FILE 2 寄生魂
ハエが飛び交い、ありとあらゆるものが腐敗しきった臭いが一帯を覆い尽くす。
蒼斗はあまりの悪臭に顔をしかめ、鼻を袖で塞いだ。
足場の悪い、普段なら立ち入らないゴミ処理場の奥へと大股で歩く亜紀と卯衣の背中を追う蒼斗は、充満するメタンガスと硫黄もろもろの臭いで嗅覚が麻痺してしまいそうだった。
「くっさーい! もう鼻もげちゃいそう!」
「モタモタするな、蒼斗。現場はこの先なんだろ」
「ちょっと、どうして二人だけマスクをしているんですか!」
振り返った亜紀と卯衣の顔には防護マスクがつけられていた。
蒼斗が広大なゴミ処理場に圧倒されている間に、二人は立ち入り許可の交渉の為に先に向かわせていた部下から受け取っていたのだ。
「それにしても凄いね、ゴミ処理場なんてテレビでしか見たことなかったわ」
「これで見つからなかったらタダじゃおかないからな」
「間違いありませんよ、夢の中は満月だったんですから」
何故彼らが、こうして汚いゴミ処理場にいるのか――?
それは約十時間前に遡る。
◆
そこは薄暗い路地だった。埃と塵と、排気ガスで汚れ、目にゴミが入ってしまったような、そんな霞んだ視界が覆い尽くす。
「こちらA班、南方向に目標を発見。全部で三体いる」
無線の報告ですぐさま援護に向かうよう返し、手元の銃を構え直す。
目標の位置は、蒼斗のいる地点から数メートル離れたところだった。未だに銃声が聞こえないことから、恐らく戦闘は始まっていないのだろう。
空気が破裂するような音が木霊し、蒼斗は目を見張った。同時に緊張が走った。周りの同僚を見れば、それぞれ顔を見合わせて先に進んでいた。蒼斗もそれに続く。
現場に立つことはいつになっても慣れないものだ。
数度角を右左に曲がり、反身になって様子を伺う。壁の向こうでは獣のような叫び声が轟き、銃声がいくつも飛び交う。
大丈夫だ、きっとうまくいく。自分に言い聞かせ――ていたところで、辺りが静かになった。もう終わったのかと内心安堵。それから仲間の安否が心配になり、姿を晒す。
「……え?」
一発の銃声と、額に感じた強い衝撃。ビシャ、と潰れるような水音と、冷たい感触。咄嗟に閉じた瞼を服の袖で拭い、ゆっくりと目を開ければ――
「はい、訓練完了ぉ」
「お疲れさん」
同僚たちが和気あいあいと、拳を合わせ、肩や背中を軽く叩きあっていた。足元には狂魔……厳密には、狂魔を象ったダミー人形の残骸。
そう、これは狂魔に対する実践を忠実に再現した戦闘訓練。
狂魔を倒せば、訓練は終了となる。完全に取り残された蒼斗は、呆然と辺りを見渡し、ペイント弾の赤インクで濡れた自分の袖を見つめた。
「えーと、死傷者はいないな?」
訓練の報告書類を手にした男が、声を上げた。狂魔の攻撃を受ければ青の、銃弾を受ければ赤のペイント弾が付着する。
所々で掠り傷程度の青筋を作っているものはいたが、誰一人赤のインクは付いていなかった……蒼斗を除いて。
男は、蒼斗の姿を見て嘲笑した。
「誰だよ、アイツに銃撃った奴。ひでぇなー」
「わり、それ俺だ」
「またお前かよ、篠塚!」
篠塚という男は下品に笑う同僚に肩を叩かれた。銃をくるくると回してホルスターにしまい、蒼斗を一瞥。それから陽気に笑った。
「人の姿をしたバケモノかと勘違いしまってよ」
「まぁ、敵だと思って撃っちまっても仕方ねぇよな」
「んじゃ、掠り傷程度の負傷者のみってことで」
高らかに笑いながら、訓練所を後にしていく仲間……いや、同期の訓練生たち。完全に蚊帳の外に追いやられた蒼斗は一人、誰もいない鉄の箱の中で肩を落とした。
「バケモノ、か」
亜紀の命令でここ、
十岐川大学はペンタグラムの中心地、セントラルのトップ大学として有名だ。
ただ、大学といっても、主にアポカリプス捜査官訓練養成施設として存在しており、一般の学生は在籍していない。
施設内にある零号館をAPOCの本部として構え、幹部が出入りし、捜査官たちのメンタルや狂蟲レベルの管理などもここで行っている。
カリキュラムとしては、戦闘技術会得と実践に向けた状況判断能力を養うことをベースに、水魔鏡と狂魔弾の使用方法等様々な分野で知識を与えている。あとは各々の向上心に任せ自身を磨かせている。
蒼斗はAPOCの組織理解と、より高度な戦闘能力を得ることはできるようにはなった。――が、人間関係は壊滅的だった。
総帥の亜紀の側近になったという情報がAPOC関係者全てに広まり、蒼斗は周りからの冷たい視線を浴びせられた。ポッと出の得体のしれない男がトップの隣を陣取ってしまっているのだから、無理もない話であるが。
蒼斗は編入する際、自分が死神であることを敢えて伏せてもらうよう亜紀に頼んだ。
確かに死神の力を持ってはいるが、自分のことを何も知らない今、その名を名乗る資格がない。
そこで、亜紀から『工藤』という姓を与えられた。
工藤蒼斗――それが、亜紀から与えられた新しい居場所だった。由来は、なんでも、多くの候補を上げ、そこであみだくじで決めたからとのこと。斬新……というより適当すぎて返す言葉もない。
予想はついていたが、何処の馬の骨ともわからない人間が亜紀の傍に置かれるなど、誰もが納得しなかった。
しかも、何処から得てきたのか、つい最近までオリエンスの治安維持局特機隊に所属していた情報も漏れており、彼らの怒りをさらに買った。
特機隊の存在がどの地位にあったのか嫌でも把握している彼らからの、親の仇のような殺気を向けられる毎日。
蒼斗はこの国のことを知らない。命令だからというのもあるが、蒼斗自身、知識を得たい、強くなりたいと考えていた。生い立ち的に嫌悪されることは覚悟していたが、こうもあからさまであると流石に堪える。
嫌がらせは訓練、食事、登下校時――いつでも何処でも続いた。初めは抵抗の意思を見せたときもあった。
しかし、その時になるとタイミングよく教官が現れ、蒼斗が問題を起こしているとみられた。
彼らは蒼斗の行動を予測し、常に、自分たちに防衛線を張っていたのだ。
それからは、何をやっても無駄だと悟り、ただ彼らの静かで強烈な殺意を甘んじて受けることにした。
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