第14話 一華の帽子2

 佐藤さとう家の兄弟が頭を悩ませていた同時刻。

 所は神戸ハーバーランド。


 ここはかつて工場や倉庫などの港湾施設が林立する地域だった。海に面した景観から80年代に入り再開発された。古い赤煉瓦の倉庫が当時の面影を残している。レストラン街やショッピングモール、ホテル……

 何より、対岸の、六甲山を背景にポートタワーを見渡せる風景が美しい。

 

 その一隅、大型映画館OSシネマズ神戸の前で――


「あー、面白かった! じゃ、帰りましょ」

 きびすを返してさっそうと歩きだす佐藤家長女一華いっかだった。

「え?」

「映画、終わったから、帰るって言ったのよ」

「もう? やばい!」

 霧島きりしま刑事が慌てて腕時計を確認する。

「まだ3時前だよ。コレじゃ、約束を果たせない――いや、その、夕食は絶対食べて帰らないと!」

「? なによ? やばい? 約束?」

「あ、ハハハ、だから、約束したんだよ。つまり、たまには君を店から解放してやってくれってれんさんに頼まれて……接客なら今日はそう君がうまくやるさ。むしろ、女性客は嬉しいんじゃないかな?」

「何よ? 私じゃ女性客は嬉しくないの?」

「いや、そういうことじゃなくて――ああ、クソッ、ママの言う通り、僕は口がうまくない。刑事になって良かったよ! 犯罪者相手なら安心して口がきけるっ」

「……その発想もチョット違うと思う」

 既に一華たち懇意の者は知っているが。この神戸生田署の刑事・霧島良平きりしまりょうへいの母は宝塚出身の大女優なのだ。当人も俳優になれるくらい眉目秀麗だ。けれど性格は地味で実直。正義感が強く芸能界ではなく生涯の仕事に刑事を選び取ったのは大正解だった。但し、マザコンだけはいかんともしがたい。

「とにかく、まだ食事には早いなら、お茶でも飲もう! それとも――観覧車に乗るかい!?」

 もう、やけくそだ。霧島は目についたモノについて――それが観覧車だったから――口走ったのだ。

 ウォーターフロントに潮風を受けてゆっくり回る観覧車。隣接するアンパンマンミュージアムに来た子供たちか、観光客か、恋人同士以外、こんなもの乗りたがる人間なんていないだろうに。

「観覧車ですって?」

 案の定一華は眉を上げて――

「いいわ! 乗る! 乗りたいっ!」

「ええええええ?」

 ママが言った通りだ。おまえは女心がわからない。ほんと、全くわからないよ!

 だが、とりあえず、これで時間が稼げる。グッジョブ、俺!



「わあ! 綺麗! 廻り中キラキラ輝いてるっ!」


 昼下がりの陽光にきらめく青い海。

 水平線の彼方までじいっと見入っていた一華がふいに笑い出した。

「フフ、私ったら、ホント、バカだった」

 ガラスにぴったりと額をくっつけて、

「にいさんは強い人なのに。そう、ほら? この海みたいにね。それをちっぽけな私風情が勘違いをして兄さんを煩わせていた時期があるの――」

「?」

「私ね、小さい頃からにいさんが大切で……だって、ほら、にいさん、お人形みたいだったの。ある意味、自分だけのお人形にしたかったかな。だから、独占して、護ってやりたかった。思い上がりもはなはだしいわよね? にいさんの世界をちぢめて妨害してるのは私だった」

 独り言のように一華は続ける。

「小学校の後半から中学校時代、私、誰とも話さなくなった時期があったのよ。指でにいさんとだけ会話してた」

「えー、そうなのかい? 今の一華サンを見てると、とても信じられないけど」

「私は幸せだった。いつまでもにいさんを独占して永遠ににいさんと二人だけの世界にまどろんでいたかった。『思春期特有の潔癖症だ』って今なら笑い飛ばせるけど。

 あの頃の私にはガチャガチャと雑音に満ちた世界が低俗で汚らしく見えたのよ。でも、にいさんは違う。音のない崇高で清らかな世界の住人に思えた。私もそこに住みたかった。

 引きこもって失語症になった私の状態を知った周囲の人たちは、一華ちゃんは優しい子だからとか、お兄さんに同情してるのよ、とか勝手なこと言ってたわ。

 両親もどうしていいかわからず腫れ物に触るみたいに接してくれた。弟は何にもわからないウザイわんぱく盛りのチビ助だったしね。私には兄さんだけが全てだった。

 そしたら、ある日、とうとう怒鳴られたの」

「だ、誰に?」

「いやだ、決まっているじゃない、漣にぃによ」


 あんなに激しく荒ぶる指を見たことがなかった。

 嵐のようにひるがえり揺れた兄の《声》


 ―― いい加減にしろ、一華! おまえは何をやってるのかわかっているのか? 父さんや母さんを心配させるのはやめろ! それ以上に……

   俺の世界を破壊するのはやめてくれ! おまえは異物なんだよ。わからないのか?


