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「着いたぞ」
治安維持局の天敵クロヘビ、それも十中八九トップクラスに助けられた根拠が理解できないままやって来たのは、瓦屋根の巨大な屋敷だった。今では目にするのもかなり珍しい。
門の前には和服姿の男が立っており、亜紀たちの姿を見ると頭を下げ、無言で中に通した。
「ここは……?」
「茶道の名門、瀬戸……と言えば分かるか?」
「でも、蒼君記憶がないんじゃ?」
「いえ、記憶がないのは自分に関することだけです。瀬戸と言えば、異常災害の後、突如消えた名家と言われていましたけど……まさかこの街にいるなんて思いませんでした。……それにしても、何故僕が記憶喪失だと?」
「あなたのことは、近衛さんから報告を受けていたから」
「ほ、報告?」
「近衛さんの任務は、治安維持局内部の情報収集とあなたの監視」
「諜報員……だったということですか」
「簡単に言えばそうだね。んんー、やっぱり報告を聞くのと実物を見るのとはだいぶ違うなぁ……ねぇ、亜紀チャン?」
「下らないこと言ってないでさっさと行くぞ」
「えー、近衛さんに潜入と監視を任せたの亜紀ちゃんじゃん!」
ほくそ笑む卯衣の視線を気にも留めない亜紀。
卯衣はそっけない態度が面白くないと口をへの字に曲げ、小走りでその後を追いかけ隣に並ぶ。
「あの……っ、近衛さんは、何処に?」
「え? あー、近衛さんは別件の捜査にあたってもらっているの。……もしかして蒼君、近衛さんがいなくて寂しい感じ?」
「え!? いや、そういうわけじゃないです!! こんな状況になっていますし、お借りしたグローブを返そうかと思って……!」
「グローブ?」
蒼斗の手にはめられた借り物のグローブ。
卯衣はそれが誰のものか分かると口元に手を当てて嫌な笑みを浮かべた。ニコォ、という効果音がついてもおかしくはない。
結局何を考えているのか教えてもらえず、卯衣がただそうかと一人納得するだけに終わってしまった。
綺麗に掃除された板張りの長い廊下を歩く。
「――このペンタグラムを知り、次第にお前はオリエンス総ての者への視る目が変わる。覚悟を決めておくんだな」
「?」
亜紀はとある襖の前に立つと、声を掛けることも合図することもなく無遠慮に開けた。蒼斗は仰天し、息を呑んだ。
「あぁ、来ると思っていたよ」
だが蒼斗の不安は杞憂に終わった。
縁側に腰掛け、大きな池に放されている鯉に餌をやっている着流し姿の青年が、のんびりとこちらに顔を向けると小さく微笑んだ。
歳は蒼斗と然程変わらないだろうか。
耳より少し長く、髪質が固いのか少しツンとした黒髪。着流しに羽織を着た姿は彼によく似合っていた。
「首尾は?」
「まあまあって感じかな。動きは依然と変わっていない。……で、そこのひ弱そうなのは誰だい?」
初対面の人間にいきなりダメ出しされた蒼斗は、亜紀の手前、咄嗟に出そうになった不満の声を堪えた。拳を握る蒼斗に気付いたのか、亜紀はさらりと答えた。
「新しい飼い狗だ」
「ふぅん……でもそれだけじゃないね。君がただのペットを連れて来るわけがない」
亜紀は何も答えなかった。無言は肯定と受け取ったのか、青年は一つ大きく息を吐くと、身体ごと向きを変えて蒼斗を真っ直ぐ見据えた。
長めの前髪から覗く黒い瞳が品定めするような威圧感を与え、緊張が走る。
「名前は?」
「き、桐島蒼斗です」
「桐島?」
その返答に、青年は懐から出した紙を見て納得したように頷く。
「ふぅん……絶賛指名手配中の桐島重蔵の義理の息子ね」
「どうしてそれを……っ」
「コイツは
「ちなみに、ウチの幹部のナンバーツー」
「情報屋……クロヘビの幹部二番目の地位……」
「どんな情報も手に入らないものはないよ。ま、それなりのものを対価として貰うけどね」
亜紀は男が持ってきたお茶と羊羹を受け取ると、瀬戸の向かいに腰を下ろし、彼が用意した資料を片手に話を始めた。
蒼斗と卯衣も座布団に座り、一般人では到底手に入らないであろう銘菓の茶菓子を口に含みながら様子を伺う。
「瀬戸さんが言っていた対価って何ですか?」
「彦君は情報提供に一切お金は取らないの。お金は有り余っているしね。代わりに、与える情報に見合ったものを要求するの」
その人にとって一番大事なもの、とか。
多くの情報を持っているということは、その人の情報や一番大切なものを知り尽くしている。それを分かっていて対価として要求する。
――だとすると、今、亜紀が持っている資料も、瀬戸が要求する対価を差し出して得た情報となる。
一体何を差し出したのだろうか。
「今回の対価はないよ」
蒼斗の視線に気づいていたのか、瀬戸は顔を蒼斗の方に向けて不敵に笑った。
「でも、情報は対価がないと……」
「亜紀の飼い狗っていうのは気に入らないけど、死神というゲストがウチにきたから、僕からのささやかな歓迎を込めたサービスだよ」
「死神……?」
話が終わったのか亜紀は蒼斗と卯衣の近くに移動し、瀬戸は面白くなさそうに口を歪めた。
「どうしてわざわざ移るんだい?」
「お前の近くにいたら変態がうつる」
「つれないなぁ、僕は亜紀のこと気に入っているのに」
心底嫌そうに眉間にシワを寄せる亜紀に対し、変わらない笑顔でいる瀬戸。
間に挟まれている蒼斗は取り巻くオーラに手に汗握り、卯衣は迷惑そうに溜め息を小さく吐いた。そして残った羊羹のひとかけらを口に投げ入れると口を開いた。
「今日ここに来たのは、情報をもらいに来ただけじゃないの。蒼君に――」
「ここがどういうところかを説明したい、だろう? ここにウサギも連れてきたこと、借りてきた猫のような顔をしている彼を見れば、だいたい察しはつく」
「私ウサギじゃないから!」
「察しがついているなら、さっさと本題に入ろうか」
「そうだね」
襖が閉まり、部屋の明かりが消える。
不安になる暗がりの中、スクリーンが現れ、現在のオリエンスのスライドが映し出された。
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