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「……何、だと?」
「亥角さんは、こちらの人間ですよね? 僕を……僕を助けるよう亜紀さんに言ってくれた人が、亜紀さんたちの敵に回るなんてこと、ないですよね?」
亜紀は縋るような蒼斗の言葉に何も返さなかった。ただ眉間にシワを寄せ、難しそうな顔を浮かべるだけ。
何かを言って欲しくて蒼斗は亜紀の上着を強く掴んだ。
そして口を開こうとしたところで、亜紀はその手をやんわりと払い、徐に散らかった廃屋を出て行った。
「どうしたんですか、亜紀さん」
雑にドアを開き、満ちる月の光が地上を照らす光景が見え、開きかけた口は無意識に閉じた。
「これは……」
風に乗り、無数の花弁が飛沫を散らすかのごとく宙を舞う。
小さな花弁を手で受け止め、一体何処から流れて来たかと空を見上げる。
「綺麗だね、蒼君」
「うん……でも、凄く寂しく感じるかなぁ」
「そりゃそうだろうな」
蒼斗同様、花を手に乗せた亜紀は、空を仰ぎ呟くように言った。
「この花はシオン――追憶、君を忘れないといった意味を持つ別れの花だ」
「別れ……」
「どうやら、奴が言っていたことはあながち間違っていなかったようだ」
強い風に手の中の花がさらわれた。空に消えた花を見届けた亜紀の振り返った表情は、先程よりも険しいものだった。
「亥角は御影の核実験計画に一枚噛んでいる」
時が止まったような気がした。
絶望のどん底に叩き落された気分に、蒼斗は返す言葉が見つからなかった。
◆
奇跡という、実に抽象的な存在を信じる者は世界でどれくらいいるだろうか?
ある者は自らの手で導くものだと、ある者は信じることで神によりもたらされるものだと――そして、ある者は初めから仕組まれていたものだという。
蒼斗は病室の外から、幼い息子とその父親との再会を見守りながらそんなことを思い出していた。
つい数分前、あの場に自分が立っていた。
そして大倉の包帯だらけの力の入らない手に手を握られ、涙ながらに『ありがとう』と、言われた。胸の内がむずむずした。
ぼんやりと、回復に向かいつつある大倉の、祐樹を涙ながらに抱きしめる姿を見て考えた――自分も自分を探しているだろう家族と再会すれば、あのように強く確かめるように泣きながら喜んでくれるのだろうかと。
「良かったっスね、あの父子」
蒼斗の隣に並んで仲の様子を伺う奈島。後ろには隠すようにラッピングされた箱が持たれている。
「祐樹君にですか?」
「ま、まぁ……。ガキに物を渡したことなんてないから、どうすればいいか分からないっス」
「普通に渡せばいいんですよ。本によると、子供というのは直ぐに相手の感情が分かるそうですよ。純粋な奈島さんなら、大丈夫でしょう」
「じゅ、純粋ってどうことっスか! オレは泣く子も黙るSTRPっスよ!」
自分らしくないと自覚している上に、蒼斗に指摘されて顔を紅潮させる奈島。視線が定まっていないことから動揺しているのが明白で、蒼斗は少しも怖くなかった。
「そ、そういや新條の首が例の廃工場の冷凍室で見つかったっスよ。ご丁寧に電気システムを復旧させて部屋の中心においてあったっス」
「最後の最後まで残酷非道、加えて亜紀さん曰く下衆でしたね」
「部下が数人、吐いたっス。オレもしばらく……肉は食べられないっス」
「残念ですね、亜紀さんが事件解決祝いに焼肉に行こうと言っていましたよ」
「嫌がらせもいいところっス」
思い出しただけでおぞましいのか、奈島はこめかみを押さえ、前に身体が傾くのを壁に手をついて堪える。
きっと亜紀も彼らの状態を知っていての言葉だったのだろう。やることがえぐい。
「奈島さん」
「あ?」
「以前、車の中で言いましたよね、人は命を懸けてまで守りたいものがある、と」
「それがどうかしたっスか?」
蒼斗は幸せそうに話をする父子を見ながら、右手でガラスに触れた。
「僕は命を懸けてまで守りたいものがあることに理解が出来ませんでした……僕の頭の中は空っぽ同然ですから」
奈島は黙って蒼斗の次に発せられる言葉に耳を傾ける。
「でも、今回の事件を通して分かった気がします。地位でも名誉でもない……何にも代えることが出来ないもの――それは愛するものだと」
大倉はアストライアが悪用され、十年前のような悲劇を引き起こさせないよう……そして、大切なこの街と愛する我が子のために、どんな苦痛を与えられても必死で耐え抜いた。
――彼が、この街を救ったのだ。
「はっ、ならアイツはさしずめ……ゴミ溜めヒーロー、と言ったところっスか?」
「良いですね。祐樹君は立派なヒーローを父親に持ちましたね」
「くっさそうっスけどね」
奈島はおどけて軽く笑うと蒼斗に向き直った。大きな手が目の前に差し出され、蒼斗は何のつもりだと奈島と手を交互に見つめる。
「お前のおかげで事件は解決した……礼を言うっス」
「僕だけの力ではありません。経緯はどうあれ、APOCとSTRP――亜紀さんと奈島さんが協力し合った結果です。こちらこそ、ありがとうございました」
蒼斗は奈島の手をしっかりと取り、握手を交わす。
この仕事は身の安全の保障もなく、危険である。それでも、解決した時の解放感と充実感が、自分たちのしてきたことが報われたと実感させられて心地よいのだ。
「病室、行きましょうか」
「……いやっス!」
「はぁ?」
ドアの前で拒絶の声が聞こえ、蒼斗は拍子抜けして耳を赤くする奈島を振り返る。
「やっぱりオレにはこんな慣れないことは出来ないっス! オレの代わりにお願いっス!」
「え、ちょっと……奈島さーん!」
病院で走るなとナースに怒られながら、陸上選手も顔負けの脚力で廊下を疾走する奈島。その姿を呆然と見送り、蒼斗は強引に押し付けられた包装箱を見て思わず顔が綻んだ。
それからすぐに、奈島と入れ違いに見舞いの花を片手にやって来た東城に気付いた。
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