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――時計を見れば、もう昼食の時間だった。
先が暗い状況に気が進まなかったが、生理減少に逆らえなかった。重い足取りで、蒼斗は訓練所を後にした。
「……とりあえず、洗おう」
着替えを持ち歩くことを学んだ蒼斗は、隠してあった荷を取り出し、頭や顔を洗う。やはり季節的に水を被るのは辛い。
パーカーを着て上着に袖を通し、卯衣からもらったマフラーを巻く。
東崎家の匂いが鼻腔をくすぐり、家に帰りたくなった。けれど、午後は戦闘の訓練があるため、ぐっと堪える。
「頑張ってね、蒼君!」
そう、笑顔でマフラーを渡してくれた卯衣の気持ちを無駄にしたくない――蒼斗は、購買へと足を踏み出した。
――自信を奮い立たせた蒼斗は、先ほどの意気込みを撤回したくなった。
購買を覗けば、全ての店にシャッターが下ろされていた。横の貼り紙と時計を見比べるが、時間は十分に間に合っている。
背後のテーブルで食事をとりながら談笑する学生らは時折蒼斗を見てほくそ笑んでいる。
なるほど、食堂と結託しての仕打ち――死神に与える食事はないということか。
今更何を言おうが改善の余地はない。蒼斗は諦めて他に提供してくれるところを探しに行くことに。
「あら、営業放棄でもしているの?」
ガシャンと大きな音が食堂に木霊する。談笑する声はシンと静まり、金属音が余韻を残して消える。
「ねぇ、どうなの? それならSTRPに通報しないといけないんだけど……早く答えてくれる?」
――スタープ?
シャッターを盛大に蹴り入れる足はぐりぐりと中にいる職員を威嚇し、奥から悲鳴が上がる。
気配すら気づかせなかった存在に蒼斗は緊張し、息を呑み慌てて横を見やる。
初めに視界に留めたのは、金色の二本の尻尾――もとい、ツインテールを揺らした女。蒼斗は目を見張った。
職員は慌ててシャッターを開けると女の言葉に耳を傾け何度も頷き、目を見張るほどの速さで動き、瞬く間に大きめのどんぶりをトレーに差し出した。
「ねぇ、君。ちょっと手を貸してくれない?」
職員に硬貨数枚を投げて寄越した女は、つまらなさそうに瞬きすると蒼斗に声を掛けた。
亜紀には劣るが迫力ある有無を言わせない『お願い』。蒼斗は半ば条件反射でどんぶりが乗るトレーを持つ。
まだ何も言っていないのに率先してトレーを持つ意外さに女は一瞬目を丸くさせ、口元をほんの少し上げるとブーツの踵を小さく鳴らしながら手招きする。
「それにしても、ハエ以下の脳みそしか持ち合わせていないようね、ここは」
狂魔や狂蟲と仲良くできそうだし、エサとして使うことに生きる価値がありそうね。
ニッコリと微笑んでも、吐き出されるのは毒と暴言。そのギャップにみな息を呑み、顔を赤くして拳を握るものもいた。
「君も、そう思わない?」
「え?」
「大学生になっても、頭は幼稚で困りものね」
「は、はぁ……」
もしかして、庇ってくれたのだろうか。
どんな形にしろ、初めて庇ってくれた人がいた。それだけでも耐え忍んできた蒼斗にとっては至福の極み。
「じゃあ行きましょうか」
「っ、辰宮!」
何事もなかったかのように食堂を去る辰宮の足を止めさせたのは、この場にいる学生の中の主格ともいえる男、篠塚だった。
初めて顔を合わせた時の第一印象はただエゴの塊。
姑息な手口は群を抜いて最悪で、学級委員や班長をやりたがるくせに役職だけに目が眩んだ小学生のような不快感を抱かせた。
その上自分よりも優れた若しくは気に入らない人間には嫌がらせ一択なのだから、人間としての出来は下の下に尽きる。
「お前、なんでそんな奴……」
「そんな奴? 一体誰のことを言っているのかしら」
「なんでそんな……っ、治安維持局の手駒を庇ったりするんだ!」
「治安維持局の手駒? あなた、APOCの報告書をちゃんと読んだの?」
亜紀は今回の治安維持局特別機動部隊摘発の一部始終をAPOC内に公開した。
当然APOCに所属するものなら、誰でも目を通しているはず。それはこの男にも言えることで、馬鹿らしいと言わんばかりに眉間にシワを寄せて答えた。
「報告書だと? 総帥直々の報告書が公開されたんだ、見るのは当たり前だろう!」
「いいえ、あなたは読んでなんかいない。ただ目を通しただけよ。そんな憎しみしか抱けていないあなたが、まともにあの報告書を読めるはずがない」
蒼斗が特機隊に属していたことは調べれば誰にでもわかること。それを見越しての今回の公開だった。
「何故そこまで恨むの? 彼は親の仇でも何でもないのよ?」
「オリエンスの息のかかったものを恨んで何が悪い?」
「そんなことしたら狂蟲が黙っていないわよ?」
「俺はそこらの奴らとは違って出来がいいんだ。心配することなんざない」
「そうやって恥ずかしく自惚れているといいわ。あなたが彼に腰巾着をぶら下げて嫌がらせをするのは、今回の一件を彼が解決したことが気に入らないだけでしょう?」
息を呑み怒りで顔を赤らめる男を嘲笑する女――完全に男を看破していた。
「あら、図星で何も言えなくなっちゃったの? これ以上恥ずかしい思いをしたくなかったら、下らないことはしないことね」
この際だから、と彼女は腰に手を当てて口を開いた。
「彼は確かにAPOCと敵対関係にある治安維持局の人間だった。けれど彼は命を狙われ指名手配犯になってまでも御影に抗い、今回の一斉摘発に貢献した。あなたたちが彼を恨む理由なんて、何処にもないのよ」
逆恨みはやめてよね、と言わんばかりに肩を竦め、首を横に振る。
開いた口が塞がらなくなった蒼斗に気づいていないのか、ぐうの音も出せない男への興味が失せた女は食堂を後にした。
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