっていうのに、獲物を奪って悪かったわね」

「構わないさ。私は一分一秒でも長く、亜子と一緒にいたいだけだ。天使には興味がないんだよ」

「そうね、貴女、そういう女よね」

 少しでも気を向けたことに後悔する。

 思わず吐き戻しそうな台詞を向けられている悪魔の方も、ルディと会話を続けながら、ナイトの腕から逃れようとはしていない。

 エリアナは――。

 何度か、彼女たちの存在そのものをなかったこと、、、、、、にしようと試みたことがある。

 もちろん、できなかったから、彼女らはこうして二人の空気を振りまいているのだが。

「ああ、でも、亜子の寿命は問題だね。死んでしまったら大変だ。余っている部分があったら、食べさせてやってくれないかな」

「は、はい、大丈夫――ですよ」

「いいんですか! ありがとうございます!」

 ようやく会話の拘束から逃れたルディが、天使の残骸を放って駆け寄ってくる。彼女の食べ残し、、、、を食す亜子を、至極満足そうに見つめるナイトをまじまじと見て、少女は耳打ちをしてきた。

「あの人、大丈夫な人なんですか」

「見ての通り、頭は大丈夫じゃないわ」

「そういう意味じゃなくて」

 まあ――。

 問いただしたくなる気持ちは、分からないでもない。

 ナイトの持つ圧力は独特だ。同じ魔女でも気圧されるような何かがある。振る舞いの奥底に何を隠しているかわからない――という意味では、滴の底知れなさと似ている。

 彼女の場合は――。

 何をするかわからない恐ろしさと言うべきかもしれないが。

 とはいえ彼女は月乃のように分別がないわけでも、滴のように気まぐれなわけでもない。行動理念は至って単純であるし、魔女の中では素直な部類の存在だ。

「亜子にやたら執着してるだけで、別に他は普通よ。職務もサボらないし、前線に出てもそこそこ平気な魔女だし。ま、圧にやられない程度に接しなさいな」

 戻ってきたのは、曖昧な返答だった。

 注意すべきは亜子の扱いというだけで、他に問題がないのは事実だ。二人の世界に閉じこもっているうちは、他人のふりをしておけば良い。外部に厄介を持ち込まないだけ、まだ対応は楽だ。

 エリアナにとっては――の話だが。

 おろおろと二人を見つめるルディの横で、再び本を開く。大まかな幻惑は終わったが、景観への細かい傷への対応はまだ終わっていない。

 それで――。

 藤色をした魔女をにらむ。

「――暇なら手伝いなさいよ」

「君の目は節穴か? 忙しいんだよ。可愛い亜子の顔を一瞬たりとも見逃さない使命があるんだ」

「あらそう。とうとうイカれたのね、このポンコツ」

「ナイトにひどいこと言わないでくださいよ、先輩!」

 天使のかけらを咀嚼するまま、亜子が叫んだ。大きな金色の瞳に未熟な険を浮かべて、彼女は立ち上がる。

 ひとまず天使を飲み込むことにしたらしい。喉が大きく動いてから、一つ呼吸をおいて、彼女はエリアナを指さした。

「頭もいいし、強いし、かっこいいし、美人だし、僕の優しい魔女なんですよ!」

「頭と顔の良さだけは認めてやってもいいけど、他は全部主観ね」

 花壇の横にしゃがみながら言ってやった声は――。

 果たして、二人には届かなかったようだった。

 背中越しに、二人が見つめ合っている気配だけがする。声にならない声を漏らしたナイトと、その後の音から察するに、人前にもかかわらず亜子を抱きしめでもしたのだろう。

「大好きだよ亜子!」

「僕もだよ、ナイト!」

 歓喜の声を無視してルディに視線をやれば、真っ赤になった顔が映った。高校生の少女には少々刺激が強かったようだ。友人としての営みならともかく、明らかに甘ったるい空気が一緒であっては、言い訳も見つかるまい。

「こっち来なさい、ルディ。馬鹿がうつるわ」

 あれに毒されたのではたまったものではない。

 頬に手を当てたまま、ルディがよろよろと近寄ってくる。一瞥をくれてやれば、視線が宙をさまよっているのが見て取れた。

 しばらくの間があって――。

 己を取り戻したらしいルディが、小さく声を上げる。

「あの人も幻惑が使えるんですか?」

「そういうわけじゃないけど、あれの力は魅了だから、認知を歪めるって意味で、そこそこ相性がいいの」

「魅了――ですか」

 頷きながら息を吐く。

 エリアナの幻惑とは性質が似ているが、その放出のしかたは真逆だ。防衛と秘匿を専門とする幻惑とは違い、魅了は限りなく攻撃的な術式でもある。表面を覆い隠す幻惑の性質よりも、深いところに干渉するのだ。

 心底からあり方を変える、、、、、、、――というのは、見ようによってはごく恐ろしい力でもある。

 加えて――。

「左目を隠してるでしょう。あれは見ちゃ駄目って覚えときなさい。悪魔のことを惑わせた実績もあるわ」

 ルディの体がこわばるのを見る。

 このくらいは、脅しておいても良いだろう。ナイトの力はそれだけ危険だ。彼女自身がその恐ろしさを充分に理解しているところが、余計にたちが悪い。

 目視で確認できる傷に手を加えたところで、ルディの制服に術式を施す。次からは、制服そのものに編み込んでやってもいいかもしれない。

「行くわよ、ルディ。ナイト、後は頼んだわ」

 目を丸くする彼女を呼び寄せる。抱きしめ合う二人に気のない声をかけたが、返事はなかった。

「いいんですか、エリー?」

「いいわよ。大好きな悪魔ちゃんに食べさせるぶんくらいは、どうにかするでしょ」

 一緒にいると胸と頭がむかむかしてくるのだ。健康と健全な精神によろしくない相手とは、空間を共にしないに限る。

 足早に去ろうとするエリアナの袖を引いて、いくらか緩やかな歩調のルディがついてくる。後方に傾いた体に眉根を寄せた。

 振り向いた先の少女は――。

 神妙な顔で、エリアナの瞳を覗き込む。

「なんか、エリー、あの人に厳しくないですか?」

 呆気にとられるのは、幻惑の魔女の方だった。

 そうね――と小さく声を上げる。

 魔女としての噂を聞くにつけ、彼女本人と話すにつけ、エリアナはナイト・クランクハイトという女が苦手になるのだ。

「あれのああいうとこ、あんまり好きじゃないのよ」

 つくづく――厄介な女なのだ。

 重々しい溜息の横で、ルディが目を丸くした。

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