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 アバドンは亜紀を見下ろすと醜い貌を愉快そうに歪め、両手を翳した。


「亜紀さん――!」


 地から黒い鎖が伸び、亜紀の身体を捕捉しようと襲いかかる。

 不意を突かれた亜紀は素早くバチカルの力で一掃しようと剣を振るうが、力を使えば使うほどその鎖の数は砕けた鎖を中心に増殖を繰り返し、ゆっくりと身体を拘束していく。


「この……っ!!」


 完全に動きを封じられた身体は地面に叩き付けられる。その拍子で剣は粒子となって消え、銃も手元から離れる。

 力を使う度に白い蒸気が音を立てて湧き上がる。焼けるような痛みに堪え切れず、亜紀の口から呻き声が漏れる。


 鎖を断ち切ろうと力を振るおうとすれば、火花が激しく散って亜紀の全身を痛めつける。

 御影は苦悶に歪む亜紀の表情に甲高い声を上げて笑った。


「いい様だなぁ、悪魔!」

「何故……、お前がそれを……っ!」


 御影が手にしている書物――それは対上級悪魔封印術、アバドンの鎖を呼び起こすための術書。

 アバドンは奈落の王と言われ、悪魔を千年は封じることができると言われている。

 バチカル、否亜紀にとって天敵だった。


「唯一厄介な貴様に対抗する術を我が持っていないとでも思ったか! 悪魔は悪魔らしく奈落に堕ちるがいい!」


 並大抵の力では扱うことができないその鎖を、御影が使いこなしている。

 亜紀だけでなく蒼斗も理解できなかった。彼がそれほどの魔力を持っているなど到底考えられなかったのだ。


 一刻も早く救い出さねば……!!


 苦悶の表情を浮かべもがく亜紀の傍に駆け寄り、拘束する鎖に触れれば、鉄板に素手で触れてしまった時と同じ痛みが走り、咄嗟に手を退けた。

 自分でこの痛みを感じるなら、亜紀は何十倍もの苦痛をその身に受けているのだろう――蒼斗は打ち震えた。


 だがただ指をくわえているわけにはいかない。

 亜紀を傷つけてしまわないよう注意を払いながら大鎌を振るい、鎖を砕いてく。蒼斗の努力も虚しく、鎖はより一層増え続け亜紀に狙いを定めていく。

 次第に刃が鎖に帯びた力に打ち負け、歯が立たなくなる。


「無駄だ。アバドンの鎖は貴様のような未覚醒の死神なんぞの力でどうにかなるようなものなわけがないだろう! この灼熱の鎖に囚われたものは、確実に光の届かない奈落――狂気の闇へと消える!」



 ――やはり死神として覚醒していないから……っ



「どきな、工藤蒼斗!」



 瀬戸と千葉の剣が亜紀の鎖を粉砕しても、その開放はほんの一時的にすぎず、破片から鎖が増殖してキリがない。

 最悪なことに、その増殖する鎖は亜紀に全て襲い掛かり、かえって亜紀を苦しめることになる始末。


「僕たちの悪魔でもダメなのか……!」

「そんな……っ」


 すると、地鳴りが聞こえた。

 間髪入れずに蒼斗と亜紀の間を裂くように地割れが起こり、亀裂から黒い煙が風にたなびく。まるで獲物をこちらに招き入れているようだ。

 それがとても恐ろしく、頭の中で危険信号がけたたましく鳴り響く――これは本当に、まずい。


「鎖がダメなら、本体を潰せばいいこと!」


 攻撃の矛先をすぐさま変更した瀬戸は、両足に強化詠唱を施し間合いを詰め、御影の心臓めがけて剣先を突き刺す。


「甘いわあああ!!」

「彦!」


 アバドンの結界が壁一枚のところで剣を阻む。

 盛大な舌打ちをしながら、防がれた反動で浮いた左手を咄嗟にホルスターに運び狂魔弾を撃ち込んでも効果はない。

 瀬戸のフォローで入る千葉もすかさず第二撃を繰り出すも、何処からともなく出現する狂魔が壁となって届かない。


 ――御影の守りは鉄壁だった。



「さらばだ、東崎!」

「っ、させるもんか!!」


 蒼斗は焼ける手も構わず鎖を握り懸命に引っ張る。

 このままあの中に引きずり込まれてしまえば、たとえ亜紀でも助からないだろう。


「蒼斗、もういい。お前の手が使い物にならなくなるぞ、離せ!」

「嫌だ!!」

「離せ!!」

「嫌だ――っ!!」


 どれだけただれようが構わない。

 目の前の命をみすみす失わせるなんて絶対にできない。


 けれど、無慈悲なことに鎖は蒼斗の両手を、亜紀の身体を蝕むだけで亀裂へと引きずり込み始める。



 ――助けられない? 僕が、力が足りないから……。



「いい加減諦めよ!」


 御影の鉄扇一振りで突風が吹き荒れ、蒼斗たちは壁に叩きつけられる。

 口内に滲む血の味を不快に思いながら、よろける。



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