第8話 失われた帽子2

 早速その日、佐藤家の夕食後のテーブルは作戦会議の場へと切り替わった。

「失われた帽子……失くした帽子ってことよね?」


 ―― こりゃ難しいな。ひどく観念的だ。


「さあ、本領発揮よ、そう! こういう時のためにあんたはいるんだから!」

「なにそれ、乱暴な言い方だな、一華いっかねぇ。帽子のネタを提供するのがサトウ家の僕のレゾンデートル?」

「レゾ? やだ、文学部だと思って! こ難しいこと言ってないで、さあ、早く! れんにいさんがイメージを膨らませられるような情報を提供してよ!」

「そう言われても……」

 せっつかれて天井を睨みながら颯は言う。

「う――ん、失われた帽子と聞いて真っ先に連想するのは……やはりアレかな?

 〈人間の証明〉著・森村誠一もりむらせいいち。戦後の混乱期の悲しい母子の姿を軸に展開する推理小説で、1970年代のベストセラーだよ。僕は小説以外は知らないけど、父さんや母さんの時代じゃないかな? TVドラマや映画化されて爆発的な人気を博したらしい。当時の映画のキャッチコピーが『母さん、僕のあの帽子どこへいったんでしょう?』

 本編でも出てくるこのフレーズは、実は西条八十さいじょうやその詩なんだ」


   母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

   ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

   谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ……


「ね? まさに、今回の企画にぴったりの美しい詩だろ?」


 さらに続けて、

「この他では……コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一編、〈青い紅玉〉。

 これもあまりにも有名だよね? Xmasまぢかの日、ベーカー街B11に持ち込まれた丸々太ったガチョウの屍骸と山高帽子。ホームズは一目見て、ズバリ、帽子の持ち主を言い当てる……」

「麦藁帽子に山高帽子?」

 一華が鼻に皺を寄せた。店のカウンターの後ろに控えていると楚々とした美人なのだが、不満を表す時のこの癖はダイナシだ、と兄も弟も内心思っている。

「なんだか地味ねぇ。もっと、こう、はなのあるお話はないの?」

「ちぇ、一華ねぇはすぐそれだ。じゃさ、自分でハーレークイーンとか漫画とか乙女ゲーで何か思い出してしてみろよ。そっちは僕の領域じゃないもんね」

「可愛くないっ! なによ、自分がちょっとばかり文学通だと思って」

 妹と弟の喧噪をよそに兄は腕を組んでじっと考え込んでいる。

 失われた帽子……失くした帽子……


 ―― どうだろう? 僕は思うんだが。失われたモノは何も帽子に特化する必要はないかもな。失われたモノ……その〝何か〟を彷彿させる、そんな帽子でもいいんじゃないかな?


「そうね!」

「そうか! それなら……」

 末子、颯の瞳が煌めいた。

「僕、思い出した話がある。凄く短いんだけど、妙に心に残ってるんだ。明治の文豪田山花袋たやまかたいの〈温泉めぐり〉。その中の一篇で、確か、伊香保の冬についての章だった……

 この中でね…… 」






 イベントは大成功だった。

 会場となった神戸ファッションマート(KFM)は六甲アイランドにある、地下2階・地上10階からなる神戸商工貿易センター運営の大型複合施設だ。

 六甲アイランドはポートアイランドの次に神戸に誕生した〈人工島〉で、1988年の造営当時『六甲の山、海へ行く』と大々的に宣伝された。六甲山を削って海を埋め立てたからだ。だが、阪神大震災では液状化現象が発生、本土と島を結ぶ六甲大橋が被害を受け電気やガスの供給が途絶するなど人工島ならではの問題も指摘された。

 とはいえ、ビル、マンションの倒壊はなかった。現在は外資企業勤務の外国人居住者の多い地域となっている。何より、人工島へ至る無人運転のモノレールから見る景色は素晴らしい。あなたが観光客なら、絶対、先頭車両の最前列席に座って運転手気分を満喫したくなるはず。

 このモノレールに乗って20分。KFM一階、吹き抜けの大空間〈アトリウムプラザ〉は、期間中、レトロな港町のプロムナード風に構成されて、各部門、たくさんの人の波が(企画者が願った通り)さざめいていた。

 帽子展示コーナーには様々な帽子たちが並んでいる。

 サトウ帽子屋の次男坊が発想した通り――麦藁帽が多かった!

 中には精巧な甲虫やクワガタを飾ったソレもある。

「僕、断然、これに投票しょうっと! ミヤマクワガタまでいるんだよ! 凄い! たまんねー」

 人気投票カードを振りかざして颯は叫んだ。

「見てよ、帽子を覆うトロリと流れた樹液感も最高!」

「私はこっち! 風に飛ばされた瞬間が目に見浮かぶわ。きっと豪華客船のデッキよ」

 一華が選んだのはレースの夏帽子。幸福な恋人たちが愛を囁いている時、いじわるな南風が攫って行った帽子……素早く伸ばしたたくましい腕は帽子ではなく恋人を抱きしめて、帽子の行方を問う唇を甘いキスでふさぐ……

「ああ、なんてロマンチック!」


 ―― おまえたち……


「あ、僕たちあくまでもフェアだから――」

「そうよ。身内贔屓はしないわ!」


 言うまでもなく、二人は兄の帽子が『イチバン、最高!』と思っている。

 展示品に目を戻すと、ボンネット、ガルボハット、トーク……まさしく〈失われた時代〉〈旧き佳き時代〉の華やかな帽子もあれば、野球帽や旧制高校の学帽に帝大の角帽、子供用の可愛らしい帽子や赤ちゃんの帽子もあった。この種の帽子は作り手にとって、過去に置き忘れた、かけがえのないカタチなのかもしれない。

 会場を見て廻って言えるのは、どの帽子も素晴らしいということ。それぞれ、製作者が想いを込めて作り上げた〈失われた〉帽子たちだった。

 その中で、乙仲通おつなかどおり・サトウ帽子屋出品・佐藤漣そとうれんの帽子は……


 たくさんの帽子の中にあって、少々変わっていた。

 至ってシンプルな純白のベレー帽。正確に言うと縁のあるモンティベレー型。

 全体に細かいビーズがうっすらと散っている。更によく見ると後ろの部分に真っ赤なリボンが縫い取りされていて、その先が流れるように帽子の縁へ落ち、周辺を巡って消えて行く。純白の中に一筋、溶けていく赤いラインを見つめていると吸い込まれるような不思議な感覚に陥る――


『こんな美しい帽子、絶対失くしたりしません!』 

『最高にきれいな帽子!』 

『一番欲しい帽子です』

『見惚れてしまいました』


 アンケートで感想を書き込まれた枚数では、他を寄せ付けず大絶賛された漣の帽子だった。

 美しい帽子、欲しい帽子では最高得点。ただテーマとの繋がりが少しわかりにくかったかもしれない。


 金賞は(颯も選んだ)虫づくしの麦藁帽が受賞した。




☆〈人間の照明〉森村誠一。 1975'『野生時代』角川書店/1977'角川文庫/1983'講談社文庫/1997'ハルキ文庫

☆〈母さん、僕のあの帽子〉西条八十。 ハルキ文庫西条八十詩集収録

☆〈青い紅玉〉アーサー・コナン・ドイル。初出は1892'1月〈ストランド・マガジン〉。同年出版の〈シャーロック・ホームズの冒険〉収録。創元推理文庫/新潮文庫 他

☆〈温泉めぐり〉田山花袋 岩波文庫

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