13, Witch and election
生徒会選挙に手を貸す――という軽率な契約の後、ルディの日常はにわかに慌ただしさを増した。
彼女がうかうかしていられたのも最初の三日ばかりのみである。候補者が学内に掲示され、本格的な選挙活動が始まると、悠々とベッドを降りるエリアナをよそに慌ただしく駆けだしていくようになった。
校門前で政治家さながらに声を張り上げるルディを横目に、エリアナが一人教室へ向かうようになって二週間になる。朝から放課後までをせわしなく過ごし、さしものルディも溜まった疲労に音を上げ始めている。
よりにもよって生徒会長と副会長を手伝う羽目にならなければ、彼女も休んでいられたのだろうが、相手が滴と百夜ではそうもいくまい。
あの二人のエネルギーは底なしである。時間を問わず教室を回っている彼女らに付き合わされる方はたまったものではない。
「これよりもっと忙しいんですよね? 本物の運動部ってすごいですね」
言いながら、エリアナが自室に用意した机の下に潜り込む体を見る。
布団を用意すると言っているのに、彼女はその狭い空間がいたく気に入ってしまったらしい。ぬいぐるみだのタオルケットだの、好きなものを詰め込んでは自分のスペースを狭めているので、ここ一週間は悟られぬようにいくらか引きずり出している。
そろそろまたぬいぐるみを引き上げなければなるまい――。
溜息を噛み殺すエリアナの内心などつゆ知らず、ぬいぐるみを抱えた寝間着の少女は動きにくそうに振り向いた。
「そういえば副会長が言ってたんですけど、明日の放課後に、新しい人を紹介してくれるみたいなんです。それで、エリーも一緒に来てほしいって」
「は?」
思わず眉根が歪む。
――滴の呼び出しはいつもこうなのだ。
思い出したときに声をかけるものだから、日付をまたぐなら可愛いものだ。一時間後に来てくれ――などと言われることもざらにある。割合、適当に生きている女なのだ。
「相変わらず急ね。っていうか、連絡手段ならいくらでもあるじゃない」
「忘れないうちに言っとくって言ってました」
「また脳みそ老けたの、あれ?」
魔女の体は歳を取らないが、よもや頭の方は老けるということはあるまい。二百年前にはもう少し前から呼び出しがかかっていたような気もするのだが。
呼ばれたものは仕方がない。何かと身内意識が強い百夜とは違い、滴の方にはそういう意識が欠けている。無断で欠席すれば後で何があるか分かったものではないのだ。
渋々と頷いたエリアナを横目に、ルディの方は眼鏡を外した。視界がぼやけるのか、眉間にしわを寄せながら指を折る。
「えっと、今知ってるのが四人で――あと二人いるんでしたっけ」
正確には月乃の影に潜む悪魔も含まれる。生徒会はおろか学園にすら所属しない彼女だが、月乃が一つ手を打ち鳴らせば、どこでも構わず現れて声を上げるのだ。
人がいなければ広く感じる生徒会室だが、面積じたいはそこまで広くもない。選挙が終われば狭苦しくなるであろうそれに溜息を吐いて、エリアナは鞄の中に黒い魔導書をしまい込む。
「まあ、二人揃うってことはないでしょ。若い魔女って話だし、今ごろ前に転入手続きごまかした悪魔と契約にでも行ってるはずよ」
「あ、ああ――」
二週間前の記憶ですらかすんでいるらしいルディの、以前の平穏さからはほど遠い忙しさに思いを馳せて、エリアナが目を細めた。
何かと自分から厄介を引き込んでいるようなところがあるが――。
つくづくご苦労なことである。
どうやら就寝の準備を整えたらしい少女が、もぞもぞと身じろぐのが見えた。電気のスイッチに手をかけてから、ふと思い出したことがある。
「そうだ、明日から移行期間だけど、長袖で良い?」
――清天教女学院の制服は、冬服から夏服になる際に移行期間が設けられている。
期間で言えば一週間ほどだ。その間は冬服と夏服のどちらで登校しても構わない。六月も上旬に入り、空がぐずつく季節の冷え込みに合わせた計らいだ。
机の下から勢いよく飛び出した顔が、どんぐり眼でエリアナを見つめた。
「半袖で!」
「まだそこそこ寒いじゃない」
「そうですか? 結構、あっついですよ」
そうだろうか――。
思ってから、ルディの運動量を考え直す。ころころと動き回り、全力で感情を受け止めながら、悪魔としてのエネルギーを人としての補給法で補うために大量の食事を摂っている。その生活では、確かに暑くもなろう。
無造作に開いたクローゼットに、しばらく使う予定のない夏服があるのを確認する。見たところ虫食いもなさそうだ。いつも移行期間を冬服で過ごすエリアナであるから、その間は無事に過ごせそうである。
「しばらくは私ので我慢して頂戴。今度、貴女の家から回収してくるわ」
そう言って電気を消したのが、昨日の話だ。
慌ただしく出て行ったルディをよそに、悠々と校門をくぐったエリアナに、悪魔がホームルーム直前で泣きついてくる。黒い冬服とは正反対の白い半袖は、今日の最低気温を事前に調査してあったらしいクラスメイトの中にあって、異様なまでに目立つ。
「寒いです、エリー!」
「言わんこっちゃないわね」
結局、気温の予想を誤ったルディは、放課後になるまでの休み時間をエリアナの腕に抱きつくことで凌いだ。
曇り空の隙間を縫うように輝く西日に照らされて、廊下はいつもよりも暗い。遠くに聞こえる運動部の声も、夏の大会を目前にしたブラスバンドの練習にかき消えそうな風だ。
