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――真っ暗だ。何もない。
亜紀は深い闇の中に佇んでいた。いや、厳密にいえば漂っているが正しいだろうか。
奈落に引きずり落された亜紀は、その悪意と狂気、負の感情に満ち満ちた空間の中でバチカル自身の意思により張られた結界の中で眠っていた。
悲しい、悔しい、憎い。殺したい、陥れたい――なんて醜悪な世界だろうか。
十年前、核に見初められ第一皇帝と番人総帥の地位を与えられてから常に強くあろうと生きてきたが、流石の亜紀もこの空間は精神的に堪えた。
不安因子は全て排除してきた。何でも一掃してきた。
御影に関するものは何でも逃さなかった。
どんなに残酷で、悪魔と罵られようが喚かれようが、それが亜紀の存在価値であり、上に立つ者の宿命だった。それを分かっていてこの道を選んだのだ。
だがまさか御影が対亜紀用の悪魔を従えているとは思わなかった。
アバドンは十大悪魔同様認められた器でなければ従えることができない。法を布き人々を守るどころか傷つけ、殺すことしか考えていない人間になど到底操れるわけがなかったからだ。
――まぁ、そこが亜紀の……APOCの最大の見誤りだったのだろう。
「なんてザマだよ、悪魔と言われるアンタが」
亜紀は男の嘲笑を捉えた。声の主が誰かだなんてすぐに分かった。
「アバドンなんてものにあっさり力を封じられる腰抜けに言われる筋合いはない」
「それを言われると耳が痛いな。」
亜紀の嫌味など痛くも痒くもないのかカラカラと笑うバチカル。それが妙に癪に障る。
「いいアイボウを持ったじゃねぇか」
相棒――蒼斗のことを言っているのだろう。
亜紀は眉間にしわを寄せた。
来るなとっても言うことを聞かずに身一つで追ってきた飼い狗。触れた手が震えていたのを思い出す。
怖くてたまらないはずなのに、自分を離すまいと抱きしめた愚か者。どうしてAPOCの人間は言うことを聞かない反抗的な人間ばかりいるのだろうか。
亜紀は蒼斗とアバドンの会話を聞いていた。自分のことを知ったように――と悪態をつきたくなった。
けれど、あながち間違っていなかった。
「アンタへの忠誠心が、隠された死神の覚醒を促した。嬉しい誤算だった」
「ふん、理不尽しか与えていなかったはずなんだがな」
ペンタグラムに来てからの蒼斗の動力源は、常に「近衛静」にあると思っていた。
彼女への想い一つでどんなに腰抜けでも一変する。見ているこっちが呆れるほどに。
辰宮がある時、こんなことを言っていた。
――蒼斗君の中には近衛さんへの愛しかないみたいで、少し妬けますね。
蒼斗はオリエンスの中で自分の存在価値を過小評価していた。誰にも受け入れられない、不必要な存在だと。
その中で受け入れてくれた近衛に全面の信頼と愛情を置いた。
桐島祥吾という義兄がいても、蒼斗は近衛を選んだ。――何故?
ここまでいけば単なる自己満足としかいえない。
だって、彼は自分の感情を全面に出すだけで、近衛がどう思うか考えていない。
重すぎる情は身を滅ぼしやすい。
「――そろそろ、潮時だな」
「マジかよ! よりにもよって近衛静をか!」
呟きにも似た亜紀の一言を聞き逃さなかったバチカルは声を上げて笑った。
「言っただろう、不安因子は少しでもない方がいい」
「本当に悪魔だな、アンタも」
「そんな俺を、お前は選んだんだろう」
「違いない!」
「……それよりも、早く俺を動けるようにしろ」
既に蒼斗たちは先に亥角の元に向かっている。こんなところで休んでいる時間など一秒たりともなかった。
だが現実、奈落の中で吸い取られた体力は回復の兆しもなく、指一本動かすことすら出来ない状況。
「アンタはとことん自分を大事にしないな……で、何を差し出す?」
バチカルの空気が変わった。
悪魔との契約には対価が伴う。
「アンタは十分にイイものをオレに差し出した。それ以上に何をくれる?」
「お前が望むもの何でもだ」
「……へぇ?」
「俺にはお前とこうして無駄話をしている時間はないと言っただろう。目玉でも心臓でも何でもくれてやる。――だから、早く俺をアイツらのところに行かせろ!」
亜紀の怒声が木霊する。
数拍静寂が広がり、やがて亜紀の目の前にバチカル本体が姿を見せた。
「愚かな人間よ。――なら、望み通りオレが望むものを差し出してもらおうか!」
嬉々とした咆哮。
亜紀はその禍々しい姿に、悪魔も恐れるくらいの笑みを浮かべた。
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