 ―― 私が異物? ひどい!


 ―― ひどくない、事実だ。

   おまえは自分の世界へ帰れ!

   皆、一人分の世界しか持っていない。一つの帽子を二人で一緒にかぶれないように、ここは俺の、俺だけの世界なんだ。

   おまえはおまえの世界へ戻って、思う存分、自分が主人公の自分の好みのお城を作るんだ。

   おまえの声で、おまえの言葉で語れ!

  

   おまえは勘違いをしている。

   僕だって、ずっと生まれた時から自分の声と言葉で話している。

    

   なんにも聞こえない・・・・・・・・・のは俺じゃなくおまえだろう?


「手話を一緒に覚えた私は、誰よりも一番兄さんの声を聞き言葉を理解しているのだと勘違いしてた。

 うぬぼれていたんだわ。ほんとに兄さんの言う通りよ。私は兄さんの世界で兄さんを押しのけて主役気取りだった。ううん、押しのけるどころか主役の兄さんを檻に閉じ込めて傍若無人にふるまう――颯っぽく言うのなら――〈ふしぎの国のアリス〉のトランプの女王様級の独裁者だった!

 兄さんがブチ切れて放り出してくれてよかった!

 それで私は目が覚めたワケ」

 小さく息を吐く。

「でも、あの通りにいさんは優しいヒトだから、私を追い出すにあたって、最後にはやっぱり温かい言葉をかけてくれた」


 ―― 今まで、全ての風を体を張って、それこそ矢面に立って防いででくれたんだよな? 

   ありがとう、一華。もう大丈夫だよ。

   僕に風を当ててごらん。


 兄の微笑。そこに、

 千もの煌めき。

 さざめくさざなみが見えた……!



 ―― 僕は大丈夫さ!




 わかってる。あの時、大丈夫でなかったのは私の方。

 間違った方向へ行きかけた私をにいさんは救ってくれた。

 

 長く入り浸っていた部屋から出る時、もう一度振りかえった私に、にいさんの指はしっかりと正しい方向を指し示していた。

 にいさんの部屋のドアの外へ――


 ―― 行け!




「その声のカタチは矢のように私の心のど真ん中に突き刺さったの。

 声の力ってすごい! 言葉ってすごい!」

 それが確かに届いた時の破壊力……!

「それで――私は私の声を持って、誰よりも鮮明に、たくさんの人に聞いてもらおうと思ったの」

「ああ、だからアナウンサー志望だったのか!」

「皆、驚いたはずよね。中学入学以来不登校だった私がある日、突然登校して、クラスの皆に最初の挨拶で言ったんだもの」


『始めまして。このクラスの一員の佐藤一華さとういっかです。これからよろしくお願いいたします。将来の夢はアナウンサーです!』







「ああ! 本当に綺麗!」


 再び眼下に広がる海を眺める一華だった。


 兄さんが海なら風を奪うことは輝きを消すことになる。




「皆、それぞれの声と言葉で。

 私はあの時、にいさんに教えてもらった。

 それでね、私、7年後……」

「7年後?」

「うん。両親が突然亡くなって……葬儀から帰ったその日……」


 あの夜、にいさんの指が不安に泳いでいた。


 私は自問した。


 今、私は正しく立っている?

 独りよがりではなく、ちゃんと自分の声と言葉をはぐくんできた?

 

 だったら、

 今度は私が言う番よ。はっきりと私自身の声と言葉で。

 二人で、――支えあうというよりも――しっかりと補いあって、力をあわせて、

 やっていけるわ、私たち。

 

 さあ!



「だから、私は言ったの・・・・・

 サトウ帽子屋を私たちで引き継いでいこうって」


「そうか、サトウ帽子屋継続の裏にそんな経緯いきさつがあったのか! いい話だなぁ! 感動したよ!」

 目を真っ赤にしハンカチで鼻をかみながら刑事は言った。

「こりゃ絶対、ママに教えてやらなくっちゃ!」



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