3,Witch with,

「『これは普通の制服よ』」

 ルディの体を指さす。

 これでおおよその証拠隠滅は終わった。ここで人ならざるものの戦いがあったことなど、誰も感知できないだろう。

 終わったと言っても、悪魔の食事痕はそのまま残っている。加えて、体育の授業があったわけでもないのに、グラウンドには土埃が舞い上がったままだ。

 先ほどと変わらない風景を見渡して、術式の効かぬルディは、不安げにエリアナを見た。

「あの、何も変わってないですけど、本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。貴女だって、今までこんな戦いがあったなんて知らなかったでしょう」

 言えば。

 眼鏡の奥の瞳は、ぐっと黙り込んだ。

 俯きがちの少女の横をすり抜けて、エリアナの足は教室棟を目指す。後ろからついてくる慌てたような気配に、見えないように口許を緩めた。

「まあ、外では流石に無理だけど。私の幻惑は人に向けて使うものだし。ただ、ここは拠点みたいなものだから」

 いくつか簡易結界を撒いている。教室ほど神経質に維持しているわけではないから、そう大規模な術式を行使することはできないが――。

 自身の体に纏っている魔術と同じ要領で、見えるものを誤魔化すことはできる。

「だから、今の貴女からも血のにおいはしないの」

「はあ――」

 足を止めぬまま振り返れば、その先の悪魔は疑わしげに制服へ鼻を這わせた。

 その姿から視線を外して息を吐く。

 ――さて。

 訪れるのは随分と久し振りだが、生徒会室の位置は知っている。

 学園の機構として見るなら、時たま校門前に立つだけの風紀委員よりも影が薄い。それでも、会長と副会長のことは知っている生徒の方が多いだろう。それも、学内の至るところに顔を出す二人の、個人的な人気が高いお陰であって、生徒会が強権を握っているわけではない。エリアナが書記に任命されていることも、ルディを含めた大半のクラスメイトは知らないだろう。

 まあ――要は。

 存在自体は誰もが知っていても、何をしているかは具体的に知らないというのが、清天教女学院における生徒会の立ち位置である。

 それはルディにとっても同じようだった。足を進める間、落ち着かぬ様子でエリアナへと声を投げる。

「あの、何で生徒会に?」

「行けば分かるわよ」

「そう――ですか。でも、二時間目も始まっちゃったし、誰もいないんじゃ」

「もうトップの二人は来てる頃だし、その辺は心配しなくていいわ」

「ええと、それはどういう」

「煩いわね」

 静かな廊下は声が響く。保健室にいることになっている、、、、、、、、、、二人が、こんなところで呑気に立ち話をしていたのでは、魔力を無駄に使うことになる。

 苛立ちの溜息交じりに声を上げれば、先の戦いとは打って変わって気弱な面持ちが、体を強ばらせるのが分かった。

 ――余計に眉間の皺が深まる。

「いいから行くわよ。こんなところで注意されたくないでしょう」

 眉根をほぐしながらも語気を和らげた。こんなところで足を止められていたのではらちが明かない。

 それから生徒会室の前までは、足音だけが響いた。

 生徒会室――の看板を一瞥してから、扉に手をかける。不躾に大きく開けば、その先で席に座っていた少女が顔を上げた。

 日本人にしては色素の薄い、切り揃えられた髪の合間から、同じような色合いの瞳が覗く。ノックも知らぬ来訪者にも機嫌を損ねた様子はなく、彼女はエリアナをまじまじと見詰めた。

 驚愕の視線を交錯させるのは、蛇の魔女の方も同様である。

「久々に顔を見たわ」

「君が書記の仕事をサボるからでしょ。年単位で」

 扉を閉めるようにと手を振る彼女に従う。背に隠れるように警戒するルディを招き入れ、開いたときと同じ調子でドアを閉じれば、高等部の最上級生を示す赤いスカーフを揺らして、生徒会室の少女は笑った。

