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蒼斗は受け取った水の入ったグラスに口をつけ、数拍様子を窺ってから口に含む。彼女の言ったとおり、毒は今のところ入っていないようだ。
警戒心が薄いと叱られてしまうかもしれない。
けれど、死んでもおかしくなかった人間をわざわざ生かしてここで殺すような面倒なことはしないだろうという蒼斗の勘が働いていた。
喉を伝い、胃に流れる冷たい感触が生きている、という感覚を実感させる。ここまで水が美味しいものだと思ったのは初めてといっても過言ではないだろう。
――それよりも気になることは、あの傷をあと一つ残さず完治させた方法だった。
今のオリエンスの技術では指先で受けた感触からして高度な医療技術は考えられない。
訊きたいことはたくさんあるのに、順序立てるキャパシティを持ち合わせていないため口を無駄に開閉させるだけに終わってしまう。
やっと訊けたことと言えば――。
「あの、コレはどれくらいつけていれば……?」
「アイマスクは……もう少し、かな。本当ならアキちゃんに判断してもらいたいのだけど……」
「アキちゃん……? それは、誰ですか?」
「ここの家主よ」
次いでポットにお湯を入れる機械音。微かに鼻をくすぐるコーヒーの香りがしたところで、少女は蒼斗にアイマスクを取る許可を出した。
ゆっくり、と念を押されながら、言葉に従いそっと目を開けた。
蒼斗は差し込む眩しさに、咄嗟に目を固く閉ざした。腕で庇うように光を遮り、恐れ半分興味半分の心でもう一度試す。
瞬きを繰り返し、白く縁取られた視界に映ったのはまず、広い庭――ただの庭ではなく、ライトアップされた庭だ。
……いや、厳密にいえば、庭だけでなく外の世界が輝いていた。
ネオンの明かりとは遥かに違い、開放感に満ちた、長閑な雰囲気を醸し出していた。
だが魅入られる景色も名残惜しく、慣れていない目の奥は悲鳴をあげ、反射的に目を固く瞑る。両掌を瞼に押し付け、ぐっと衝撃の緩和を促す。
ライトの明かりとは遥かに威力が違った。
この閃光にも似た衝撃に視覚は対応に時間を要した。少女の助言もあってか、幾分楽にはなった。
「だから言ったでしょう?」
「っ、この眩しさは一体……?」
「太陽の光よ。本物の、ね」
「本物?」
「あなた、オリエンスから来たんでしょう?」
「来た……? あの、どういう意味ですか?」
「言葉の通りだけど? あなたがカイリ点で倒れていたのを、私が拾ってここまで連れてきたんだよ」
「か、かいり……? 君は、一体……?」
蒼斗は全く少女の言っていることが理解できなかった。唯一答えを導き出せたことは、少女が自分を助けてくれたということだけ。
蒼斗はしげしげと少女を見た。窓から入る太陽の光で、艶を見せる蜂蜜色の長い髪を細長い指先で円を描くように遊ばせる。
タータンチェックのプリーツスカート、ワイシャツにリボン。服装と顔立ちからして高校生だろう。
ふとスカートから覗く白い太腿に目が向き、直ぐにかぶりを振って意識から除外。
「うーん、何処から話せばいいのかな? まず、私は――」
首を傾げる少女の背後の襖が開いたことで、会話は中断された。
「気が付きましたか?」
「っ、近衛さん……!?」
襖を開けて現れたのは洗面器を持った近衛だった。
「ど、どうしてここに近衛さんがここに……? もしかして、治安維持局の命令で僕を……っ」
「落ち着いてください。確かにあなたの捕獲の指示を受けていますが、私は治安維持局の命令では全く動いていません」
忙しくなる心臓の鼓動。近衛が宥めるように声をかけても、一度走った緊張は簡単には戻らない。
「こちらはここの家主の妹の卯衣さんです」
「はじめまして、桐島蒼斗さん」
「あ、はじめまして……?」
「私が何故彼女といるのかというと、私は本来、こちら側で動いている人間だからです」
「こちら側……?」
「私の任務はあなたを――」
そこで卯衣という少女の端末が鳴った。ことごとく話の腰を折られ、不快そうな卯衣は不安そうな蒼斗に笑みを向け、部屋の外に出た。
「ちょっと失礼しますね」
残された近衛は蒼斗を安心させるかのように口元に笑みをたたえ、洗面器に浸るタオルの水を絞る。
「卯衣さんは時間がかかると思いますので、もう少し休んでいたらどうですか? 熱も少しありますし、ここなら安全ですから」
「近衛さん! あの祥吾から連絡は何か……っ」
「桐島隊長? ……いえ、私は何も受けていませんが」
「そ、そうですか……っ」
「ひとまず、休んでください」
「でも、話がまだ……」
「今はあなたの体調が第一優先です。話はそれからでも大丈夫ですから」
横になるよう促され、それに従う蒼斗。
汗が滲む前髪を掬い上げ額にタオルを置かれ、ひんやりとした心地よさに眠気が浮上する。瞼が重い。
「近衛さん……」
「どうしました?」
「何だか、今日は凄く……優しい、ですね」
「私はいつも優しいですよ」
何を言っているのですか、と近衛は困ったように眉を下げた。
タオルの上から手を重ねられ、蒼斗はそのぬくもりにゆっくりと引きずられるように目を閉じた。
しかし、蒼斗はそれに違和感を抱かずにはいられなかった。
――彼女だったら……自分が恋した彼女だったら、きっと……。
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