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 蒼斗の飼い主だと言った亜紀は、傍で苦しみ悶える副島を一瞥すると鼻であしらった。


「あの程度の狂魔相手にこの体たらく。空っぽとはいえ、なんてザマだ」

「きょ…ま…?」


 聞き覚えのない言葉に首を傾げていると、背後で副島が臨戦態勢に入ったのが目に入る。亜紀はそれに気づいていないのか、こちらを見下ろしたままだ。


「危ない!」


 ――そう、蒼斗は口にするつもりだった。


 振り上げられた副島の鎌が亜紀に届くことはなかった。

 その場の空気を断ち切るかのような一発の銃声が木霊し、副島の身体は後ろに吹き飛ばされた――頭部から血を噴き出しながら。

 改造銃でも平然としていた副島が、たった一発の銃弾でこうも簡単に沈黙させられた。

 やがて蒸気を発し肉が腐ったような悪臭を漂わせ消えていくのをただただ見つめ、蒼斗は目の前で義理とはいえ身内が死んだことに絶句した。


 驚愕と恐怖の表情を貼り付けた蒼斗に気付いた亜紀の表情は、何事もなかったかのように平然としていた。

 くるくると腰のホルスターに銃を戻し、後ろの惨状など眼中にないかのように、腰を抜かす蒼斗に訊ねた。


「一人で立てるか?」

「……無理、そうです」


 そんなに時間は経っていないのに、何時間も戦っていたような感覚。

 一度にやってきた出来事に蒼斗は頭の中の整理がつかず、今自分が何をすべきか、どうすればいいのかすら考えることすら出来ずにいた。


「そうか。……なら今回だけは、飼い主直々に手を貸してやらんこともない」


 憎き相手。仲間を無残に殺された――なのに、不思議と亜紀に対して嫌悪や憎悪が抱けなかった。


「ありがとう、ございます」


 蒼斗はむしろ、高揚している自分に恐怖を抱いた。そして差しだされた手を掴――みかけた。ぐらり、と視界が歪み、眩暈を起こした。

 次第にじわりじわりと滲むような痛みに視線を動かせば、副島に貫かれた大腿部の出血に気づいた。


「手間をかけさせるペットだな」


 すれ違った手はそのまま蒼斗の腕を捕らえ、体重を一手に受けた。

 亜紀はポケットからハンカチを取り出すとそれを蒼斗の大腿部の傷に巻きつけ、止血を行う。束の間の作業ののち、霞む視界は黒に埋まり、それが亜紀の胸板だと気づく頃には、蒼斗の身体は抱えあげられていた。これに蒼斗は仰天した。


「な、にを……!」

「動くんじゃねぇよ、重てぇんだから」

「だからって、こんな……」

「ナマクラ状態のお前が何言っても説得力ねぇよ。いいから黙ってろ」


 ゆらり、ゆらり――軽快な……でも、傷に障らない程度の足取り。疲労が限界をとうに超えている蒼斗は言葉に甘え、胸板に顔を預けた。

 触れ合う箇所が酷く安心できて、形容しがたい感情がこみ上げ、泣きたくなった。



 ――この感じ、何処かで……。



「これで借りは返したぞ」

「え……?」


 一体、何の話をしているのだろう……?


「亜紀ちゃん! 蒼君!」

「卯衣さん?」


 数メートル離れたところに停められてあった車の近くで卯衣が手を振っていた。


「ど、どうして卯衣さんがここに?」

「亜紀ちゃんと探しにきたに決まっているじゃない。いきなりいなくなっちゃうし、吃驚しちゃったよ」

「あ、亜紀ちゃん……? さ、探しにって……」

「言ったでしょう? あの家の家主、東崎亜紀の妹だって」

「東崎……ってことは、この人と卯衣さんって……キョウダイ?」

「そうでーす!」


 蒼斗は亜紀と卯衣を見比べ、容姿も雰囲気も、性格も何もかもが正反対な二人に言葉を失った。

 亜紀は面倒臭そうに息をつき、卯衣に後部座席のドアを開けさせると蒼斗を乗せた。その扱いは荷物さながら後部座席に放り込む。ビリビリと衝撃で傷が悲鳴を上げ、蒼斗は目尻に涙が滲む。


「もっと優しく扱ってくださいよ!」

「うるせぇ、男が女々しいこと言ってんな。痛いならそこで大人しく寝てろ。ついでに卯衣、余力があるなら治してやれ」

「分かった!」


 不平を一蹴され、亜紀にダッシュボードから出てきた水入りペットボトルを額に投げつけられる。何だ、と悲鳴を上げ、もだもだしている内に車は動き出し、廃墟街から美しいネオン街に景色が転回される。


 隣に座った卯衣は蒼斗と向き合い、血で滲んだ布に手をかざした。

 貫通した鋭い痛みが和らぎ、温かく、されどメキメキとあけられた穴が塞がっていくような至極奇妙な感覚――卯衣が手を離したときには、溢れていた血は止まり、傷は何処にも見当たらなかった。


「これで処置は大丈夫かな。じゃあ、他も治してあげるから出して」

「!? どうなって……!?」

「ん? これが私の力だよ? 銃弾の傷だって治してあげたじゃん」

「力? もしかして、祥吾に撃たれたあの傷は卯衣さんが……?」


 何を言っているのだと言わんばかりに首を傾ける卯衣。

 こてん、という擬音がとても似合うに違いない。力について訊ねたかったが、口を開きかけたところで卯衣が亜紀に話を振ってしまい、タイミングを逃がす。

 仕方なく背凭れに身体を預け、窓の外を見上げた。



「……それにしても、ここは変わったもので溢れかえっているなぁ」

「普通だろ」


 独り言にも等しい一言は、亜紀に拾われた。


「ここがオリエンスだなんて、信じられないですよ」

「あ? 何言ってやがるんだお前、ここはオリエンスじゃないぞ」

「……え?」


 美しい月が昇る夜の下、亜紀の車が広大なハイウェイを疾走する。バックミラー越しで鉢合った視線をそらさず、蒼斗は亜紀の言葉を待った。


「ここはペンタグラム。悪魔に守護され、オリエンスから忘れられた国だ」

「は……ペンタグラム? そんな国聞いたことない……それに、卯衣さんのこの力といい……あなたたちは一体……?」


 混乱しかけた蒼斗が車内を見渡すと、あるものが目に留まり思考が停止した。


「ど、どうして……そのエンブレムが……っ」


 忘れもしない、ナビ画面に表示された治安維持局の天敵ともいえる集団の証であるエンブレム。

 あの処刑場での戦闘が脳裏をよぎり、身震いする。


「卯衣や近衛は言っていなかったのか?」


 バックミラー越しに重なった視線は外れ、亜紀が首を回して蒼斗を見た。


「俺たちが、お前ら治安維持局の言うだ」



 ――あぁ、あの処刑場での邂逅は、起こるべくして起こったことなのだろうか?




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