第13話 一華の帽子1
「ねえ、まだイメージ固まらないの? 大丈夫? もうあんまり時間残ってないよ、
―― わかってる。僕だって焦っているんだよ……
神戸は、古き港町の風情を残すレトロでお洒落な
大正初期の創業を誇るサトウ帽子屋店内のテーブルコーナーで頭を寄せ合ってヒソヒソやっている兄(の漣)と弟(の
その名のとおり店の花、接客担当の長女・
正月以外は不定期休業のサトウ帽子屋。珍しく今日は、一華は友人と外出中である。代わりに颯が店番というわけだ。といってもデートではない。相手は
その理由は3週間前に
その夜、一華が入浴中に、末子・颯が言ったのだ
「漣にぃ、来月、一華ねぇの誕生日だけど今年のプレゼント、何にするか決めたの?」
―― いや、まだだよ。
誕生日にはそれぞれプレゼントを贈りあう。何処の家でも見られる微笑ましい光景である。
ちなみに一華は11月30日生まれ、星座は射手座だ。
例年、プレゼントは、弟の颯は読ませたい本と決めている。兄の漣はその年ごとに、選び抜いたお洒落な小物――スカーフやバッグ、靴、財布などを贈って来た。
「それでさ、どうかな? 僕に提案がある。今年の誕生日のプレゼントは帽子にしない? 勿論、漣にぃが作るんだよ」
―― !
これは想定外だった。
実際、兄は妹に帽子を贈ったことがなかった。
専門学校を卒業した漣が父の隣に並んで帽子制作を始めたのは5年前のことだ。
だが、1年も経たないうちに、父は母とともに旅行先のフランスで事故死する。兄妹で後を継ぐ決心をして今日までひたすら頑張って来た。その結果、幸いにもなんとか二人の営業スタイルを確立し、店舗経営も軌道に乗った。昔からの顧客に加えて新しい〝漣の帽子ファン〟も増えてきている。その間、妹の帽子など作る余裕はなかった。
そして今、妹に、新装開店以来6回目の誕生日が巡って来る……
「ちょうどいい機会じゃない? 今までの労をねぎらうためにも、一華ねぇへの今年のバースディ・プレゼントは帽子にしようよ!」
片目をつぶって颯は付け足した。
「僕も協力するよ。製作費の3分の一は僕が出すからね!」
―― 3分の一……
「やだなぁ! 残りはいつものようにイメージ提供で支払うよ!」
というわけで、今日まで幾度か一華のいない時を見計らってどんな帽子にするか相談を重ねて来た二人だった。が、これが予想以上に難航した。身内となると中々決めきれない。
そうこうするうちに誕生日も迫って来た。丸一日一華を追い出して今日こそデザインを決定しよう、というわけだ。
―― イメージ作りに貢献すると言ったんだから、颯、アイディアをどんどん出してみてくれ。
「うーん、それがさ、知り過ぎてるというか……身近すぎて思いつかないんだよ」
颯は片頬を膨らませると、
「もう、小難しいストーリー性なんてのは無視して、シンプルに行こうか? 見た目一本! ほら、一華ねぇさ、キリッとしてて日本人形とか、女剣士の風貌だからそのセンでどう?
―― ……
「一華の《花》は何だろう? 今言ったように日本の花だよなぁ。
桔梗、撫子、桜、桃、
ミヤコワスレはバッティングするからやめとこう。〈ミヤコワスレを君に〉って某小説サイトでぐっと胸に迫る初恋物語が既に書かれてるからね。
―― 何のことだよ?
「
ここで颯がハッとして口を閉ざした。
―― どうした? 何か思いついたのか?
「ツツジの花の話を
〈
兄がきっぱりと首を振った。
―― いくら雰囲気があって美しくてもそれは使えないな。もっと明るい話じゃないと。
「アハハ! ダヨネ! 優しくて包み込んでくれるのはいいけど妖艶すぎるよね! 正直、僕、このお話読んでからツツジの漢字――〈躑躅〉って〈
―― 他にないのか? 花に関する物語で。
「〈
颯は頬を上気させて言い足した。
「この作家は中国モノで物凄く面白い作品をいっぱい書いている。〈狐弟子〉〈双子幻綺行〉〈
―― 牡丹か……
牡丹は美しい花だが、一華のイメージとは少し違う気がする。
しかし――
光明が射した、と漣は思った。弟が言った言葉。
『一華の《花》はどんな花だろう?』
妹の帽子を作るには、まずそこから入るのがよさそうだ。
一華の花はどんな花?
