第7話 失われた帽子1
「サトウ帽子屋宛てに変なメールが届いてる! ……招待状みたいなんだけど」
そう言ってサトウ帽子屋共同オーナーの
―― どれどれ?
妹の身振りから異変を察して、アトリエから出て来た
広報や宣伝、自店の照会関係は一華が任されている。兄の漣は帽子制作一筋というわけだ。
☆コンペティションのお知らせ☆
このたび神戸市と神戸市の観光協会、及び商工会の協賛を得て、
下記のイベントを実施する運びとなりました……
「服飾はもちろん、靴・鞄・財布……ネクタイや靴下、宝石まである! ファッション関係それぞれの部門でテーマを決めて港町・神戸市のイメージを一層輝かせる製品の展示会&コンテストをやるそうよ。
〈失われた帽子〉
「うわぁ! 面白そう!」
叫んだ後で一華はキュッと口を
「いえ、えーと、企画としては面白そうと言っただけよ。テーマの選び方が中々ロマンチックだわ。〈失われた帽子〉……失くした帽子……失った帽子……それをイメージする帽子ってことかしら?」
―― そうみたいだね。
いつになく棘々しく(と妹は思った)兄の指が動いた。
―― だが、僕は興味がない。辞退すると返信しておいて。
くるりと背を向けてアトリエに戻って行った。
「まぁ、わかっていたけどね」
ひとり呟く一華だった。
兄がこの種の企画――要するに〝競い合うこと〟を好まないのは重々承知している。
ザンネン。いい宣伝になったのにな。別に賞を取るとか、そんなんじゃなくて、参加するだけでもこのサトウ帽子屋の名を憶えてもらえる機会なんだけどなぁ。
何より兄の作った帽子を一人でも多くの人に見てもらいたい。それが妹のイチバンの想いだった。
( だって、本当に素敵な帽子を作るんですもの、漣にいさん……! )
この心優しい妹の声をファッション界の妖精が聞きつけたに違いない。というのも――
数日後。
カララン……
サトウ帽子屋のドアベルが鳴って、入って来た人物は少々普段の客筋と違っていた。
ここで特筆。サトウ帽子屋の来店客は、やはり圧倒的に女性が多い。お洒落に敏感な若い娘さんから、熟年層までしっかり確保している。開店以来の贔屓客では男性もいるのだが、今後少しづつでも男性、それも若者層を開拓していきたいというのが経理・広報を担当する一華の野望だった。今入って来たのはまさしく その願いに叶う20代~30代と思われる男性だった!
長身で痩せ形。いかにもIT企業勤務という風貌。コットンジャケットに細身のパンツ。先のとがった靴。お約束のように首にはマフラーをグルグル巻きつけている。好みではないが、この場合、恋人選びというわけではないのでそこは
「いらっしゃいませ! どんなお帽子ををお探しですか? どうぞ心行くまで店内をご覧になってくださいっ!」
客は片手を挙げて微笑み返すとゆっくりと店内を回遊し始めた。
その時間があんまり長かったので、あれほど前のめりになっていた一華が客の存在を忘れかけたほどだ。
「あのぅ、すみません」
「きゃあ!」
いきなり声をかけられて一華は吃驚して叫んでしまった。
「――あ、失礼しました。ごめんなさい!」
「いえ、こちらこそ驚かせてしまって申し訳ない。僕はこういうものです」
そう言って差し出された名刺には――
Poisson bleu CO❜Ltd.
イベントプランナー
「……」
「そこにあるように、僕はイベントプランナーをやってます。先日こちらへもお送りした、神戸市協賛のファッションイベントに係っている者です」
「あ! あのテーマ別参加企画の?」
一華は神妙な口調で、
「でも、当店は辞退申し上げたはず――」
「だからです! こうして直接足を運ばせていただきました。ぜひ、サトウ帽子屋様には参加していただきたい。僕のリサーチでは物凄く人気なんですよ、こちらの帽子!」
「ありがとうございます」
「参加を辞退された理由は何なのでしょうか? よろしければその理由を教えていただけませんか? 企画担当責任者として、こちら様、サトウ帽子屋様が参加できるよう極力努力したいと思っています」
―― 理由は簡単です。
「にいさん――」
背後のドアが開いてアトリエから漣が出て来た。どうやら先刻より店内を見渡せる小窓から様子を覗っていたようだ。
「あ、紹介いたします。こちらが当店のオーナーであり帽子製作者の
ご夫婦ですか? とは訊かれなかった。鳥住駿輔のリサーチは完璧らしい。
「はじめまして。鳥住と申します。お見知りおきのほどを」
帽子製作者にも改めて名刺を渡しながらイベントプランナーは言った。
「あなたのおっしゃる〝簡単な〟理由を、ぜひ、お聞かせください」
―― 僕は、帽子は実用品だと思っています。かぶっていただいて初めて完成する。飾られている帽子は未完成品なんです。ですから、美術品のように展示されるのには違和感がある。まして、どれがいいか、競争するのはいかがなものか……
「なるほど、なるほど」
鳥住は真剣な表情でうなずいた。
「ご意見は尤もです。でも――見てもらわなかったら帽子だって永遠にかぶってくれる人と巡り合えないでしょう?」
―― !
帽子視点?
流石、ファッションの妖精が遣わしただけのことはある。このイベントプランナー中々の論客である。
「この素敵なお店に飾られている帽子と、イベント会場で展示される帽子と、どこがどう違うというのでしょう?」
―― それは……僕の店を訪れる人たちは帽子を探してやって来られます。
「いや、フラッと扉を開けて入って来られる人もおられるはず。素敵な
そういう機会を僕は提供したいんです。いかがでしょう? お考えを変えていただけませんか? 僕の企画した会場に、ぜひ、あなたの――このサトウ帽子屋様の帽子を並べていただきたいな!」
鳥住は続けた。
「イベントを盛り上げるための人気投票やアンケート、金銀銅など各賞を設けるのはこの種の企画の
まぶしそうに目を細める。
「あなたが帽子を作るように」
ここまで言って、鳥住駿輔はいったん口を閉ざした。ゆっくりと店内を見回してから、再び話し始める。
「残念ながら、僕は不器用で幼稚園からこの方、工作や家庭科のクラスでまともなモノを作ったことがないんです。ものを作れる友達がどんなに羨ましかったことか! だから、この業種を選んだんです。この業界にいるんです」
イベントプランナーは両手を開き満面の笑顔で言った。
「この仕事に就いて、僕は初めてモノを作ったんです。モノを作る喜びを味わっているんです。僕の作る作品は目では見えませんけどね。小さな溜息や瞬きひとつでもいい。イベント会場にやって来られた人たちのさざめき……それが僕の創作物です」
漣の名と連動する〝さざめき〟というコードを使ったのは単なる偶然かもしれないが。
「どうです? ぜひ、参加していただけませんか?」
パチパチパチ!
思わず妹は手を打ち鳴らした。
拍手した後でハッとして兄を振り返る。兄の繊細な白い指が紡ぐ〈返答〉を息を止めて見つめた。
兄、サトウ帽子屋帽子制作者・佐藤漣は言った。
――わかりました。あなたのおっしゃる通りです。僕は心の狭い考え方をしていました。お恥ずかしい限りです。イベントに参加させていただきます。
「きゃあ! そうと決まったら――製作開始よ! テーマにあった帽子を考えなくっちゃ!」
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