第11話 風を感じる帽子2

「うーん、犬、犬、イヌ……亡くなった犬と聞いて思い出すのは――〈薔薇の構図〉かな」


 そうは話し始める。


「作者はイギリスのK・Mペイトン。この作家はヤングアダルト分野の草分けで名作をいっぱい書いてる。その中でも、これは僕が一番好きな作品だよ。

 出版は1972年だから60年代が舞台だろうか? 田舎に引っ越した主人公が牧師館の庭で半ば埋もれている自分と同じイニシャルの少年の墓と、それとは比べ物にならないくらい立派な墓を見つける。亡くなった日付がいっしよの2つの墓。しかも豪勢な墓の方は10匹の猟犬の墓だった! 違和感を感じた主人公はその両方の墓とそこに埋められた少年と犬たちの謎を追う……現代と過去二つの青春が交差するいかにも英国らしいお話だ。このほかではーー

 マイナーな短編だけど〈省エネ続行中!〉もいい話だったな。老いた愛犬を安楽死させるべきか悩む若い夫婦。半生を共に歩んだ夫の方が決断を一日伸ばしにする。時代はエネルギー危機が叫ばれ出した80年代。電灯を暗くしたりガソリンの消費を抑えるために効率の良い小型車に変えたりしてる家族の合言葉は『省エネ続行中』なんだ。結局、犬はある朝自然死しちゃうんだけど、幼い息子が心臓を触って叫ぶんだ『死んでないよ!この子は省エネ続行中なんだ!』……

 涙と笑いの交錯する小編だ」


「犬の話には名作が多いよね?」

 もう止まらない、矢継ぎ早に颯は続けた。

筒井康隆つついやすたかの〈愛のひだりがわ〉も少女と犬の話。凄い! こんなタイトル、どうやって思いつくんだ!? ロシアの文豪ツルゲーネフは〈猟人日記〉の中でボルゾイ犬をぼろくそに言ってて笑える」

「へえ? どんな風に?」

 洗濯物を畳んでいた一華いっかが興味を抑えられなくなって顔を上げた。

「うん、『貴族的な風貌なのに頭は悪い、バカ犬だ』ってさ。あ、僕が言ったんじゃないよ」 ※あくまで大文豪の個人的な意見です。

 洗濯物の山から選り分けて弟の分まで畳んでやっていた優しい兄。その手を止めて催促した。


 ―― 面白いな! もっと聞かせてくれよ、颯。他にはどんな犬の話があるんだい?


「意外なところでは志賀直哉しがなおやの〈盲亀浮木もうきのふぼく〉かな。三つの話の最後に逃げた愛犬クマが出てくる。すると、魔法のように全く関係のない三話がストンと繋がるんだ。日常と奇跡が鮮やかに切り取られている、これは絶対お勧めの名短編だよ」


 ―― 盲亀浮木・・・・ってなんなんだ? そんな言葉、僕は初めて聞くけど?


「私もよ。どういう意味なの?」

 よくぞ聞いてくれた、とばかり颯は大きくうなずいた。

「僕も知らなかったから調べたんだ。出会うことが凄く困難なことの例えだってさ。または、滅多にない幸運に巡り合うこと……」

 元々は、大海の底に住んでいて百年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀が、海面に浮かぶ一本の木に出会い、更にその木の穴に入ることは容易ではないという、仏教の説話から来ている。

