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「亜紀さんは誰よりもこの国のことを考え、苦しんできた。例え、それが恨まれる結果を招くと分かっていても、自分の信念を犠牲に、多くの人を救おうとしてきた。常に皇帝として、APOCの総帥として強くあろうとした……御影の手から守るために、先導者としてあろうとした」


 ――突然、蒼斗の脳裏に注ぎ込まれる記憶。同時にグローブ下の手の痣が疼き、強く反応する。


「僕が亜紀さんを助ける理由? そんなの、決まっている」




 ――すべては安息の地の為に。


 ――悪しきものを薙ぎ払うため、蒼白の刃は弧を描く




「そんな亜紀さんが好きだからだ!」



 振り下ろした青い刃が、色濃く染まる。同時に蒼斗の手の痣が色濃く浮かび上がる。

 何事だと異変に気付く頃には、亜紀の身体に巻きつく鎖が一瞬で砕け散った。


「ハッ、このガキ……覚醒しやがった!」

「亜紀さん!」


 解放された亜紀の身体は氷のように冷え切っていた。

 絶対に離すものかと掻き抱き、込み上げる涙を、唇を噛むことで堪える。それから現界にいる瀬戸に引き戻してもらうよう、青い糸を小刻みに引く。


「……ん?」


 しかし、現界からの反応は一切ない。

 ヒヤリ、と悪寒がした。

 下から聞こえてくる、ジャラジャラという金属がぶつかり合う音を合図に、蒼斗は急かすように勢いよく糸を何度も引く。


「彦さぁああああん!! 早く糸引いてくださいってばああああ!!」


 勢い良く伸びてくる鎖を視界に捉え、ついに蒼斗は悲鳴を上げた。

 まるで生き物のようだ。蒼斗は亜紀の身体をしっかりと抱え直し、再び拘束しようと伸びる鎖を斬り砕いていく。


 されど、何度破壊しようが鎖の数は無限に存在し、勢いを増していくばかり。このままでは蒼斗の体力は無駄に削られ、共倒れになるのが目に見えている。



「ジリ貧かよ、情けねぇな」


 嘲笑が響く。


「ちっとカッコいいこと吐いたと思えば、みっともねぇ声出してんじゃねぇよ」

「バチカル!」

「次の一振りでいい、もう一度あの鎖を一掃できるくらいの力を出せ」

「え?」


 有無を言わせないバチカルの命令。どういうことだと訊ねる前に、蒼斗は目の前の人の顔にも似た、鎖の集合体に奇声を上げた。



 ええい、どうとにでもなれ! 



 半ば自棄になり、真横に鎌を振り切る。

 青い閃光とともに、鎖は欠片に成り果てた。力の配分ができず、蒼斗はだらりと鎌を持つ腕を垂らし、脂汗を滲ませた。


「上出来だ」


 ふと、亜紀の青い糸が引かれるのに気付いた。

 同時に、亜紀の身体から赤い光が膨らみ、バチカル本体が姿を見せた。十本の頭が何とも恐ろしい。


 頭の内の一本が、蒼斗の襟元を、猫の首の弛みのように摘まむ。

 何が起きているのか呆然とする蒼斗を他所に、バチカルは青い糸を辿り、現界へと飛んだ。


 進んでいるのかは、やはり目では確認できない。

 けれど、背後から追ってくる鎖との距離が縮まらないことから、小さな希望を抱くことができた。


「……すご、い。これが、バチカルの力……っ」


 首だけ見上げ、改めて蒼斗は、バチカルのその力の強大さを知らしめられた。同時に、これだけの力を持つ悪魔が何故亜紀と契約をしたのか気になるところでもあった。

 バチカルも恐らく、亜紀の信念に惹かれたのだろうか。それは蒼斗の知るところではないが。



「抜けるぞ」



 間髪入れず、パリンとガラスが割れるような音が耳に届く。

 付き纏う重々しい空気も、幻聴も、息苦しくもない。肺に飛び込んでくる冷たい酸素の感触に一瞬戸惑い、咳き込む。



「蒼斗君、亜紀!」

「うはぁ……悪魔の一本釣りなんてしたの初めてだよ、僕」


 重力で首が絞まる。

 襟元に指二本差し込みながら下を見下ろすと、千葉、そして首輪を鉄パイプに巻きつけ、釣竿のように持っている瀬戸を確認。


「良かった……戻って、これた。――ていうか、彦さんのその謎の釣竿のせいで酷い目に遭ったんですけど」

「人に押しつけておいてよく言うよね、工藤蒼斗。亜紀を寄越して地獄に堕ちろよ」

「亜紀さん助けたの僕なんですけど!」



 地上に下ろされた蒼斗は、未だ眠ったままの亜紀の口元に手を運ぶ。

 呼気が指先にかかること、血色が戻りつつある肌で生きていると実感。


 安堵と開放感のあまりに全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。本当に、死ぬかと思った。


「……ありがとう、バチカル。アンタのお蔭で、僕たちは助かった」


 亜紀をそっと支えながら、頭を下げる蒼斗。

 ゆらゆらと十本の頭は動揺しているのか各々蠢き、その内の一本がそっぽを向く。


「悪魔に礼を言う死神なんざ、聞いたことねぇよ」

「僕はそういう死神なんです。アンタがいなかったら、亜紀さんも、僕も……地獄にいた。本当に、ありがとう」

「……オレは、皇なしに好き勝手に動けねぇ。だからオレは、自分自身のためにしただけにすぎない。お前はついでだ」

「それでもいい。アンタが助けてくれたことには、何一つ変わりないから」

「……もういい、オレは疲れた。お前の魔力をもらったとはいえ、正直限界だ」

「は、僕の魔力?」


 バチカルは諦めたように首を振り、姿が半透明になり始めた。


「前に皇が言っていただろう? 皇はオレとお前と二重契約を交わしている。つまり、間接的にオレとお前はパスで繋がっている。だから皇に代わってお前の魔力をもらったんだ」

「そんなことが……つまり、僕があなたを使役したってことですか?」

「その言葉は少々語弊があるが、まぁそういうことだ」


 アバドンの鎖に力を吸収されたことや、さらに現界に出るために力を絞ったこともあり、労力の消費が激しかった。

 流石の大悪魔も、もう現界に姿を保っていられるほどの力は残っていないようだ。


「皇は奈落向こうにいたことで、肉体的にも精神的にも、オレ以上にダメージが大きい。生きて帰れたら、休ませろ、いいな?」



 それと――



「皇のことは任せたぞ、あお……二才」

「あ、青二才!?」


 半人前と大差ないだろう!と、反論するが虚しく終わり、バチカルは完全に消え、空気が米の粒ほど和らいだ気がする。


 ――兎にも角にも、亜紀が助かって、本当に良かった。



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