第12話 風を感じる帽子3

『ご注文いただいておりましたお帽子が出来上がりました』


 サトウ帽子屋からの連絡を受けた翌日、もう待ちきれずに古市円香ふるいとまどかは銀行の昼休みに店へやって来た。例のごとく制服にコートを羽織った姿だった。


   カララン……


 期待と不安の入り混じった思いで聞くドアベルの音。





「ずいぶんお待たせして申し訳ありませんでした」


 カウンターに出された丸い帽子の箱。ゆっくりと近づく。


 ―― これが、《風を感じる帽子》というご依頼を受けて僕が作った帽子です。


「……」


 その帽子の型はキャベリン。

 これは〈つば広帽子〉とも呼ばれる優雅なフォルムで女性に人気がある。

 色は、どこまでも明るい黄色 jaune brillant ジョンブリアン。

 この色なら、高い空の上からもよく見えそうだ。この辺りは帽子屋末弟の助言が大いに参考になったのだろう。だが、それだけではない。

 よく見ると、模様が浮き上がってくる――

 レモンイエローの地布に幾重にもオーガンジーを重ねて、その透き通った層ごとに細かい模様――水玉ドットが散っている。繊細なカットワーク技法の妙。

 動くたびに淡い点点がさんざめき、揺らいでチラチラ、チカチカ……


 どこかで見た憶えがある。これは――


 目を見張って暫くじっと見つめていた注文主、突然、声を上げた。


木漏こも……!」


 次の瞬間、ワッと叫んで帽子に飛びつき、泣きだした。


古市ふるいちさん――」

「ご、ごめんなさい。でも、嬉しいんです。コレ、おんなじだわ! 思い出しました!」


 ペペと並んで駆けまわった道。私たちに降って来た幾千の陽の光。

 飛んで行く景色の中で、樹々が騒ぎ、葉がそよいで、影がこぼれる……

 

 あの日、あの時間とき、一人と一匹に吹き過ぎた風の形・・・がそこにあった。





「ありがとうございました!」


 明るい声と指に見送られてドアを押す。


    カララン!


 外に出て、空を見上げたとたん我慢できなくなって、紙袋から帽子の箱を取り出した。 

 職場の制服にこんなお洒落な帽子は似合わない。だが、構うものか。

 新しい帽子を被って円香まどかは思った。今日は何処までも歩いて行こう。まずは、お昼休みが終わるまでうんと遠回りしてこの道を!

 乙仲おつなか通りのお洒落でノスタルジックな地面へ一歩踏み出す。続けて二歩三歩。

 古着屋さんに、ビストロ、雑貨店、ヘア・サロン……

 もっともっと、どんどん先へ!

 靴屋、写真屋、カフェ、ギャラリー……

 流れる景色、ショーウィンドウに映る影。神戸海岸通り郵便局の前で白髪の老婦人が振り返った。


「素敵なお帽子ね!」

「ありがとうございます! 買ったばかりなの!」


 挨拶もそこそこに、もう止まらない。いつしか小走りになっている。揺れるプリムつば、頬をかする陽の光、耳朶みみたぶをくすぐるこのさざめき――




 風が……戻って来た!







       第四話 《風を感じる帽子》 ――― 了 ―――




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