 それほど仏教の尊い教えにめぐり合うことは難しいと教えているのだ。

「同じく日本の文豪では太宰治だざいおさむの犬の話もグッとくる。〈畜犬談ちくけんだん

 現代の僕たちが読むと犬の扱いがかなり乱暴というか、強烈なんだけど、当時の日本人にとっての犬の位置、ペットの捕らえ方がどういうものだったかを知ることができる。

 最近の印象深い犬に関する本なら古川日出男ふるかわひでおの〈ベルカ、吠えないのか?〉かなぁ? これはちょっと……悲しみの質が違う異色作だよ」


 こんな風に……

 その後、いくつもの犬の話を聞いた。

 颯の語る犬の話はどれも興味深かった。だが、帽子につながるひらめきは得られなかった。やはり対象が動物になると、れんもいつもと勝手が違うようだ。



 翌日の午後。漣は店を一華に任せて近所のペットショップを数件覗き、その後、ポートセンター街園を抜けて、メリケンパークまで足を延ばした。


 海に犬は良く似合う。愛犬と散歩しているたくさんの人たちに出合った。犬種も様々だ。大型犬はゴールデンレトリーバーから小型犬はチワワまで。プードルにトイプードル、アフガンハウンド、ジャックラッセルテリア、ポメラニアン……今回の帽子の注文主、古市ふるいち嬢の愛犬の柴犬や黒柴とも擦れ違った。

 どの飼い主と愛犬にも優しい風が吹き過ぎて行くように漣には見えた。



 風を感じる帽子……

 

 イメージがわかないまま当初約束した一週間が過ぎた。

 これは珍しいことだが、漣はもう一週間、帽子を手渡す日を伸ばしてもらった。それでだめだったら、仕方がない。事情を話して予約を反故にキャンセルしてもらうしかない。



「難しく考えすぎじゃない? 漣にいさん」


 今日も作業台の前で頭を抱えている兄に、とうとう一華は言った。

「古市さんが言った言葉、《風を感じる帽子》は解釈の仕方でどうにでもなるはずよ? つまりね、犬のイメージが込められていれば古市さんは喜ぶと思うわ」


 ―― 例えば?


「柴犬だから、茶色い犬をアップリケするとか」

 珍しく兄は鼻を鳴らして皮肉を言った。


 ―― よせよ。そんなの僕は作らないよ。ウチは元町通りのファ○リアとは違うからな。


「んもう! じゃあ、そのもの――毛皮っぽい布で帽子を作っちゃうのは? 古市さんが話してた、ふさふさの尻尾をこうぐるっとツバに回して……」

 これまた珍しく兄は蔑すんだ目つきで言った。


 ―― かぶった人を犬にしてどうするんだよ? 僕は着ぐるみ職人じゃない。


「何よ! 人がせっかく助けてあげようと知恵を出してあげてるのにその言い草! もう知らない! ほんと兄さんってば頑固なんだから! 父さんとそっくり!」


 ―― おまえは母さんとは大違いだな! 母さんは怒鳴ったりしなかった。いつも静かに微笑んで父さんの帽子ができるまで見守っていてくれた。


「はーい、そこまで!」


 いつの間にいたのやら。

 アトリエの扉の前に颯が立っていた。ニヤニヤ笑って、神戸の街並みが描かれたお洒落な袋を翳して見せる。

「ケーニヒスクローネの、栗とリンゴ、二種類のベーネン買って来たよ! お茶にしない?」

 外見はパイ、中はスポンジケーキの焼き菓子だ。カスタードクリームで具材をサンドしてあってサクッ&しっとりの二度美味しい触感がたまらない……

 今日は妹が入れた紅茶を膝を寄せ合って飲む帽子屋兄姉弟きょうだいだった。

 アトリエの一角には小さなキッチンが完備されている。顧客へのお茶はここで用意するのだ。隅に置かれた、今皆が囲んでいるバタフライテーブルはサトウ帽子屋創業当時から代々引き継いだ年代物で、帽子制作に熱中した漣が昼食を食べる際にも重宝している。

「美味い! どう? 甘い物が切れるとヒトはイライラするってさ」


「……」


 ―― ……


 流石に今日ばかりは弟に頭が上がらない兄と姉だった。

 一華がボソボソ謝る。

「ごめんなさい、漣にいさん。私が言い過ぎたわ」

 漣も恥ずかしそうに、


 ―― いや、僕こそ、悪かった。考えがまとまらなくて八つ当たりしてしまった。


「うん。漣にぃと一華ねぇの話を聞いてたケド――」

 栗味を食べ終え、続けて、リンゴ味へ手を伸ばした末子が言う。

「犬のアップリケとかは言うまでもないけどさ、犬そっくりな帽子もダメだよ」

 豪快にかじり付いて、顔はスイーツを味わう幸せにとろけながらもピシッと言い切った。

「その手の発想が一番ダメ。だってさ、誰も――ヒトも犬も、猫も――逝ってしまった存在には代れないから。

 死んでしまった人は思いだしたり、祈ったり、慰霊することはできても、もう永遠に呼び戻すことはかなわないんだもの。それをさ、似たものやそっくりなものを作ったら嘘になる。そんなのはニセモノの身代わりに過ぎない。本人への冒涜ぼうとくだよ」