今はもう背が伸びて自分の方が遥かに大きくなったけれど子供時代、長いこと一華は僕にとって姉のような存在だった。
華奢で線の細い僕を気遣って突風に充てるのを嫌い、この妹は常に兄の前に立っていた気がする。キリリと眉を上げて嵐を一身に受け止めて来た。
だから、妹の淚を見たのはあの日が初めてだった――
両親を失った日。
異国からの突然の知らせ。葬儀の最中もずっと泣きじゃくっていた。
だが、斎場から帰った時、もう一華は泣いてはいなかった。
こういうことは妙にくっきり、鮮明に憶えているものだ。
あれは新月の夜で、その時間、その季節、サトウ帽子屋三階の窓は真っ黒に塗りつぶされていた。
高校1年生だった颯はさっさと部屋に引き上げている。
一華とは反対に葬儀の間もけっして涙を見せなかった弟。一人きりで思う存分泣きたいのかもしれない。そう思って僕はあえて声をかけなかった。
リビングには僕と一華だけがいた。窓の前に立って一華はいつもの見慣れた表情――キリリと眉を上げて言った。
『漣にいさん。このサトウ帽子屋を二人でやって行きましょう! 私たちなら、できるわ!!』
―― だが、一華、おまえ、就職はどうするんだ? せっかく勝ち取ったアナウンサーの夢を捨てるのか?
神戸からはやや遠い大阪芸術大学の放送学科アナウンサーコースに一華は通っていた。卒業を前に某放送局から採用の内定を得ていたのだ。
思い出は次次に蘇る。
その通知が届いた日は大変な騒ぎだった! 一華自身も、そして、両親も僕も弟も――家族全員狂喜乱舞した。皆でミュンヘンへ繰り出しこの快挙を祝ったっけ。
ミュンヘンは三宮にあるビアレストランで佐藤家が最も頻繁に訪れた店だ。阪神淡路大震災で罹災し現在、建物は再建されている。但し、内装は以前のそれを忠実に踏襲している。
あの日、健在だった両親に祝福されて満面の笑みを浮かべていた一華。兄の自分もどんなに誇らしかったことか。ステンドグラスの輝く窓の下で妹の輝く未来に幾度も乾杯した――
その未来を捨てる?
「捨てるんじゃないわ」
一華は大きく首を振った。アナウンサーの凜とした声だった。
「
―― 僕は一人でもなんとか、やっていくつもりだよ……
嘘だった。僕の指は
1人でやって行く自信などなかったのだ。帽子は作れるだろう。だが、帽子は作れても、接客には不安しかなかった。
妹は即座に言い放った。
「ううん、独りじゃダメ。にいさんは、帽子を作る人よ。私は帽子を――売る人になる!」
続けて、こうも言った。
「お互いしっかりと専門分野を決めなくちゃ! 父さんと母さんもそうだったでしょ?」
これはサトウ帽子屋の伝統だ、と一華は笑う。
無口で職人気質の父もアトリエに籠って帽子を作り、母がお客の相手をした。
父の勇気は生涯で一回だけ爆発的に使用され、それで使い果たされたのだと、これは父自身が自分で言っていた。
花博のコンパニオンガールだった母に突撃して求婚したこと。それがアトリエ以外で見せた父の決死の行動だった!
この花博、正式名称は《国際花と緑の博覧会》という。
1990年4月1日から9月30日の間、大阪の鶴見緑地で開催された国際博覧会だ。
広い会場の一角、野原のエリアに国際展示館・水の館があって、その出展ブースにひっそりと〈月の石〉が展示されていたことを知る人は当時でも少なかった。神秘的な天の石に魅せられた帽子職人は幾度も通ううち――更に心奪われたのがその館のコンパニオンガールだった! という
波のように重なり、打ち寄せる記憶の断片。
今、目の前に立つ妹は、コンパニオンのコスチュームを纏った写真の母そっくりの微笑を兄に向けている。
―― 一華。おまえが一緒にやってくれると言ってくれて僕は嬉しい。でも、アナウンサーの内定を断って……おまえ、後悔しないかい?
「しない」
キラリ、煌めいていた一華の瞳。
―― !
漣は、あの日、新月の夜に見たものを思い出した。
あれは――
あれこそ――
一華だ。
一華だけが持っているモノ。
♠〈龍潭譚〉 泉鏡花著 《暗黒のメルヘン》澁澤龍彦編収録:河出文庫
♠〈長安牡丹花異聞〉森福都著 文春文庫
♠〈狐弟子〉森福都著 実業之日本社
♠〈双子幻綺行〉森福都著 祥伝社
♠〈琥珀枕〉森福都著 光文社文庫
♠〈妃・殺・蝗―中国三色奇譚〉 講談社文庫
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます