第150話 芸術とは、そんなに崇高なモノだろうか - あいちトリエンナーレ
芸術とは、そんなに崇高なモノだろうか。
そして、芸術を行う者に特権がある訳ではない。
それは、本来、芸術(芸術思考とその表象)は無くても、とりあえず、日常は成立する。
そして、芸術だから、何をやってよいという事ではない。
展示発表以前に、その閾線がどこにあるのか、表現者のインテリジェンスをどこへ置くか、そのポイントは大きいだろう。
芸術に、例えば、政治的な解釈まで取り込んで、現在進行形の政治的な意味解釈からの双方の感情を呼び起こす。その意味解釈は、(1)そのまま受け取るか、また、(2)受けて側での多様な解釈を求められるか、の2通りのように感じるが、実際、それは受け手には同じ事となるので、後者の1つだろう。
作者の勝手な意味論も受け手によっては、ただの暴力的な解釈かも知れない。もし、それでも、そのアートにそれほどの大きな意味論があるのであれば、尚更、芸術の暴力は許されない。そんな事で、人の心までも傷をつけることは、許されない行為だからだ。
芸術を芸術を行う者(表象者)から切り離して考えても、芸術とは、そんなに崇高なモノだろうか。
多様な解釈があるが、美術評論家や、その関係者とは何だろう。
誰しも、芸術に対して、偉そうなコメントは聞きたくもないだろう。
#2019 あいちトリエンナーレ
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