数学の登り方

 ごきげんよう。今回は数学の学び方の私見をつらつらと書いていく。私見なので他の人がどう思うかによって見方が変わるかもしれないので、万人に共通して言えるアドバイスができないかもしれない。だが、私がここ2年間分かったことを書くつもりだ。

 さて、まずタイトルの説明からしよう。登り方と銘打っているのはわけがある。それは数学をプレイするということは山登りとボルダリングを一緒にするようなものであると合っても過言ではない。

 山登りは文字通り山を登るスポーツだ。これを数学に置き換えると、定義を学んでいくことに等しい。先人たちが切り開いていった山道を自分で歩いて行き、どういう道順で切り開いていったのかを知っていく作業だ。この作業は辛い時もあれば楽しい時もある。険しい道もあれば風景が綺麗な道がある登山と同様、理解するのに辛いところもあれば、理解して楽しくなるところもある。だから、すごいいい景色を見れる時もあるから、数学は面白い。どう面白いのかというと、最近では数学の集合かな。数学の集合の説明でこういう説明書きがあった。

「今の集合はすべての数学に通ずるところがある。」

 今でつながっていなったものが繋がる瞬間だった。なぜなら、様々な分野が独立しているのではなく、すべての物がひとつの地盤のようにつながりを見せているところだ。つながりがあれば、さまざまなことがわかるのだ。仮に、ひとつの問題に行き詰まっても集合の理論に戻ればわかるといった具合に、ひとつの帰着点を作ることができた。これによって、かなり面白味が増してきた。だから、数学の理論を学ぶのが面白いのだ。

 ボルダリングは、これはいわゆる問題を解く手順に似ている。私は数学の理論を全部暗記すると、問題の解答を見る。ただ読んで覚えるのではない。定義を武器にしてその問題を攻略していくのだ。この時、最初にどこを足がかりにするかがとても重要だ。

 どう重要なのかというと、初めて見る真っ平ら壁を思い浮かべくれ。どこから登っていいのかわからず、普通なら途方に暮れる。だが、その中にもかすかに登れるところがある。それを探すのが数学の問題の解き方なのだ。僅かな登り口さえわかればあとは登っていける。そんな不思議なものなのだ。 

 数学は無機質な物だと考える人もいるであろう。小説のように情緒があるわけでもなければ人が動いて楽しませるわけでもない。だが、数学にも美しさがある。様々な物語があり、先人たちが必死に築き上げてきた美しさがある。

 しかも、日本人は江戸時代では数学をするのがブームだったと聞いている。日本には西洋の数学が入ってくる前に和算というものがあった。これは、日本独自の数学でヨーロッパでは開発された微分積分から、12次方程式、行列までが開発された。そして庶民も数学を楽しんでいたのだ。

 江戸時代の人に楽しめたのだから、我々にできないことはないと思う。

 もし、今たじろいでいる人がいたら、一度でいいから登ってみてください。綺麗な景色が待っているはずです。

 では、次の解までごきげんよう。

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数学徒然なるままに 数学か物理か小説か @kumagai234

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