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「……私の望みは世界の安寧と繁栄、人々の無益な血を流すことのない平穏な生活――お前のような外道なんぞに、叶えられるものではない」


 亥角の目を細め恭しく姿勢を低くしていた態度は一変し、人間味を感じさえない瞳が寸分の狂いもなく狙いを定めた。その瞳の奥に色はない。


 御影が彼の言葉を理解するのにそう時間はかからなかった。

 獣染みた漆黒の瞳が玉座から重い腰を上げかけた御影を見据えるや否や、御影の身体は宙に投げ出され、階下に落ちた。


「随分とふざけたことを言ってくれる。戯言はそこまでにして貰おう」

「っ、亥角……貴様――!」


 冷笑を浮かべ、好意的な態度からゆらりと敵意を剥きだしにした亥角。

 御影は打ち付けた身体の痛みに耐えながら、ゆるゆると階段を下りて来る姿を恨めしそうに睨み付けた。


「貴様……我を裏切るというのか!?」

「裏切る? はっ、冗談はそこまでにしてくれ。私はお前のためになど働いたことなど一度たりともない。全ては一族……自分のためにしたこと。お前は十二分に役に立った」


 頭を打って怯んだ御影の衣類を見ると、亥角は鬱陶しげに足で踏みにじり、言葉を吐き捨てるように発する。


「人々が血の滲む思いで労働する一方で、お前はただ息をしているだけで高級物を身にまとっている。――だがお前の身を守ってくれないものなど、この場ではただの無価値な布きれにしか過ぎない。哀れなものだ」

「亥角……貴様、何故!?」

「ふん、何故だと? それはお前がよく知っているはずだ。お前は蒼馬覚醒前の蒼斗を陥れ捕縛し、殺そうとしただろう」

「それがどうしたというのだ! 葛城の血を継ぐ者が周りにうろついてみろ、我の命は危うい。先手を打って始末しようが我の勝手だ!」


 御影の口走りは亥角の怒りを買った。

 次の瞬間には、長い足が御影の腹部を蹴り上げ、何度も撃ち込まれた。

 御影は葛城家を恐れるその慎重さゆえに玉座の間に衛兵も誰も寄せ付けない。

故に、この場には彼と、この計画に手を貸していた亥角しかいない。いくら助けを求めようとも、滅多に届くことはない。




 ――踵を鳴らして近づく足音が木霊した。


「亥角さん!」


 大理石の床を駆け、ガラス張りの高い天井が伸びる玉座の間に辿り着いた蒼斗。そのあとに瀬戸らが続く。


「貴様は……っ、葛城……!」

「見なよ、工藤蒼斗。君のかつてのご主人様が無様な格好をしているよ」

「王……!」


 目を見張る御影を顎で指す瀬戸の視線を追い、蒼斗は前を見据えた。亥角の足元で床に這いつくばる彼のきらびやかな服はすっかり汚れきってしまっていた。


「あぁ……来てしまったんだね、蒼斗」


 亥角は愁いを帯びた瞳で蒼斗を見つめた。それから御影の頭に足を乗せ、口を開いた。


「はじめまして、かな? 私は亥角愁。こんな形で会うなんて、とても残念だよ」



 御影に手を貸して最期の審判計画を遂行することを目的としていたはずの亥角の行動。誰もが戸惑いを隠せなかった。


「あなたは御影側についたはずじゃ……?」

「私がこんな下衆と? よくそんな冗談が言えたものだ。コイツさえいなければ、世界は狂蟲に汚染され、十年経った今、APOCの捜査官たちが命を懸けて陽の当たらない裏の世界で異形を狩ることもなかった。私たちも、終わりのない悪夢を見続けることもなかった」

「私、たち……?」


 眉間にシワを刻み、肩を竦めてみせた。

 亥角は呻きを上げる御影を、汚いものを見るような蔑む目で見下した。その目は亜紀が時折見せる嫌悪の眼差しと同じ光を放っていた。


「終わりのない、悪夢?」



 ――では、亥角の真の目的とは?



「私がすることはただ一つ。全ての元凶であるコイツを滅ぼすこと。血筋一つ残さずにね。そしてこのオリエンスを抹消し、世界の再生を促す」

「滅びと再生……っ、そんなことをしたら、狂魔になって僕でもあなたを救えなくなってしまいます」


 確かに御影のしてきたことは極悪非道で、許されることではない。傘下にいた蒼斗ですら彼の行動に疑問を抱いていた。

 だが御影をオリエンスごと破壊することは間違っている。蒼斗は刺激しないよう説得を試みた。


 亥角は長い間オリエンスに出入りし、大量の狂蟲を体内に蓄積させている。故に少しでも浸蝕が悪化してしまえば狂魔に堕ちてしまう――蒼斗はそれを恐れたのだ。


「私が狂魔、ねぇ……それはないよ」


 亥角は顎に手を当てて嘲笑を浮かべた。



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