「久し振りだね、幻惑の魔女。今の名前は何だっけ?」

「エリアナ・カファロ。役員の名前くらい、覚えなさいよ」

「――いつも似たような名前してるじゃないか」

 覚えられないよ。

 初めて、少女の眉根が寄った。咎めるような視線を気にするでもなく、エリアナは部屋の奥へと進む。

 用意された特等席――生徒会長のための椅子に乱暴に腰かける。

 その暴挙にルディが声を上げかけるのを遮って――。

 にわかに真剣みを帯びた瞳を、茶髪の少女へ真っすぐに向ける。

「生徒会長は?」

「残党の撃墜。ほら、穴空いちゃったから、塞がるまでにもう少し入ってくるでしょ」

 言いながらの溜息は、思いの外深刻な響きを孕んでいた。釣られるようにエリアナも眉根をひそめるが、理由は恐らく彼女とは違う。

「じゃあ、じきに帰ってくるわけね」

 思い浮かべた黒髪の、聞き飽きた大声が、耳の奥に蘇るようだった。煩わしい幻聴を振り払うようにして、魔女は一つ息を吐く。

 金色の視線が向く先は――。

 先ほどから所在なさげに部屋の隅にいる、連れの狼である。

「煩い片割れが来る前に、話を済ませておきましょう。ルディ」

 呼べば、丸い眼鏡の向こうで瞬くのが見えた。

 初めて存在に気付いたように、髪の間から覗く茶色の瞳がルディを見る。緩慢な動作で立ち上がる所作は実に上品だ。

 ――上品であるがゆえに底も知れぬと、エリアナなどは思うのだが。

 彼女が目を細めたのも知らず、最上級生たる少女は笑った。

「私は国村くにむらしずく。知っての通り――って、知ってる?」

「せ、生徒会の副会長さん、ですよね」

 その返答に、安堵したような破顔さえ穏やかだ。警戒の唸り声を上げる獣を手なずけるかのごとく、滴の手が自然に差し伸べられる。

 目論見は成功したようで――。

 恐る恐るとばかり、ルディはその手を握った。それでも、赤い瞳は探るように副会長を見る。

「魔女、なんですか?」

 今更の問いにも笑顔を崩さぬまま、滴は大きく頷いた。飽きもせずに顔を引きつらせる狼を見て、エリアナは小さく息を吐く。

 この顔をもう一度見るのも芸がない。先に教えてやった方がいいだろうと口を開けば、思ったよりも退屈そうな声になった。

「で、生徒会長の方が悪魔。というか、生徒会は魔女と悪魔の集まりよ」

 ――案の定、自覚のない悪魔は更に顔を歪めた。

 反応の是非はともあれ、これであらかたの紹介は終わった。これから何度も悪魔だの魔女だのと当然の質問を聞かなくて済む。

 それよりも――。

「本題に入ってよろしい? もっとも、シズクには言うまでもないでしょうけど」

「天使迎撃の話でしょ」

「エンジェルが二。アークエンジェルが一。オーソドックスに侵略者インベーダーな組み合わせってとこじゃない?」

「他のチームは? 動いたところはいくつかあったと思うけど」

「動くも何も。私たちの教室を降りて、すぐそこのグラウンドよ。それも、そこの悪魔が文字通り瞬殺してくれたから、他のチームなんか来る間もなかったわ」

 そこの悪魔――と指されて、肩を跳ね上げたルディとは裏腹に、滴の方は事情を察したようだった。僅かに瞳を細めたほかに反応はなく、エリアナの瞳を緩やかに射る。

 張り詰めた沈黙に――。

 水を差すのは、何も知らぬ少女である。

「あ、あの、質問っていいですか」

 同時に見遣った部屋の隅で、魔女と悪魔にしか分からぬ血のにおいを纏ったルディが、恐る恐る手を挙げている。すぐさま雰囲気を和らげた副会長が、にこやかに先を促した。

「わたし、悪魔――らしいんですけど、その」

「記憶がない件は知ってるよ」

 だから何でも聞いて。

 笑う滴はどこまでも柔和だ。それでも警戒心は解けないままなのか、ルディは肩の力を僅かに抜いただけで、彼女に近寄ろうとはしなかった。

 まあ――。

 この魔女への応対としては賢い部類であろうと、エリアナは自身の悪魔を見た。助けを求めるように巡る瞳と視線が合わぬようにしながら、続く言葉を待つ。

「魔女とか悪魔って、そ、そんなに、いっぱいいるもの――なんですか?」

「普通はここまで固まらないんだけど、この学園は便利だから」

 日本に滞在する魔女と悪魔なら、一度は清天教女学院の名を聞いたことがあるだろう。こぞって目指すというほどの場所ではなかろうが、少なくとも、それなりの労力を払ってこの場に集うだけの価値はある。

 そもそも、学校という土壌が彼女らの性分に合っている。

「清く正しくなんて校則はあるけど、人間はそうそう欲だとか感情だとか消せないからね。ここにはそういう――抑圧された情念が溜まってる」

 思春期の敏感な精神は、強い感情を溜め込んでいる。他者との間に関係性を繋いだのなら、なおさらだ。由緒正しい血筋でもって、由緒正しい学校に通う娘たちにも、当然ながら制御された強い情念がある。

 人の数が増えるだけ、紡がれる情動も多くなる。国内最大規模の学園は、見目の清さとは裏腹に、重い感情の集積場と化している。

「天使っていうのは、高位になればなるほど、強い情念に近づけない。だから、ここはいいシェルターなんだよ」

「逆に悪魔は情念を食べるから、そっちも兼ねてるってわけ。そりゃ居座れるだけ居座るわよね。私なんかずっとここにいるもの」

 いわば天然の結界であり餌場だ。ここにいるだけで、およそ太刀打ちできない高位の天使は弾かれ、悪魔たちも存在を繋ぐことができる。

 ――とはいえ。

「そうおいしい話でもないんだけどね」

「そ、そうなんですか?」

 納得したように頷いていたルディが、予想外だとばかりに目を瞬かせた。事の深刻さを知らぬ少女が無垢に傾げる首に、魔女たちの溜息は深くなるばかりである。

「シェルターとしてはどのくらい持つか。正直、私にも分からないんだ」

 滴の口から重々しく告げられた目下の問題にも、悪魔は目を丸くするばかりだった。

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