5, Witch and expectation
生徒会長は実に騒々しい女であるので、エリアナは空間を共にするのが得意でない。
その煩さというのは声量のみに留まらない。例えば扉を開く音であったり、近寄ってくる足音の無遠慮さであったり――。
怯える小動物に向けた赤い瞳の、粗野な感激であったりする。
「姉上!」
生徒会室に飛び込んでくるなり、件の会長は叫んだ。思わず耳を抑えるエリアナと、困ったように笑う滴には目もくれず、その足はルディをめがけて動き出す。
ますます縮こまったルディの狼狽が、視野の狭まった彼女の目に映るわけもなく――。
沈黙を貫く魔女たちの前で、悪魔は喜色を湛えて涙ぐんだ。
「とうとう記憶が戻ったのですね! 私のことをお忘れではないですか!」
「か、会長、あの」
詰め寄られた少女の瞳が眼鏡の奥に隠れる。口ごもる彼女の視線が、助けを求めるように巡る。
滴が真っすぐに笑うのとは反対に、エリアナはわざとらしく視線を外した。折角の
いつまでも目を合わせようとしないルディの反応に、会長の方はようやく不信を抱いたようである。鋭い目つきをますます近づけて、しばらく怪訝そうに様子を伺ったあとで、ようやく魔女たちの方に視線をくれた。
それを察知して顔を上げる。
まともにかち合った瞳の先で、騒々しい女は顎に手を遣っている。眉間に皺を寄せると、普段から厳しい顔つきが余計に近寄りがたい。
悟られぬように距離を取るルディの様子に気付くわけもなく、彼女は蛇の魔女に声を投げた。
「なんだ、戻ってないのか。幻惑のと一緒にいるから、てっきり――」
「エリアナよ。貴女、まさか外でもそう呼んでるんじゃないでしょうね」
「まだ呼んでない!」
「まだ?」
思わず睨みやった先で、彼女は何故か胸を張っている。これ見よがしの溜息も堪えた様子はない。
「天使ならともかく、人間に疑われることはやめて。私、魔女狩りに遭うのはもうごめんよ」
「あれは留まるお前が悪い」
「ここには留まんなきゃなんないじゃないのよ――」
敵から攻撃されるのは仕方がないにしても、中立の立場から迫害されるのは面倒だ。再生を意味する蛇の刻印は、およそ人間の考えつく方法では殺せないが、痛いものは痛いし苦しいものは苦しいのである。
とまれ、魔女側としては、くだらぬ理由で異形が露見するのは避けたい。
「まあいいわ。貴女に言ったところでしょうがないし」
これがこうなのは昔からである。それより、訂正も仲裁もせずに笑っているだけの
「仲がいいのは結構だけど、二人とも。ルディちゃんを置いてってるよ」
ひとしきりの応酬が終わったところで、睨んだ先の滴がようやく声を上げた。
再び一斉に視線を浴びたルディが、おどおどと中空を見る。三人分に増えた眼差しがよほど堪えたのだろう、まともな声を上げることもできず、彼女は床を見たきり沈黙した。
こういうとき、静寂に声を投じるのは大抵滴である。自己紹介でもしたら――と上機嫌な声に、彼女の相棒は素直に頷いた。
「
重圧に口を縫い付けられたままのルディは、頷くだけにとどまった。それでも、百夜は満足げに破顔する。
そのまま踏み込んで――。
けたたましい音で床を踏む。面白いくらいに肩を跳ね上げた狼の前で、彼女は高らかに笑った。
「百夜とは、人に紛れるための仮の名! 悪魔としての名はディアヴォリー! 悪魔たちを統べる王の、双子の妹である!」
「外に聞こえるよ」
諫めるのは滴である。
言われて気付いたのか、誤魔化すように咳払いをした彼女の様子に、エリアナは耳に添えた手をそっと戻した。
「一応は王ということになってる。仮の」
続ける声量は落ちている。彼女も羞恥心は機能しているらしい。
いよいよ手を降ろしたエリアナの視線の先で、眼鏡の奥の赤い瞳が怪訝に煌めいた。足が動かないあたり、先の口上ですっかり開いた距離を詰める気はないようだ。
「仮なんですか?」
「私は姉上の代理だしな。姉上を打ち負かしたわけでもないのに、本物の王とはいえないだろう」
まじまじと――。
再び降り注ぐ視線に、ルディは唸るようにして狼狽した。
それでも思考を停止させたわけではないらしい。貫く眼から庇うように自身を抱きしめながら、反芻するように瞬きを繰り返す。
たっぷり五分をかけて、ようやく彼女は目を見張る。
「わ、わたし?」
会心の笑みを浮かべてやれば――。
彼女は状況を悟ったようだ。無言の肯定に色を失くし、確かめるように体に触れる。震える足は今にも崩れ落ちそうだ。
無理もなかろうと目を細める。昨日の放課後までは、少し変わった普通の少女として生きていたのに、突然悪魔だの魔女だの女王だのと言われて震えない方が恐ろしい。
まあ――そちらの方が
ともかく、衝撃自体は理解している。それはそれとして、彼女に同情していられるほど、状況が芳しいわけでないのが問題だ。
「目下の問題が解決しそうだと言ったね」
温和な響きを孕む滴の声も、この期に及んではいっそ冷徹である。俯いた小動物にとっては追い打ちでしかなかろうに。
そうは思えど、止める気があるわけではない。それは伝わっているのだろう、彼女はこちらには目もくれない。
「魔女が弱いっていうのは分かってもらえたと思うけど、悪魔だってそんなに一気には相手ができないんだ。実際――」
――だから弱いわけではない。
言ってやりたい思いを押し込めて、エリアナは吐息を漏らす。目の前で、滴の視線が緩やかに百夜へ移った。
「百夜、今日の収穫は?」
「アークエンジェル三、エンジェル五だ。数が多かったお陰で、少し手間取ったぞ」
「というわけだよ」
そこでようやく、眼差しがエリアナに向く。
――ここまで来たら貴女たちでやりなさいよ。
思わないわけではないが、応じてやらないほど機嫌が悪いわけではない。不躾に床を蹴り、ゆっくりと回した生徒会長の椅子の上で、彼女はルディに向けて笑った。
「現状最強の王様も、魔女のサポートがなければ時間がかかるの。まかり間違っても、あんな瞬殺なんかできないわ。その点、貴女ときたら」
「いやあ、私も見て見たかったな、君の戦いっぷり!」
何が楽しいのか――。
珍しく滴が破顔してみせた。そういう顔をすれば年相応の少女にも見えるというのに、最古参の魔女は大抵微笑を張り付けているから、どこか恐ろしいような心地もしてしまう。
不信をありありと浮かべるエリアナを気にするでもなく、彼女はからからと笑う。
「実は見たことないんだよね。普段は引き籠ってるから。まともに戦ったら死んじゃうし」
「そ、そうなんですか――」
校庭の惨事を思い出してか、かなり気を取り直したらしいルディの瞳が陰った。
血肉の飛び散った惨憺たるありさまの上で、今頃は何も知らずに授業にいそしんでいるであろう生徒たちを思うと、エリアナなどは少々笑えてもくるのだが。
とまれ。
「そういうわけだ!」
百夜の高らかな声が防音に優れぬ教室中によく響いた。この調子では教師が来るのも時間の問題だろう。エリアナは、滴の目配せの意味をよく理解している。
術式行使のついでに、扉の前に立つルディに指を向ける。怯えと混乱を孕む赤い瞳は、それでも真っすぐに指先を見た。
それで――。
「頑張って、私たちの
――流石に格好つけすぎか。
懐かしい思いに、エリアナは笑った。
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