第6話 懐かしい帽子3

「生意気言うようだけどさ。僕、今回ばかりはれんにぃの〈完敗〉だと思うな」


 そうは言う。

「漣にぃの帽子はサイコーだけど、今回は注文主を喜ばすことはあきらめたほうがいいよ。無理だよ。だって、思い出にはかなわないもの」


 ――!


「僕は思うんだ。どんな素晴らしい帽子を作っても――」

 ここで弟は、作業台に置いて兄がずっと見つめていた写真――新田正一郎にったしょういちろう洋子ようこの婚約記念写真――を手に取った。

「この日、この人がかぶってる帽子にはどんな帽子も敵わない。何故って? 再現できないからだよ。この数年間、おばあさんが贈られ続けた帽子をかぶろうとしないのは、つまり、そういうことじゃないの?」


 どんなに完璧に模倣しても懐かしい思い出の帽子にはなれない、代われない。

 帽子の後ろのデザイン云々の問題じゃないんじゃないかな?

 愛する人と未来を夢見てその日見上げた空の色、風の匂い、木々の輝き。贈られた帽子はその全ての色と匂いに染められている。

 どれほど時が流れても、決して色褪いろあせない鮮明な青。世界に一つだけの思い出の青。


「僕が言いたいのは」

 弟は大きく息を吸い込んだ

「だから、無理をしないでってこと。たとえ漣にぃの真心を込めた帽子をこのおばあさんが拒否してもガッカリしないでよ? ―― うぁ!?」

 颯が叫んだ。漣がいきなり抱き寄せたのだ。


 ―― ありがとう、颯! おまえはサイコーの弟だよ。



 ―― おまえが我が家へやって来た日を俺は憶えているよ。


 大震災から立ち直った人工島ポートピアの総合病院から大切な宝物のように母に抱かれて届けられた、あの日のおまえ。

 ああ! 本当に! 最高の贈り物だった!

 くしゃくしゃの顔で、俺にそっくりな髪の色で……!


 兄は言う。


 ―― 颯、おまえの名は風……全く、な!


 俺に千の風を吹きよこす。俺を揺すぶり、目覚めさせる……


 ―― これからも、よろしくな?


「な、なんだよ、もう! 改まって、照れるじゃないか! てか、こちらこそ、よろしくなっ!」




 思い出には代えられない、思い出の色には敵わない。

 思い出の色は永遠……


 であるならば――






「我儘を聞いていただきありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。帽子を注文する時、最大級にワガママを言ったのは私の方ですもの」


 サトウ帽子屋共同経営者オーナー一華いっかが頭を下げたのは、出来上がった帽子を渡す際、自分たちも立ち会いたいと申し出たためだった。

 注文主の新田七穂にったななほは快諾した。今年は母が別のプレゼントを用意したせいもあり、記念日のパーティ前日に七穂の祖母への贈り物〈懐かしい帽子〉はサトウ帽子屋兄妹手ずから届けることとなった。

「無事出来上がって良かった! どんなお帽子なのか、凄く楽しみにしていたのよ」

 青い渡り廊下を抜け、祖母の部屋へ飛び込む。

「おばあ様! 帽子屋さんがいらしてよ! 記念日には一日早いけど、どうぞ受け取って。おじい様がプレゼントしたあの日の、懐かしいお帽子よ!」

 ベッドに上半身を起こして座った新田洋子にったようこ老婦人。進み出て、婦人の横に箱を置き、漣は帽子を取りだした。


「あ」


 傍らで見守っていた七穂が小さな叫び声を上げる。

「どういうこと? これ、違うわ!」

 矢継ぎ早に叫んだ。

「こんな帽子を私は注文していません! なんてこと? こちらの要望をちゃんと聞いてくださらなかったのね?」

 令嬢の顔色が変わっていた。

「ふざけていらっしゃるの? あんまりです! これはないわ……」

 七穂が激怒するのも当然だった。目の前の帽子は、形は写真どうりだが色が違った。肝心の色が違ったのだ。


 それは、淡い水色だった……!


ひどい! あれほど色はコバルトブルー・・・・・・・だと言ったのにっ!」


「……まっ……て……」


 老婦人の声。

 かろうじて動かせる左の腕を伸ばす。 


「……わたしの……ぼうし……」  



 ―― 被ってごごらん! ああ、なんてよく似合うんだ!

    思った通りだ! この色は君の色……!



 夫人は帽子を抱きしめた


「あのひの……おぼうし……」







 ―― 事前に説明せず申し訳ありませんでした。でも、僕自身どういう結果になるか全くわからなかったのです。ですから、実物をご覧いただいてご意見をお聞きしたいと思いました。


 暫く後。

 帽子を胸に抱いたまま眠ってしまった老婦人を介護人に託して、一同は応接室に移動した。

 その場所で漣は注文主に説明した。


 ―― 思い出には敵わない、同じ帽子は作れない、と言う弟の言葉で気づきました。その通りだ。完璧な帽子の再現が無理なら、完璧にこだわらず、少しでも〝近い〟帽子を作ってみよう。そう考えた時、思い出したんです。


「色彩について服飾専門学校で教わったことを思い出した、と兄は申しています」

 兄の指先を見つめながら淀みなく一華が説明する。

「色彩?」

「人は年齢を重ねると見えにくくなる色があるらしいのです」

 これは網膜内の色を識別する部分、錐体の細胞の劣化が原因している。その結果、色調の濃い色ほど見えにくくなる――

 ユニバーサルデザインに置いてはしっかりとその点に注意が払われている。

 例えば公共の場所、駅の階段など、年齢を重ねた人が段差を見極められるよう、コントラストがはっきりした組み合わせで色が塗られるのだ。緑/白、青/黄色と言うように。

 また、青味の強い色ほど違う色に見える。


「コバルトブルーは濃いグレイ、または黒に変換されるそうです。ひょっとしておばあ様もそのように見えておられるのでは?」


 ―― それで、僕は〝本物の色〟ではなくて、思い出の色に〝近い色〟を採用したのです。



 時に目は嘘をつく。

 でも、思い出は永遠……




 数日後、新田七穂から送られてきた礼状には、家族に囲まれ、記念日の花束を胸に抱いた満面の笑顔の老婦人の写真が添えられていた。勿論、頭には漣の作った帽子が乗っている。

 遠い日の婚約者の感嘆は真実だった。銀髪の髪に青い帽子はとても、とても似合っていた。








        第二話 《懐かしい帽子》 ――― 了 ―――



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