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蒼斗は血に塗れたその刃を太一に向けた。
太一は蛇に睨まれた蛙のように声を詰まらせ、表情を硬直させた。
「テメェ……簡単に人を殺せるようになったのかよ!」
「奴らは人から堕ちた狂気の塊。あなたもすぐにこの仲間になりますよ」
蒼斗はこの、という言葉を強め、大鎌の柄で血溜まりを指した。
「オレ様を……っ、オレ様を斬れば星妃も死ぬことになるんだぞ、いいのかぁ?」
「もう僕にそんな脅しは通じません。僕には……死神にはあなたの本当の姿が見えています――あなたは辰宮が病んで生み出した兄の人格ではない」
蒼斗の目に視えるのはただ一つの魂と――それに寄生した闇との境界線。
大鎌を大きく振りかざし、その魂に呼びかけた。
「辰宮、お兄さんを拒絶しろ」
「何を……!」
「幼かった君は、両親だけでなくお兄さんが死んだという事実と突然の孤独により心を病んだ。そして狂蟲化した辰宮太一が君の心の闇に寄生し、新たな人格を作り出した」
「馬鹿な! 人間が狂蟲そのものに変化するだと?」
「その影響で奴の――他の人格が植えつけられたというのか!」
まるで怨霊がとり憑くようなものか。予想外すぎる事実に誰もが目を見開いた。
「狂蟲の効果を知っていたのなら、自分の人格を他人の心の闇に寄生させることはできます。生みの親の一部でもある彼なら尚更」
だが、辰宮の人格は徐々に太一に支配されつつあり、ほぼ依存的にある太一の存在を拒絶するとは到底考えられない。
実際、太一は目を細めて笑うだけで彼女の人格が出てくる兆しは全くない。
「君は君自身を殺すのか? 私利私欲の為に罪もない人を殺し、その家族にさえも手にかけようとする兄に、君は自分の身体を捨ててしまうのか!」
蒼斗は拳を強く握って怒鳴った。
実の妹を道具のように利用し、あまつさえその身体を乗っ取ろうと図る太一に……そして心に隙を作り、利用しようとする兄に易々と自分を――全てを差し出そうとする辰宮に怒りを抑えることができなかった。
「……私には兄さんしかいないの」
「辰宮」
だらりと腕を垂らし、諦めたように目を伏せるのは妹の人格だった。
「両親が早くに死に、友達もいなかった私には……兄さんが唯一の生き甲斐だった。兄さんだけは私を一人にしなかった、愛してくれた」
「だから君は、両親が自らを犠牲にしてまで守りたかった君の命を簡単に捨ててしまうのか?」
「っ、それは……」
「君は何のためにAPOCに入ったんだ。一人でも多くの人を守ることだろう? その決意や、彼らが身を挺して繋いでくれた命の価値は、下らない兄の亡霊の野望と天秤にかけられるほどの程度でしかなかったのか?」
辰宮は言葉を詰まらせた。蒼斗はそのまま畳みかけた。
「戻って来い、辰宮星妃! 君は、自分を守ってくれた両親のために生き続けなくてはいけない。それが遺された者の使命であり、義務だ!」
「……っ、蒼斗、くん」
「僕を信じてくれ! もう、大事な友達を失うのはたくさんなんだ……!」
――私と友達になってくれない?
そう、不安そうに告げた辰宮の顔が忘れられない。
当たり前だと答え、握手を交わした時の、嬉しそうな辰宮の顔がとても印象的で、綺麗だった。
やっと得られた友人を、みすみす手離すことなんて、絶対にしてたまるものか。
やがて、太一は身体の異変に目を見開き、咄嗟に口を塞いだ。全身が震えだし、こめかみ付近が痙攣を起こし血管が浮かび上がった。
「がは……っ! バカな……星妃、自分が何をしようとしているのか分かっているのか!」
繋がれた糸が切れた人形のように床に両膝をつけ、身を竦め呻く太一。その表情は苦悶に歪み、脂汗が滲んでいた。
床を見つめたままの体勢で太一……辰宮は口を開いた。
「ごめん、兄さん……。私は……私はまだ死にたくない…死にたくないよぉ……!」
嗚咽混じりの辰宮の出した答えは心からの叫び声だった。
双眸からは涙が幾重も流れ、強く目を瞑って頭に響く太一の声を振り払うように何度も髪を振り乱し、首を横に振った。――それはまるで駄々をこねる子供のようだった。
辰宮は目を開き、汗と涙で濡れた顔で蒼斗を真っ直ぐ見据え、懇願した。
「蒼斗君……私を斬って!」
「おのれ星妃ぃ……兄であるオレ様を裏切るというのかぁぁぁあ!」
「あなたは兄さんじゃない……私の中に巣食う寄生虫……魔物よ!」
青い瞳が、辰宮の魂が闇から離れた瞬間を捉えた。
大きく一歩踏み出し、外から入りこむ光だけを頼りに闇の中に不気味に光る刃が辰宮に振りかざされた。
「お前の罪は、僕が狩り取る!」
全神経を大鎌に注ぎ、全ての力を絞り出すために無意識に息を止めていた。
ザクリと切り裂く音が耳に届く。滑り落ちるような粘着音が遠退き、詰めていた息が脳裏に過る安堵の勢いで漏れる。
蒼斗は床に倒れこむ辰宮と目が合った。彼女のその表情は解放感に満ち、ふと目を細めるとそのまま気を失った。
「星妃さん!」
彼女の無事に喜ぶ卯衣の隣には、太一に撃たれたはずの亜紀がいた。その左頬は少々赤い。
「亜紀さん、無事だったんですね! あれ、でも……」
「俺がこんなところで死ぬと思ったのか?」
「……いいえ!」
その手には銃弾がめり込んだ赤い防弾チョッキがぶら下がっていた。
蒼斗は潤む目元を片袖で拭って即答した。
「やれ、蒼斗」
腕を組んで銃を取る気配を示さない亜紀のその一声が静かな部屋に広がる。蒼斗は頷くと、宙に彷徨う異物に狙いを定めた。
「ヤ……メロ……ヤメロォォォォオ!」
「悪しき異物は僕が――死神がお前を狩り取る!」
青い瞳に燃える怒りの炎の威力は弱まることを知らず、蒼斗はそのまま全身の力を込めて大鎌を振り下ろし、異形を真二つに斬り払った。
断末魔の叫びが弾け、突風が巻き起こる。
亜紀と奈島は卯衣たちを庇って衝撃に耐えた。
「……!」
――嵐が去ったような静けさに亜紀は閉じていた目を開いた。
ひとり大鎌を消し、床に座り込む蒼斗の元に歩み寄った。動きを一切見せない蒼斗に違和感を持った亜紀は、力ない肩に手を置いて訊ねた。
「奴に何を言われた?」
「……自分の代わりは直ぐに現れる、と」
「ならば俺たちが叩き潰せばいい。例え誰だろうと――」
「彼は言ったんです!」
蒼斗は亜紀の言葉を遮り、吐き捨てるように言った。
「亥角は既に準備に取り掛かっている、と」
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