生徒会の教室にも、珍しく電気がついている。
少しばかり緊張した面持ちのルディを一瞥した。腕に絡む指先の力が強まったのは、むき出しの腕に触れる寒さのせいだけではあるまい。
ことさら無造作に開け放った扉の先で――。
瞳が一斉にこちらを向く。
「やっぱ狭いわね」
呟いたエリアナの声を覆うように、磊落な声音が響く。駆け寄ってくる百夜の赤い瞳は、選挙期間に入ってから余計に煌めいているように見えた。
「おお、姉上! 今日も元気そうで何よりだ!」
「百夜はいつも元気だね」
そう言って――。
ルディが楽しげに笑うものだから、エリアナの眉間にしわが寄る。
二週間もあれば打ち解けるのには充分なのかもしれないが、彼女からすればたかだか二週間である。現在の悪魔を束ねる女王で、それも自称妹とくれば、そうそう信用できるものでもあるまいと思っていたのだが。
「いつの間に仲良くなってたのよ」
「だって、わたしと同じにおいがするから、ほんとに家族なんだなって思って」
ねえ――と顔を見合わせて、ルディと百夜は互いの制服に鼻を這わせた。実に犬めいた挨拶と判別法である。
もとより、この姉妹には人間世界で言う狼の力が強い。意識的なのかは知らないが、ルディも発達した嗅覚には疑いを向けていないらしい。生まれながらの特性であろうから、己の感覚の一部として染みついているのだろう。
すっかり姉妹として認め合ったらしい二人のふれあいはともかくとして――。
エリアナとしては、そこで微笑んでいる魔女の長の方に違和感がある。
「っていうかシズク、貴女、部活はどうしたの」
「生徒会って言えば合法的に抜けられるよ」
「ああ、そう」
痛む頭を抱えながら溜息を吐く。
なんだかんだと言いながら、人間世界を最も人間らしく楽しんでいるのは彼女だと断言できる。永遠に高校生の体を保ちながら、入る必要のない部活を飽きもせずに謳歌し、毎回のように出来レースの生徒会選挙に精を出すさまは、実に奔放で非合理的だ。エリアナからはとうに抜け落ちた感覚である。
他者と積極的に関わり、エリアナの仕事を増やすのと同じ顔で、彼女は後方に控えた少女を指さした。
「それで、本題の子はこっち」
視線を移した先に立つ娘に、思わず眉根を寄せる。
黄色いスカーフが一年であることを示している。眼鏡の奥できらめく金色の瞳のほかは、およそ目立たない文学少女めいて地味だ。二つの三つ編みが肩の辺りで揺れて、唇に浮かぶ笑みが快活なことに、意外な印象すら覚える。
――また面倒な悪魔を。
溜息を吐く幻惑の魔女が頭を振る前で、悪魔は目を輝かせた。
「僕は
「あ、えと、よろしく」
不格好に笑ったルディが、差し出された手におずおずと応じた。
「えっと、篠原さんが――」
「亜子で良いですよ!」
「じゃあ、えっと、亜子ちゃんがもう一人の?」
手を離した女王が、首を傾げて振り返る。
視線の先に立っているのはエリアナだ。眉間のしわをほぐすついでに、一つ頷いてやった。
「書記よ」
納得なのだか感嘆なのだか分からない声を上げて、ルディが亜子に向き直った。何が楽しいのだか、破顔したままの一年は、まじまじと目の前の少女を見つめている。
親切な補足を加えるのは、機嫌が良いらしい滴である。
「亜子は大学部の魔女と契約してるんだ。だから、まあ、一番責任がないっていうか、サボられても問題ないところに入ってもらってる」
「じゃあ、エリーが書記なのは?」
「対価。ただでさえ幻惑でこき使われてるのに、これ以上仕事を増やされたんじゃ、たまったもんじゃないわ」
書記の仕事は、少なくとも片方がいれば足りる。そもそも生徒会ごときに正確な議事録が作られることもなく、仕事らしい仕事は会議の出席と板書のみだ。
九十分でコマ制の大学部では、全日制の高等部とはタイムスケジュールが噛み合わない。亜子とその契約者は、ただでさえ顔を合わせる機会が減りがちなのだ。他に仕事を増やすと士気にかかわる。
エリアナの方はそういうやむにやまれぬ事情ではない。彼女自身がどれだけ他者のための魔術を嫌おうが、幻惑の性質は魔女と悪魔の生活には不可欠だ。その維持で駆けずり回ることが増える分、余計な仕事は極力減らすよう交渉したというわけである。
無秩序に見える魔女と悪魔の生徒会も、存外に機能的な理由で結成されているのだ。
真面目な顔で頷いていたルディが、そこでふと顔を上げた。
「生徒会は、ほとんど契約してる人ばっかりなんですね」
「それが一番動きやすいのだ。大抵の悪魔は、契約してなければ天使に太刀打ちできないし、幻惑ののように戦える魔女も少ないからな」
「なるほど、確かに――」
それで納得したらしい。大きく頷いたルディが、眼鏡の底の赤い瞳を、心なしか晴れやかに輝かせた。
「それで亜子ちゃんが書記なのね。選挙、投票するから!」
「ありがとうございます! 八咲先輩も、女王と国村先輩の応援、頑張ってください!」
当選――という目標があるぶん団結しやすいのか、それとも悪魔だの魔女だのという言葉に慣れたのか、再び握手を交わす手に躊躇はない。
「僕、人間世界にはそんなに慣れてないんです。だから、人間の先輩として、いろいろ教えてくださいね!」
思わず溜息を吐くエリアナの前で、亜子が再び破顔していた。
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