 姉と兄は思わず弟の言葉を繰り返した。

「逝ってしまった人は帰って来ない……」


 ―― でも、思いだしたり、感じることはできる……


「僕さ、何処かで読んだんだけど、ブータンの墓づくりは」

 半ばあきれて姉は弟の顔をまじまじと見つめた。

「ブータンの墓? 颯、あんた、ほんっとに色々読んでるのねぇ!」

「いいから、聞いてよ。土地の狭いブータンでは墓は作っちゃいけないんだって。でないと、やがて国土中、墓だらけになっちゃうだろ?」

 冷静に兄が訊いた。


 ―― 墓が作れないなら……どうするんだ?


「散骨だよ」

「まぁ! でも、それだとお墓参りができないじゃない!」

「そこさ。その逆。つまりね、〝何処にもない〟ということは〝何処にでもある〟ということなんだ。ブータンの人々にとっては故人を思い出して祈りたくなった場所、そこが、お墓なのさ」

 いなくなった存在は何処にでもいる。特定の場所、墓所ではなく……

「〈悪童日記〉を書いたアゴタ・クリストフも続編の〈ふたりの証拠〉でこんな謎々を書いてたっけ。

〝どこにもいなくてどこにでもいるもの、な~んだ?〟」


「?」


 ―― ?


「答えは……亡くなった人たち」


 あなたが思い出した時、大切なその人はそこに・・・いる……


「そう考えたら――その愛犬のことだけどね、ペペ? が見つけやすい・・・・・・帽子を作るって発想カンジもありかな?

 『あ! ご主人様が散歩に出てるぞ』って天上から見て、すぐに気づいて傍へ行ける……そんな帽子はどう?

 民俗学者の柳田國夫やなぎだくにおは〈先祖の話〉で書いてる。僕ら日本人の死生観……霊魂の捉えかたはこんな風だと。

 亡くなった人たちは決して遠くへは行かず里山や田畑の向こうの雑木林の木の上から家族や子孫を心配そうに見つめてるってさ。

 きっと僕たちの――」

 ここで颯は口を閉ざした。だが兄と姉も同じことを思っただろう。

 きっと・・・、自分たちの父と母も、居る・・。今、この瞬間も。

 古い港町は乙仲おつなか通り、明治開業当時と同じデザインの看板を掲げた新しいビルの中でこうして仲良く暮らしている子供たちを見つめているのだ。

 その優しい眼差しを確かに感じる三兄姉弟きょうだいだった。



♠〈バラの構図〉K・Mペイトン著 掛川恭子訳 岩波少年文庫

♠〈省エネ続行中!〉 未確認:情報をお持ちの方はぜひお知らせください。

♠〈愛のひだりがわ〉筒井康隆著 新潮文庫

♠〈猟人日記〉上下ツルゲーネフ著 佐々木彰訳 岩波文庫

♠〈ベルカ、吠えないのか?〉古川日出男著 文春文庫

♠〈盲亀浮木〉 志賀直哉著 『志賀直哉』ちくま日本文学:収録『犬』中公文庫:収録

♠〈畜犬談〉太宰治著 『きりぎりす』新潮文庫:収録

♠〈悪童日記〉〈ふたりの証拠〉〈第三の嘘〉アゴタ・クリストフ著、 堀茂樹訳 早川書房、早川epi文庫

♠〈先祖の話〉柳田國男著『柳田國男全集13』ちくま文庫


※〈省エネ続行中!〉は私が所有しているハードカバー本ですが、今回、どうしても見つけられなかった……

捜索続行中です。cf:アメリカ人作家の短編集

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