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「……あの、ありがとうございました、助けてくれて」


 女の足が止まったのは、ペンタグラムの街並みがよく見えるひっそりとしたテラスに来たとき。日当たりもちょうどよく、過ごしやすい環境だった。

 女は備え付けの端末メニュー表を開いて紅茶を頼む。「あなたは?」と、訊ねられ、水でいいと慌てて答える。


 席につき落ち着いたところで、蒼斗は言いたかったことがようやく口にできた。

 女はきょとんと眼を丸くさせると微笑し、カバンからフルーツサンドをテーブルに置く。蒼斗はトレーに乗ったどんぶりを見比べて意外に思った。


「結構食べるんですね」

「あら? それはあなたの分よ」

「へ?」

「好きなんでしょ、天ぷら蕎麦。あなたのために用意したものだから食べていいよ、工藤蒼斗君」


 何故自分の名を――と、口を開きかけたところでやめた。ここでは自分の存在は指名手配犯のようなものだ。

 好物の香ばしい匂いに嗅覚が刺激される。空腹もあってか、その香りは威力を倍増させる。

 女は全く食べる気がないのか、ウェイターが運んできた紅茶を優雅に飲み、フルーツサンドを胃に収めていく。蒼斗はありがたく蕎麦を頂くことにした。

 まともな食事ができたのは初めてだった。


 半分食べたところで、蒼斗は箸を止めた。満たされ半分の蒼斗の表情が面白かったのか、既に食べて終えていた女は不敵に笑った。


「空腹半分満たされたって感じ?」

「はい、ありがとうございます、辰宮星妃たつみやせいひさん」

「どういたしまして」


 辰宮は訓練所内で最も一目置かれている人材だった。もちろん、良い意味で。

 辰宮星妃、大学一年生。既に前線に立っていることからその実力は誰からも認められ、中でもずば抜けた変装能力は亜紀の折り紙つき。

 傷やシミが一つもない艶やかな肌、絹のような滑らかな金色の髪。その容姿で男女問わずに密かに話題にされるが、常に周りに友人はいない。

 何故ならば、彼女は普段は無口で、何を考えているのか分からないから。近づきたいが、彼女を取り巻くオーラがそうさせないのだ。

 本人はそんなつもりはないのかもしれないが、周りはそれを近づくなと警告しているように捉えてしまうのだ。


 だが、蒼斗はそんな辰宮に対して嫌な感じはしなかった。むしろ、それが着飾らない、自然体の彼女の本当の姿のように思えた。


 ――にしても、こんなAPOC幹部と同等の人間と知り合えるなんて奇跡に近い。そう改めて亜紀のペットとしての奇跡オプション力を実感した。


 ……あ、蕎麦がのびてしまう。



「そういえば、良かったんですか?」

「何が?」

「僕を助けてくれたことには感謝していますけど、辰宮さんへのアタリが心配です」


 蒼斗に嫌がらせをする集団の中でも、先ほどの男――篠塚亮は群を抜いて蒼斗に嫌悪と侮蔑の情をぶつけてくる。

 噂では辰宮に淡い恋心を抱いているとも聞く。

 好いている女が殺したくなるほど憎い男を庇ったとなれば、何をしでかすか分からない。蒼斗はそれが心配だった。


「気にしてくれてありがとう。でも、私は問題ないわ。それと、敬語とかやめにしない?」


 一緒に任務に就いた仲だし、と首を傾げる辰宮。さらりと垂れる髪と、細められた目に背筋が伸びる。

 だが、今度は蒼斗が首を傾げる番だった。


「一緒に……? あれ、僕、辰宮さんと任務に就きましたっけ?」

「え? ……あぁ、そっか。知らないんだっけ? 私とあなた、先日の特機隊摘発の一件で同じだったのよ」

「ええ!?」

「変装していたから、分からなかったのも無理ないわね」

「そ、そそそそれって……っ」


 辰宮はその変装能力を必要とされ、潜入任務に駆り出されていると聞く。もしかしたら、と蒼斗の中で期待が高まる。


 だが、近衛静が辰宮とイコールであると分かった時、蒼斗に残るものは一体何だろうか?

 約束のグローブを返し、その後は、一体……?


 変装していた人物は『近衛静』であったか――と、いう言葉がいざ出そうにも出せ

ない蒼斗の心情を悟ったのか、辰宮はカップをソーサーに戻した。


「確かに、私はあの任務中『近衛静』になったわ」

「え!」

「でも、それは一瞬のこと。あの後はフリーになって待機していたから、実質摘発には加わってはいないの」

「一瞬って……」

「ボスから治安維持局のIDを受け取り、長官を摘発。その後あなたを乖離点付近で拾って、ボスの家まで送り届けて保護すること――それが、今回の私の任務。それだけよ」

「ボスからIDって……それって僕の……」

「えぇ、そうよ。ボスはあなたが死神ではないかという疑問から監視をしていたの。その後IDを奪い、あなたを治安維持局から引き離すために私に上層部の摘発を命じた。あの人からしたら、一石二鳥の計画だったわ」

「亜紀さんは、僕のIDを自分で……?」

「えぇ、久しぶりに前線に出たいと言っていたから、あの場を指揮していたのは間違いなくボスよ」


 あの処刑場襲撃の時に亜紀がいた。

 ――つまり、あの時対峙し、戦闘を仕掛けてきたのも、自分が無意識に庇ってしまったヘルメットを被った男は亜紀だったというのか。


 辰宮の話が真実ならば、亜紀が呟いた『借りは返した』という言葉に合点がいく。

 同時にあの時闘っていたのかと考えるだけで身震いする。よく生きていられたものだ。


「あれ……でも、確か亜紀さんに心臓を撃たれたはず……」

「それはきっと、狂魔弾を撃ち込まれたのね。でも、狂魔じゃない人間には全く効果がないから気絶だけで済んだのよ」

「なるほど……。と、ところで……乖離点で僕を助けてくれた近衛さんはあなたで、本物の近衛さんは……!」

「ちゃんといるわ」

「じゃあ処刑場襲撃後の、僕が事情聴取を受けた日にいた近衛さんは……?」

「私じゃないわ。近衛さんよ」


 蒼斗はその言葉を聞くと、ほっと安堵の溜め息がこぼれた。そして、だからあの時違和感があったのかと一人自己解決した。

 蒼斗の知る近衛は、辰宮が変装していた時のような優しさは持ち合わせていない。強烈なジャブを食らわせて置き、やんわりと落としていく。その裏に一点の優しさを持つ――そんな、性格だった。



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